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自衛隊ニュース   2008年5月15日号
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初の「小学生絵画展」開催
《北関東防衛局》
百里基地で優秀作品6点を表彰
優秀作品に選ばれ賞状を手にする小学生6人と父兄ら関係者が鎌田局長(前列中央)を囲んで(4月26日、空自百里基地で)
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 防衛省北関東防衛局(鎌田昭良局長)は4月24日から29日までの間、初の「小学生絵画展」と「授賞式」を行った。これは、「私のまち(友達・家族)」を絵画テーマに小美玉市、鉾田市、行方市在住の小学生を対象として3月3日から約1カ月間にわたって作品を募っていたもので、最終的には633点もの応募があり、応募作品は全て子供たちが一生懸命に描いた夢や希望にあふれたものばかりだった。
 これらの応募作品は、4月24日から小美玉市小川文化センター、鉾田市立図書館、行方市玉造公民館で、北関東防衛局「小学生絵画展」を開催、全ての作品を展示するとともに優秀作品6点を選出した。
 優秀作品に選ばれた6人の授賞式は同26日、空自百里基地で行われ、防衛省・自衛隊の幹部や3市自治体の関係者、受賞者の父兄ら多数が出席する中、鎌田局長が北関東防衛局の事業内容や絵画展開催の経緯などについて触れ「一層のご支援、ご協力を」と挨拶、受賞した6人の小学生一人ひとりに賞状と賞品(F15またはF2のソリッドモデル)を贈呈した。
 授賞式後、子供たちは隊内喫食を体験したり、本物の戦闘機に登って記念撮影をするなど、家族とともに楽しい一日を過ごしていた。
 優秀作品は次のとおり。▽「ほのぼの賞」石川阿佑美▽「のびのび賞」山本珠紀▽「あざやか賞」藤岡裕真▽「元気いっぱい賞」大畑真子▽「夢いっぱい賞」大場愛梨香▽「和やか賞」成島愛(敬称略)


高校吹奏楽部、呉音楽隊と合奏練習
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 呉音楽隊(隊長・樋口好雄1海尉)は4月2日、島根県にある立正大学淞南高校吹奏楽部の生徒約30人とともに、合奏練習を実施した。この行事は、島根地本企画による職場体験の一環として行われ、生徒たちは午前中に海上自衛隊史料館、通称「鉄のくじら館」を見学するなど、海上自衛隊の勤務内容について体験学習した。
 呉音楽隊に、やや緊張した面持ちで訪れた生徒たちは、隊員の和やかな笑顔に迎えられ、前半は、各楽器ごとに練習を行い、生徒たちの積極的な学習姿勢に対して、隊員たちは熱の入った指導をした。後半は、隊長の指揮により全日本吹奏楽コンクール課題曲「風之舞」を題材に、合同で合奏練習を行った。生徒たちは隊員からの楽曲に関するアドバイスに真剣なまなざしで耳を傾けるとともに「プロの演奏家の音を間近に聴きながら、貴重な体験ができた」と、非常に感激している様子だった。
 最後に、呉音楽隊から生徒たちへのプレゼントとしてミニ演奏会を行い、サンバの名曲「トリステーザ」や、道本3曹、藤沼3曹の歌で「蕾」を披露し、大盛況の中職場体験を終了した。また、演奏後も隊員たちは生徒からの質問攻めに合うなど、音楽を通じ交流を深めていた。音楽隊の高度な演奏技術に触れた生徒たちは「6月の高校での合同演奏を楽しみにしています」と語り、音楽隊員の演奏する「螢の光」が流れる中、笑顔で呉を後にした。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
鳥取ロブスターツール株式会社 小畑和幸
小畑氏は平成17年8月、第3輸送航空隊(美保)を2空尉で定年退職。56歳
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 平成17年8月、航空自衛隊を定年退職後、会社に就職しましたが、2年4ヶ月勤めた会社が突然、年末で倒産、全員解雇になり世間の厳しさと今後の生活をどのようにするのかという選択をする事となってしまいました。
 職業安定所で再就職先を探しましたが、希望するような仕事がなく困り、自衛隊援護室に相談したところ自宅から通勤可能な所で募集をしていますとの紹介があり、今年の1月下旬に面接、2月中旬には会社の門をくぐることができました。鳥取ロブスターツール株式会社という社名で作業工具、省力工具、電設工具、ダイヤモンド工具などエビ印ブランドの各種工具を製造し「メイド・イン・ジャパン」を貫き、日本製品の品質の良さを世界に誇っています。電気工事士を受験された方ならエビ印工具の信頼性と品質はお分かりいただける事と思います。
 さて、私の仕事ですが、物流グループの一員として工場で製作する製品の素材等の入出庫業務をしています。入社して約2ヶ月になります。工場内で取り扱う製品の部品が膨大にあり、なかなか把握できない状況で悪戦苦闘と失敗の毎日ですが、自衛隊で培った忍耐と精神力で必ず克服し会社の歯車の一つになりたいものと願っています。当たり前の事ですが安全意識高揚のため毎日「ゼロ災でいこう。良し」と全員が互いに声を掛け合い「整理・整頓・清掃・清潔・躾」を徹底し一歩一秒でもムダな動きを徹底的に排除し、生産性向上に向けて努力していることとエコ化を日頃から徹底しています。
 会社は必要最小限の人員で少しでも高品質でしかも廉価でお客様に満足していただける商品を造ることが会社の使命であると感じる事ができました。そのため、日頃から体調を崩したり事故を起こしたりしないよう、また会社に迷惑をかけることのないよう健康管理と事後防止を再認識させられました。
 自衛隊からの入社は私が初めてですが自衛隊出身者として恥じぬよう精進努力する所存です。今後もやる気と健康な即戦力となる自衛隊OBの入社を待っています。

