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「心一つに」
江渡副大臣、大地隊を視察
北方警備隊員の労ねぎらう
1月16日、大湊地区(大総監・武田壽一海将)において江渡聡徳防衛副大臣の視察を受けた。当日の海上自衛隊大湊基地は年初から本格的に降り出した雪にすっぽり覆われていたが、副大臣が地元出身ということもあり、寒さをまったく感じさせない熱気に満ち溢れた視察となった。
国会閉会中の隙間をぬうように大湊航空隊に到着した副大臣は、総監部で整列する約300人の隊員による出迎え・栄誉礼を受けた。その後、幹部あいさつ、現状報告を受け、小雪舞う中、総監部地区及び護衛艦じんつうを視察した。今回特に石破茂防衛大臣から要望のあった各部隊の先任伍長との懇談では、各先任伍長が直接副大臣に日頃の任務遂行状況を述べると、江渡副大臣が現場で職務に邁進する隊員の労をねぎらうとともに、大臣から2等海士に至るまで心を一つにして難局を乗り切ろうとの言葉があった。
視察最後の訓示で江渡副大臣は「防衛省へ移行後、今まで潜在していた課題が浮き彫りになった1年であった。目下、防衛省のみならず政府においても、問題解決に取り組んでいる所である。職種や制服の色、あるいは制服と背広の違いに関わらず、われわれはこれを他人事とは思わず、自らのことと考え職務に精励し、直面している課題を一丸となって対処しなければ『国民の信』を得ることはできない。国の防衛という使命は、他の誰にも為しえない唯一にして崇高な職務である」と訓示し、より一層の刻苦精励を求めた。
大湊地方隊では、今回の副大臣の視察を受け、現下の厳しい時期を隊員の情熱と粘り強さで乗り切ると共に改めて北方警備の任務を全うすることを誓い合った。
下関基地隊が合同防災訓練に参加
下関基地隊(司令・柴田孝宏1佐)は1月17日、下関市の災害対策本部(本部長・江島潔市長)が主催する平成19年度下関市・長門市合同防災図上訓練に参加した。
これは、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災を教訓として、災害対策基本法及び同市地域防災計画に基づき、管轄区域において発生する恐れのある災害に対して、総合的な防災訓練を実施し、災害発生時における対応能力の向上と防災意識の高揚を図る目的で、例年この時期に実施しており、今回で6回目の開催。
また、今回は下関市の北側に隣接する長門市との間で、災害発生時の救急救助活動や被災者の受入れ、生活必需品の提供、職員の派遣などで支援し合う防災協定が締結されたことにより、相互の救援体制の確立を図る訓練も併せて実施された。
下関市の訓練会場となった下関市役所7階大会議室には、陸・海自衛隊、下関市、山口県、警察、海上保安部、国土交通省等の各防災機関やライフライン関連企業など13の機関約150名、下関基地隊からは、基地隊司令以下6名の隊員が参加した。
訓練は、午前8時45分「平成20年1月17日午前5時45分頃、下関市の北東約10キロに位置する菊川断層を震源とする地震(マグニチュード7)が発生、下関市で震度5強から6弱を観測、この地震により、各地で家屋が倒壊、市内では火災が発生、また、電気、ガス、水道等のライフラインに大きな被害が発生している」との想定で開始された。会場には、2基の特設のスクリーンが設置され、人的被害、火災発生状況、主要道路被害、鉄道の状況、港湾被害、ライフラインの被害、地震発生後の初動対応等地震発生から3時間までの被災状況がリアルタイムに表示された。対策本部は、地震発生3時間後から6時間までの初期段階の対処要領に重点を置き演練した。集まった地震による被害情報を元に対応策を検討、各防災関係機関や市役所の関係部局に対し支援要請などを行った。
また、防災協定を締結した長門市と対応要領についても演練がなされた。
刻々と変化する被災状況への対応や情報の共有などの訓練において、下関基地隊は交通船による下関市六連島の被害状況調査、地元被災地域への災害派遣部隊(1個隊40名)の派出、地震により発生した火災の消火活動のため消防車の派遣、海上自衛隊中型ヘリコプター派遣要請等の状況が付与され、他の防災関係機関等との連携を図り訓練は終了した。
「黒豹起動in東富士」
34普連が訓練検閲
第34普通科連隊(連隊長・三浦直人1佐)は1月22日から24日までの間、雪で白一色に染まった東富士演習場で「平成19年度第3次中隊訓練検閲」(受閲部隊・第5中隊)検閲課目「徒歩行進に引き続く軽易な陣地に対する攻撃」を実施した。
22日、状況開始に先立ち、受閲部隊の隊容検査が実施され、統裁官は「敵を予測して行動せよ」「いかなる場合においても柔軟な対応をとれ」「企図を徹底せよ」「安全管理を徹底せよ」の4点を要望した。
第5中隊は22日午後8時、積雪後の路面圧雪という状況のなか、靴に創意工夫した滑り止めを装着し整斉と徒歩行進を開始し、23日午前3時45分までに中隊集結地に到着して安全化を実施した。午前7時35分、引き続き前衛小隊は車両による接敵行進を開始し、敵を発見するや先制火力を集中するとともに機動力を発揮して敵の警戒部隊の駆逐を図った。
