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決め手は即応力
恐羅漢スキー場で遭難
行方不明7名を捜索・救助
《13旅団》
警察、消防、地域とも連携
2月3日、国設恐羅漢スキー場(広島県山県郡安芸太田町)山頂付近でスノーボーダー5名とスキー場関係者2名が午後3時頃から音信不通となった。第13旅団(旅団長・佐藤修一陸将補)は、4日12時58分に広島県知事から、災害派遣の要請を受けた。
第46普通科連隊(連隊長・松村芳治1佐)は行方不明者の捜索・救助のための旅団の行動命令に基づき、連絡班を速やかに現地対策本部に派遣し情報収集と通信態勢を確立するとともに、旅団の基幹部隊として派遣準備を整え5日の午前2時海田市駐屯地を出発。現地到着後、速やかに寒冷積雪地用装備を身に纏い捜索の態勢を完了した。
捜索隊主力は、午前8時頃リフトにて山頂付近まで前進し部隊を展開、速やかに捜索を開始した。
また、同時期に国道488号線広見林道から山頂に向う経路上捜索の任務を有する連隊直轄小隊(小隊長・坂口剛3尉)は地元消防団員と捜索中9時30分頃、先頭を歩いていた坂口3尉と、地元消防団員がまず2名を発見した。その後、後方に5名がいるとの情報を受け、発見場所から100m東側で確認保護。
じ後、坂口3尉以下は、7名の遭難者を車両(高機動車及び救急車)の位置まで後送、ヘリポートまで輸送し無事任務を完遂した。
〈災害派遣部隊〉
▽第8普通科連隊▽第46普通科連隊▽第13後方支援隊▽第13偵察隊▽第13飛行隊▽第13対戦車中隊▽第13通信中隊▽第13旅団司令部付隊▽第304施設隊約540名▽車両約90両▽航空機4機
なお、2月7日には旅団司令部で広島県知事、安芸太田町長から、関係部隊に対して感謝状が贈呈された。
「生存者発見!」
スキー場行方不明者捜索
第46普通科連隊第1中隊(海田市) 3陸尉 坂口 剛
「見つかったぞ、元気だぞ」、思わず発した私の声で静寂が破られた。7名のスノーボーダーが行方不明になってから48時間に近づき、その安否に一抹の不安を感じつつ、降り積もった雪を掻き分けながら黙々と山道を進んでいた、その瞬間、7名の無事を確認した感動の瞬間、私が第一発見者になった瞬間であった。
2月3日、広島県と島根県との県境付近に位置する恐羅漢スキー場で7名のスノーボーダーが行方不明になり、翌4日12時58分、第13旅団に対して広島県知事から災害派遣の要請があった。私が所属する第46普通科連隊がその主力で捜索救助隊が編成されることとなり、私も小隊長として、出動を命ぜられた。私は陸上自衛隊入隊以来10年になるが初めての災害派遣出動であり、緊張感と「絶対に7名全員を自分が発見、救助するんだ」という思いが交錯する中、慌ただしく海田市駐屯地を出発して、現地に向かった。
私の指揮する第1小隊は、中隊から独立して、地元消防団と協力しながら島根県側の山道沿いに行方不明者を捜索救助する任務を付与された。中隊長から出発前に訓示された「現地での指揮官はお前じゃ、消防団員としっかり調整するように」との言葉を胸に、移動する車中で、2つのことを考えた。その1つは「行方不明者の救助」であり、もう1つは「隊員の安全確保」であった。特に、2つ目の「隊員の安全確保」については、寒冷地装備を保有せず、積雪地での経験が初めての我々にとって、大切なことであると胸に刻んだ。
2月4日午前8時30分、いよいよ捜索開始となり、山道入り口を出発した。消防団員が道案内となってくれ、20名の小隊の先頭を私が進んでいった。山道入口から約2.5km進んだ、午前9時30分頃、山道沿いにトボトボと歩いてくる2名を私が発見し、歩み寄った。その後方を5人の人が歩いているのを確認した。7名は疲労の色は隠せないものの全員が無事であり、小隊一同感動と安心での歓声となった。