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
<シリーズ 75>
広島原爆調査資料(1)
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 平成19年(2007)10月、彰古館は今まで未着手だった550点の一次史料の調査を実施しました。その中から、広島原爆被災時の調査報告書と関連資料が新たに発見されたのです。
 その一冊は「昭和二〇年一一月三〇日 原子爆弾に依る廣島戦災医学調査報告」で、発行は「陸軍軍医学校」「臨時東京第一陸軍病院」とありました。
 陸軍軍医学校は、昭和20年(1945)8月7日(原子爆弾投下の翌日)、陸軍省医務局から「広島に従来とは異なる特殊な爆撃が行われ、その被害は甚大である。この対策として、職員を派遣して、(1)爆撃の惨害の程度を確認し(2)被害者診療の指導方針を決定し(3)将来に於ける防護の対策を樹立する」という命令を受けます。陸軍軍医学校は、調査団と治療班の派遣を決定し、特殊爆弾がウラニウム爆弾(原子爆弾)の可能性が高いと、仁科研究所で学校高級副官がレクチャーを受けます。翌日、東海道線不通のため、立川から飛行機で調査員が現地入りしました。8月10日、調査団は日赤病院に保管されていたX線フィルムが感光していることから、放射能の存在を確認しました。同時に、アメリカ軍のラジオ放送を傍受した陸軍省も、原子爆弾だと認識します。
 当初は医学面から「将来に於ける防護の対策」を模索します。必ず肌着を着用し、白い服を着ることなどを徹底させています。
 その間に9日には長崎が被爆し、15日には終戦を迎えます。調査団は目的を「治療方法の調査」に変更して調査を続行しました。
 同時に、外科担当の軍医を削減し、内科、口腔外科、皮膚・泌尿器科、放射線科、病理、衛生などの専門医を増強しています。その後は米軍の調査団とも合流し、合同調査が行われ、救護班も米軍の支援を受けながら治療を続行しました。
 報告書が発行された11月30日は、物理、化学、医学などの各界の識者が参集して原子爆弾災害調査研究特別委員会の第1回報告会が開催されています。
 また、この日は終戦処理を終えた陸軍省が廃止となった日です。同時に隷下の医務局も廃止、その隷下の陸軍軍医学校も廃校処分となっています。この報告書は、陸軍軍医学校として発行された最後の報告書ということになります。
 その表紙裏には「本報告ヲ敢闘空シク斃(タオ)レタル多数ノ同胞ノ霊ニ捧グ」と書かれています。またこの2ページには、広島の荒廃した廃墟の絵が書かれています。軍の正式な報告書の体裁としては、極めて異例なものと言えます。
 報告書の内容は終戦から8年を経た昭和28年(1953)に日本学術振興会から、ほかの多方面の調査報告と共に出版されています。また、複写資料が広島平和記念資料館に収蔵されています。今回見つかった報告書はこれらの原本に当たるものです。編集作業を急いだのでしょう。タイプ打ちのガリ版刷りで、酸性紙は限界を超えて、崩壊寸前の状態です。
 内容の精査と共に、貴重な一次史料の保存方法の検討が始まっています。


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