防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース
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自衛隊ニュース   2008年9月15日号
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《陸自》
MCAP開催
16ヵ国、12組織が活発に意見交換
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 陸上自衛隊は8月25日から30日までの間、「平和活動における各種連携について〜陸軍種及び軍民間の連携について〜」をテーマに、第7回アジア太平洋地域多国間協力プログラム(MCAP08)を開催した。
 これは、アジア太平洋地域を中心とする関係各国から実務者を招へいし、国際協力に関する陸軍種に共通の課題討議を通じて、相互理解と信頼醸成を図ることを目的に実施されている。今回のプログラムでは、オーストラリア、ブルネイ、カンボジア、中国、インド、インドネシア、マレーシア、モンゴル、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、ロシア、シンガポール、タイ、アメリカ、ベトナムの16カ国から軍関係者と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食糧計画(WFP)、赤十字国際委員会(ICRC)をはじめとする12組織が参加し、防衛省からは統合幕僚監部、陸上幕僚監部、中央即応集団等が出席した。
 ワークショップでは、参加者がA〜Dの4グループに分かれて、国際平和協力活動の紹介や意見交換が活発になされ、また、休憩時間には各国担当者との歓談や交流の場面も多く見られた(写真)。
 陸上自衛隊では、今後も多国間プログラムの主催、あるいはアジア太平洋地域の多国間プログラムへの参加は、任務遂行上有益である場合には、積極的に取り組んでいくとしている。

防大サッカー部「OBの日」実施
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 防大サッカー部「OBの日」が8月16日、夏合宿先の茨城県神栖市内のサッカー場で行われた。
 「OBの日」とは、OBによる現役の激励などを通じてOBと現役相互の親睦を図るとともに、現役の秋季リーグに向けての行き足をつけることを目的に毎年、夏合宿期間中に実施されているもので、今回、折木良一OB会長(陸幕長、16期)が自ら合宿先に足を運び、直接全部員に対して激励の言葉をかけた。
 折木会長は、20年度のこれまでの試合結果や指導態勢などを確認するとともに猛暑に負けず元気に練習に励んでいる学生を労った。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOBシリーズ
岡部チサンカントリークラブ 佐藤庄三
佐藤氏は平成18年1月、航空教育隊第2教育群(熊谷)を空曹長で定年退職。56歳
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 私は、平成18年1月に航空教育隊第2教育群(熊谷)勤務を最後に定年退職し、岡部チサンカントリークラブで勤務しています。
 入社の動機は、私の希望職種(整備・修理)を基に、基地援護室が情報収集してくれた求人を紹介していただきました。仕事内容は、乗用ゴルフカートの増台に伴う整備員の増員ということで、希望とピッタリ合致するとともに通勤も車で10分という極めて好条件なものでした。
 岡部チサンカントリークラブは、本庄児玉IC(関越自動車道)から東南約15分の位置にあります。岡部と美里の2コースがあり、どちらも18ホールを備えています。岡部コースは幅が狭く起伏に富み、美里コースは幅広でロングな設定となっており、それぞれに難易度が高いことから、近隣のゴルフ場では人気の高いコースです。また、料金も安価に設定されているのも更なる魅力となっているようです。(従業員の紹介割引というのがありますので、ご利用の際には是非ご一報をください)
 仕事は、私より1年半早く入社した空自OBと2名で、乗用カート(電動・エンジン)計140台の整備を担当しています。勤務時間は8時から17時で週休2日制、現在のところカートが比較的新しく故障等が少ないため、残業等は殆どありません。お客さまに安心してご使用いただくとともに、プレーを存分に楽しんでいただくため、毎日、定期点検等を確実に実施し、消耗部品の交換及び各部の調整等を丹念に行っています。
 私自身この仕事に就くにあたり、決して経験や自信があったわけではありません。「機械いじりが好きだ」といった極単純な考えのみでした。ただ、採用して貰えれば、その期待にそえるよう努力を惜しまない覚悟・誓いはシッカリと持っていましたが、それ以上のことは全く考えていませんでした。正直なところ「何とかなるだろう」と考えていました。しかし現在では、この仕事に就けたのは、ただ単に「幸運」であったと思っています。
 本来であれば、在隊中なら比較的容易に取得できた長期休暇等を有効に活用し、もっと真剣に退職後の進路を考え、実用できる資格の取得に努める必要があった、また可能であったと反省しています。
 これからの経済情勢は、益々厳しいものとなることが予想されます。この日々変化する時世を生き抜くためには、各自の思考も逐日の刷新が必要ではないかと思います。これから定年・任満を迎えられる方のご健闘と成果を心から祈念申し上げます。

《彰古館 往来》
陸自三宿駐屯地・衛生学校
北清事変と広島病院 (2)
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 北清事変では、広島第五師団を主に、日本が一番多くの兵員を派遣しています。
 天津市外に連合八カ国が衛生機関を設置していますが「まるで衛生博覧会の様相であった」と軍医のコメントが残されています。
 彰古館に残る二冊の写真集「北清各国軍衛生事項視察復命書付図」「明治三十三年北清事変写真帖」には、日・米・英・露・仏・独・墺・伊各国の衛生機関と衛生資材が、多数の写真・図版で残されています。重い写真器材と、現像用の消耗品までを携行したのは、限定された市外地の局地戦闘だからこそ可能でした。軍医たちは、この事変を絶好の機会と捕らえ、各国の医学レベルを推し量ろうとしていたのです。
 二冊で、200枚を超える写真は、重複したものもありますが、当時の日本陸軍と各国軍の装備や衛生器材を知る絶好の史料集です。
 しかし、内地の定置病院の現像施設と異なり、戦地での現像のため、焼きも甘く、108年を経て変色、汚損した写真の状態から、電子的な復元は困難でした。
 復元した写真を検証すると、各病院施設に加え、ドイツ軍の移動式X線装置や移動式薬局など、当時の最新式の衛生資材が撮影されていたことが分かります。
 また、イタリア軍のベルケフェルド濾水器、フランスの骨炭濾水車、飲料水用煮沸滅菌車などとともに、北京安定門外井戸と書かれた写真には(人糞肥料製造所に近し)と註釈があります。補給系統上はもとより、衛生面の観点からも、防疫や診療処置の面で、戦地で清浄な飲料水を入手することがいかに重要課題だったのか理解できます。
 そのほか、大は患者輸送用の馬車から、小は救急包帯などの衛生資材、日用品に至るまでが詳細に撮影されています。
 また、装備品以外にも各国の軍医や兵士のスナップ、傷病兵の治療風景などを撮影しています。その中には、貴重な米陸軍看護婦の写真もありました。
 市街地戦闘が主であった北清事変は、前線の戦闘と後方兵站の衛生業務の、明確な境界線がありませんでした。こうした戦地病院に、女性が勤務するのは極めて異例で、ほかの7カ国では例がありません。
 軍医たちは、北清事変の機会を利用して、最新の衛生資材と実際の運用を、克明に記録していたのです。

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