翌24日午前5時30分、中隊は敵主陣地攻撃のための戦闘展開を完了し攻撃を開始した。限られた火力を有効・適切に運用しながら敵に緊迫し、第一線小隊及び火力戦闘部隊は相互に連携を図り障害処理を実施した。午前7時30分、砲迫火力部隊の突撃支援射撃後、中隊は攻撃目標に一気に突入し陣内戦闘を展開して目標を奪取した。
25日、駐屯地で訓練検閲講評が行われ、統裁官は「統裁官及び受閲中隊長要望事項を具現すべく全隊員が厳しい気象条件にも負けず、一丸となって検閲に臨み任務を達成した。中隊は本検閲で得た成果をじ後の練成訓練に反映せよ」と講評を締めくくり訓練検閲は終了した。
なお、中隊検閲参加中に石原太一3曹(迫撃砲小隊1分隊長)に第1子(長男)が誕生したとの報告を受けた統裁官が石原分隊長を激励する姿も見られた。
32普連、戦技競技会を実施
第32普通科連隊(連隊長・曽田健史1佐)は1月16日、大宮駐屯地において平成19年度後方戦技競技会を実施した。
この競技会は、後方戦技能力の練度向上とその重要性を再認識させる事を目的とし、車両の部と炊事の部がそれぞれ実施された。
車両の部は、交通法規、運行前点検、車両操縦技術からなり、参加選手は平素から培った技術を競い合った。
炊事の部は、「震災被災者に対する食事の提供」との想定で実施され、被災地への進入から炊事施設の展開に引き続く調理、配食からなり、各炊事員は中隊の応援の中、競技に集中していた。
競技終了後、審査員として参加した協力者は「どれもとてもおいしい」と語り、採点に悩んでいた。
採点の結果は、炊事の部は第5中隊が、車両の部は第2中隊がそれぞれ第1位となり、総合優勝の栄冠には第2中隊(中隊長・吉原3佐)が輝いた。
第4師団持続走競技会でアベック優勝!
《大村駐屯地》
1月18日、大分県にある日出生台演習場で実施された平成19年度第4師団持続走競技会において、大村駐屯地の第16普通科連隊(連隊長・河井繁樹1佐)と、第4施設大隊(大隊長・長浦2佐)がアベック優勝を果たした。
競技会に向けて、連隊・大隊では各OB会長の参加のもと壮行会を行い、昨年の雪辱を果たし優勝することを祈念した。競技会は、今年も昨年同様に断郊駅伝方式で行われた。開会式で第4師団長・宮島陸将は「最後まで油断しない勝利への執念と、選手以外の隊員も含めた部隊の、団結の強化を諸官らに要望する」と訓辞を述べた。
競技会は、午前9時に出走し、連隊・大隊は1区から先頭を切って快調な走り出しを見せた。この競技会には、防衛モニターとOBも応援にかけつけ、激走する隊員に大きな声援を送っていた。しかし競技会の序盤から中盤にかけて、連隊は41普連に、大隊は対馬警備隊に抜かれ苦戦を強いられた。
だが、連隊は6区で驚異の巻き返しを見せ、その後もトップの座を譲らず2位の40普連に4分の差を付けて、悲願の優勝を手にした。大隊も対馬警備隊に6秒という僅差ではあるが1位の座を勝ち取り、連隊・大隊ともに去年の雪辱を果たし、大村駐屯地アベック優勝を果たした。
駐屯地での出迎え・祝勝会には、両部隊隊員のほか、応援に来たOBと防衛モニターに加え、防衛協会青年部等来賓も参加し、アベック優勝の喜びを分かち合った。
インド洋補給支援再開へ
海自OB 菊池繁道
テロ対策特別措置法の失効に伴い、インド洋での補給活動を終了した第6護衛隊司令・尾島義貴1佐を指揮官とする派遣海上支援部隊の補給艦「ときわ」(8150トン)、護衛艦「きりさめ」(4550トン)(佐世保)が補給活動を中断し、昨年11月23日無念の帰国をしたことは周知のとおりである。
しかし、このたび、特別措置法継続法案の国会可決によって、給油、給水活動が再開されることになって、1月24日、横須賀の護衛艦「むらさめ」(4550トン)、翌25日、佐世保の補給艦「おうみ」(13500トン)がインド洋に向けて相次いで出航した。防衛省をはじめとする政府関係者、隊員家族等の見送りを受けて、約3カ月の壮途となった。この度の派遣部隊指揮官は、第1護衛隊司令・佐伯精司1佐(35期幹部候補生、愛媛出身、東大法卒、47歳)である。過去に艦長としてインド洋補給支援に従事した経験を持つ。
佐伯1佐は、60年3月、3等海尉に任官し、はまゆき、あさゆき、さわゆき、いしかり等水上艦艇乗りのつわものだ。私が江田島の幹部候補生学校の航空教官で勤務していた59年4月のことである。佐伯候補生と話す機会があったので(学生も多忙)、「君は東大を出て、一般にいう各省庁を受けないで、どういう動機で海上自衛隊に入隊したのか」と質問したら、彼いわく「今の自衛隊は、行政事務的で、私は艦長になるため海上自衛隊にきたのです」という明快な答えであった。私も同じ考えで勤務していたので、もう嬉しくて嬉しくてたまらなかった記憶がある。
彼がこうしてスキッパーとして、また護衛隊を率いて外国や大海原に活躍している姿を見て、何でも支援して援護射撃をしたい衝動にかられる。35期には京都大卒の高島1佐もいる。潜水艦のりだ。
佐伯艦隊が無事任務を終えて帰国するときには迎えに行くつもりだ。
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