7名は、我々が寄り添いながら山道入口まで徒歩で下山、じ後、ヘリコプターで大学病院等に後送され、その無事が確認された。
この経験を通じて私が感じたことは、隊員一人一人が自分の任務をよく理解し、「必ず発見するぞ」という強い意志と情熱が小隊内に漲っており、小隊が一丸となって任務達成に取り組めたからこそであるということである。今後、この感動を生かして、引き続き物心両面の即応態勢に磨きをかけ、国民、地域の人々の負託に応え得るよう小隊を作り上げて行きたいと、心を新たにした。
農林水産省職員33名が4術校で研修
第4術科学校(校長・加藤典男海将補)は1月21日から2月1日までの約2週間、平成20年度に、海上自衛隊に配置転換される農林水産省職員33名の配置転換予定者研修を実施した。=写真
この研修は、平成18年6月に閣議決定された「国家公務員の配置転換、採用抑制等に関する全体計画」に基づき、昨年度から実施されており、今回で2回目。
研修生は開講式における、加藤校長からの「研修に臨むに当っては虚心坦懐であれ」との激励のあいさつを受け、研修がスタートした。研修期間の前半は、自衛隊員として必要な組織編成及び任務、礼式、基本動作等の素養研修に取り組み、後半は、配置転換後の予定配置である経理、契約、補給、厚生の4グループに分かれ、各職種の実践的な知識・技能を修得するための技術研修が行われた。
素養研修では、基本動作、自衛隊用語等に戸惑いながらも、海上自衛隊の気風を受け入れようと全員が真剣に取り組んでいた。また、技術研修では、未知の職種への不安を抱きながらも、予定配置に関する知識・技術の習得に積極的に努め、新たな配置における業務の基礎知識を習得していた。
研修生に与えられた期間はわずか2週間であったものの、本研修を通じて海上自衛隊について学ぶとともに、伝統の「5分前の精神」に触れ、4月からの自衛隊員として勤務する決意と希望を胸に抱き、在校生に見送られ、無事に修講した。
37普連で19年度7月入隊隊員修了式
第37普通科連隊(連隊長・柴田昭市1佐)=信太山=は、1月16日、平成19年度7月入隊隊員後期教育修了式を行い、6名の新隊員が参加した。
信太山協力会会長の吉田常佳氏をはじめ来賓4名と隊員家族12名が見守る中、新隊員は一人前の自衛官としての責任感を噛みしめ、「中隊で即戦力となれるよう頑張っていきます」と、今後の意気込みを見せていた。
また、会食においては、新隊員の後期教育における訓練などでの活躍を総集したビデオ上映を行うと、我が息子の逞しく且つ勇敢な姿に、父兄は感動し目頭を熱くしていた。
最後に新隊員全員により教育隊歌及び連隊歌を合唱し、同期との絆を深めるとともに団結を強固にした。
巨大氷像が完成
《25普連(遠軽)》
第25普通科連隊(連隊長・手塚信一1佐)は2月8日、紋別市海洋公園で行われた「第46回紋別流氷まつり開会式」で、かねてから製作していたメイン氷像を引き渡した。
氷像製作を担当した支援隊(隊長・福田宣俊3尉)33人は1月16日から終日氷像製作に取り組み、厳寒のオホーツク海を臨む地で寒さと格闘しながら、遂に同まつりのシンボルとなる「ザ・ウインザーホテル洞爺」を完成させた。
開会式は手塚連隊長が出席し、実行委員らと共にテープカットで開幕を祝った。その後、福田支援隊長が実行委員長(紋別市観光協会会長・畑中正義氏)に目録と共に氷像を引き渡すと、実行委員会から支援隊に感謝状が贈られた。
同まつりは11日で終了するが、畑中正義実行委員長は「メイン氷像はまつり期間が終了してもしばらく残しておきたい」と、太陽の日を浴び、透きとおる氷像を見上げながら話していた。
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