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健軍Aが初優勝
《全国自衛隊剣道大会》
個人戦は新人大活躍!
第33回全国自衛隊剣道大会が2月2、3の両日、朝霞駐屯地内の自衛隊体育学校体育館で行われた。
2日午前9時半から開会式が始まり、国歌斉唱、優勝旗(杯)返還に続いて、選手、役員約300名を前に志摩篤会長(元陸幕長)が「剣道は精神的要素が大きな分野を占めている武道であり、日本の伝統文化を継承する尊い歴史的意義を有するものがある。常日頃の<RUBY CHAR="稽古","けいこ">で体得した精神力と精妙な技を積極的に発揮し合う武人として、正々堂々と気魄のこもった立ち会いを期待する」と挨拶した。引き続き、感謝状贈呈、永年出場者顕彰などが行われたあと、石井勝義教士8段と猪股弘教士8段による日本剣道形の演武が披露された。
午前10時すぎから個人戦を皮切りに白熱した試合の幕が切って落とされた。約100名が出場した6段以上の部では小柳勝2曹(6段)が、約140名が出場した5段以下の部は藤本直矢士長(3段)が、約70名が出場した女子の部は岩木真美1士(3段)がそれぞれ緊迫感あふれる接戦を制し、見事初優勝に輝いた。また、雪の舞う翌3日に行われた団体戦(131チーム参加)決勝は、健軍Aが郡山Aを3対0で破り初優勝した。
※試合結果は次のとおり
〈団体戦〉【優勝】健軍A【準優勝】郡山A【第3位】佐世保A、北熊本B【優秀賞】別府A、北熊本C、小倉A、湯布院A
〈個人戦男子6段以上の部〉【優勝】小柳勝(小倉)【準優勝】永野道徳(都城)【第3位】寺崎圭一郎(対馬)、渡邉好章(船岡)【優秀賞】朝日久人(守山)、上村浩三(別府)、蓑田順市(別府)、後藤稔憲(八戸) 〈同5段以下の部〉【優勝】藤本直矢(別府)【準優勝】北村幸大(小月)【第3位】中村一貴(伊丹)、中山田勝美(美幌)【優秀賞】西薗良太郎(武山)、出口恵貴(湯布院)、佐藤雄輔(多賀城)、小川幸造(宇都宮) 〈女子の部〉【優勝】岩木真美(健軍)【準優勝】境美紀(福岡)【第3位】原山梓(湯布院)、山本香苗(空教隊)【優秀賞】中村優子(多賀城)、増尾彩子(朝霞)、園田典華(浜松)、西山未都姫(福岡)
福知山曹友会が100リットル献血運動実施
福知山駐屯地曹友会(会長・赤坂曹長)は、「深めよう地域の絆・我らの血液(ち)こそ国のため」をスローガンに1月16日、毎年の恒例行事となった100リッター献血運動を実施した。
曹友会では毎年冬の時期に血液が不足していることから、地域のためにという思いでこの運動を実施している。曹友会員は駐屯地隊員に対し、朝の出勤時には正門付近で、昼休み、課業終了後においては売店前等で献血協力の呼びかけを行い、献血車には善意ある隊員が多数集まり献血が行われた。
曹友会長は、「隊員の協力により229名、91・6リットルの献血、22名の骨髄バンク登録に協力を頂き、曹友会が当初目標に上げていた 100リットルには届かなかったが、駐屯地隊員の気持ちに感謝します」と述べた。また、本部管理中隊の安藤2曹は「私は13年前に阪神大震災を経験、その時、自衛隊やその他いろいろな方々に助けられた。形は違うが献血や骨髄バンクに登録する事で少しでも社会や困った人の役に立ちたい」と語った。
曹友会では、この献血運動を通して、地域との絆はもとより、地域貢献の大切さを再認識し、市民に尊敬され必要とされる部隊づくりに貢献していくとしている。
中学生9人の職場体験学習を支援
《大村》
大村駐屯地(司令・河井1佐)では、1月22から24までの3日間、西大村中学校2年生9人(男子8・女子1)に対し職場体験学習支援を実施した。
この9人は、同校が2学年での総合的な学習時間の一環として実施している職場体験学習で、陸上自衛隊大村駐屯地を希望した。22日は史料館で、広報活動のビデオ鑑賞・基本教練・レンジャーロープ訓練を体験、23日は駐屯地内の整備工場等の各施設見学(昼食は駐屯地食堂でカレーライスを喫食)、24日は各教育現場や、軽装甲車両の見学また、高機動車による体験試乗を実施した。
この職場体験学習を通じて「自衛官の日々訓練の重要性や災害時における命がけの行動に感動した」「チームワークや挨拶の重要性を理解した」「自衛隊に入りたいと思った」などの感想を残し駐屯地を後にした。
より分かりやすく
バス停名称を変更
陸上自衛隊幹部候補生学校までの主要な交通機関である西鉄バスの最寄りバス停名が平成19年12月1日に、「自衛隊前」から「自衛隊幹部候補生学校」へ変更された。
路線開設以来、正門前にあるバス停名は「自衛隊前」だったが、幹部候補生学校前に相応しい名称にすべきだという意見があり、早速、西鉄バスとの交渉を開始。「全国から年間約1000名の入校者がいる」、「自衛隊前では他のバス停と混同する」などの理由から、このほど、西鉄バスはダイヤ改正に伴い改称した。
「全国5万人の幹部候補生学校卒業生をはじめ部内外の方々には、はっきりと幹部候補生学校だと分かるバス停名になりましたので、是非ご来校いただければ」と幹候校職員は話している。
彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
乃木式義手の発見(2)
7個の存在を確認
〈シリーズ72〉
乃木式義手開発の経緯は、石黒の口述として国家医学会雑誌に詳細な記録が残されています。これまで乃木式義手を紹介した論文は、全てこの記録に基づいて考察されています。
しかし、乃木式義手の実物の検証は、彰古館所蔵の旧陸軍軍医学校旧蔵品も含めて全く実施されていなかったのが実情です。そこで生まれた風評が「乃木式義手は彰古館所蔵の1個しか製作されていない」「しょせん欧米よりも遅れた義手だ」「乃木大将ではなく、東京砲兵工廠の仕事である」などその存在価値を否定するものがほとんどでした。
柿沼の拝受した2個目の乃木式義手の発見により、再調査を実施しました。
義手や義足という人工補装具は、個人の症状に合わせたオーダーメイドが基本です。今回、写真を含めて数種の個体を確認しました。
1個目の試作品は、図面化する際の雛形となったもので、これは写真が残っておらず、既発表の図面上でも確認できていません。
国家医学会雑誌の取材時では、東京砲兵工廠で2個目が完成する直前であり、水沼作次郎という負傷者に下賜された掲載写真はこの個体になります。このタイプは、本体が脇の下に固定されるのが特徴です。当初、腕全体の長さをカバーしようとしたものです。身体への固定は、細い革紐で縛っています。
水沼以降、廃兵院の柿沼要平に下賜されています。この義手は乃木大将の申し出により、乃木家に返送されて、砲兵工廠で改修を受けました。これが今回発見された義手になります。柿沼の進言により、本体は脇腹に固定され、失った前腕部分の機能を補填するようになっています。固定も、腹の革ベルトとバックルに変更されています。
国家医学会雑誌に掲載された図面は、この柿沼の義手に合わせて、一部が書き換えられています。この時点で、まとまった数の義手が製作されているようで、彰古館の現存品は同時期のものです。石黒忠悳軍医総監は、野村清十郎という負傷兵にも下賜されて、廃兵院で最も人気のある絵師になったと述べています。
一般の研究者は、水沼の写真が彰古館の現存品と考えていますが、両者は細部で異なった造りのものです。
柿沼が、翌年の明治40年(1907)廃兵院院長へ宛てた手紙の下書きが、義手と一緒に保管されていました。「今回、義手の御送付を受けましたが、すでに入院中に乃木大将から直接拝受しており、不具合を直して頂きました。今回の義手はお返しした方が良いでしょうか?」とあります。
柿沼は、思い出深い乃木大将に手直しして貰った最初の義手を手元に残し、新品の義手は返却しました。
さらに後には、柿沼の義手は腕部の固定方法が変更されています。5年後の明治44年(1911)にドレスデンの衛生博覧会に展示された義手は、新規に作成された新品ですが、この最終形態の特徴を持っています。
今回、現存史料を仔細に再検証した結果、各個体が重複している可能性を考慮しなければ、少なくとも7個の乃木式義手の存在が確認されたことになります。
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