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   2006年12月1日号
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技本創立54周年式典
新たな創造へ
初めて事務官、技官を表彰
安江本部長「積極的広報」など要望
 技術研究本部創立54周年記念式典が11月16日、技本大会議室で行われ、自衛官のほかに今年初めて職務遂行などで事務官と技官が表彰された。また、本部長感謝状贈呈式では、「新島支所における誘導弾発射試験への協力」の功績で出川長芳村長が初めて受賞した。
今年度から初めて表彰された事務官、技官に賞詞を手渡す安江本部長
 記念式典は午前10時から始まり、伊藤盛夫副本部長をはじめ技本の幹部、職員多数を前に安江正宏本部長が、我が国の防衛を取り巻く環境や国際情勢も激変の時代を迎えた中での技術研究本部の在り方について触れ、変化に対応するために「積極的な広報(PR)」「人的資源の有効な活用」「チームワークの大切さ」などを強調、「期待される技本像」へ向け精進するよう訓示した。
 引き続き、技術表彰(賞詞=22名・8件)、職務遂行表彰(賞詞=102名)、機関表彰(賞状=1件・航空装備研究所「今年8月26日深夜に発生した民家火災への職員9名による消火活動等)、グループ褒賞(2件)が順次行われ、安江本部長が受賞者一人ひとりに賞状を授与する度に、職員や関係者から大きな拍手が送られていた。
 また、本部長感謝状贈呈式が11時半から同大会議室で行われ、出川新島村長、川崎重工業(株)、日本電気(株)、(株)島津製作所に安江本部長が賞状を手渡したあと、それぞれの受賞功績を高く評価しながら一層の協力を要望した。

佐地隊で自衛隊記念日行事開催
 11月1日、佐世保地方隊(総監・香田洋二海将)では、自衛隊記念日行事を挙行した。当日は、午前8時30分から平瀬武道場(佐世保市平瀬町)で永年勤続者表彰が実施され、勤続25周年を迎えた69名の隊員一人一人に総監から表彰状が手渡された。
 午前10時30分からは、東山海軍墓地(佐世保市東山町)において、殉職隊員に対する追悼式が行われたあと、午後4時40分からは平瀬武道場で記念式典が行われ、防衛基盤の育成や就職援護等に協力した個人4名と2団体に対し、総監から感謝状が授与された。
 式典の中で総監は、「自衛隊の主たる任務であった我が国の防衛に加え、予期せぬ大規模災害への迅速な対応についてもその任務を担って行かなくてはなりません。これは海上自衛隊のみで達成することができるものではなく、来賓の方々や国民の皆様の温かいご理解、ご支援が不可欠であります」と式辞を述べた。
 夕刻には平瀬体育館で記念祝賀会が行われ、佐世保自衛隊後援会会長の辻洋三氏が挨拶した後、総監、来賓代表等により鏡割りが実施され、招待客と隊員が談笑し、和やかなムードの中、祝賀会は終了した。
 また、立神・倉島両岸壁に係留中の各護衛艦等は、日中は満艦飾、日没後は電灯艦飾で市民を喜ばせた。

イラク派遣を終えて シリーズ
初の広報業務を無事こなす
空自第2術科学校第2教育部 2空曹 加藤 穂
 まだ肌寒い3月初旬、出発のため小牧基地へ集合した際は未知の国に対する期待感と同時に、広報業務という普段とは全く異なる役職に対する不安感が入り交じり、非常に複雑な心境だったのが昨日のように思い出されます。私は高射特技なのでこれまでに何度も米国への出張は経験していますが、今回は「出張」ではなく「派遣」であり、「訓練」ではなく「実任務」でした。娯楽施設等の充実した米国ではなく戒律と自然環境の厳しいイスラム教の国クウェート。そして広報という全く未経験の業務。カメラ付き携帯電話や安物のデジカメは所有しているものの、本格的なプロ仕様のカメラによる写真やビデオの撮影など想像もつかない世界。初めての土地で自分がどこまでやれるのか?不安と同時に自分の能力に興味深々でした。
 現地到着後、前任者からの申し受けを終え、早速デジカメを手に写真を数枚撮影。まず撮影するタイミングが合わない。撮ったときにはもう相手は動いていて、何の光景かわからない写真ばかり。さらには被写体に遠慮するあまり、ついつい遠くから撮影してしまう。それじゃ駄目だと周囲に促されるも、慣れるまでには随分時間がかかりました。先に来ていた山本3曹の撮った写真と自分の写真を比べるとその違いは歴然。素人目にもはっきりわかる自分の未熟さには呆れるほかありませんでした。
 他にも自分にとって未知の世界がいっぱい。飛行場地区への立ち入り要領や禁止事項、航空機への接近要領、外国VIPの撮影及び他国軍地区での禁止事項等。そして慣れてくると今度は慢心が起きてきます。一度クウェート軍庁舎内で保全ポスターらしき掲示物を見かけ、そのシュールな絵柄に軽い気持ちで写真を撮ったところ相手側からクレームがつき、謝罪したことがありました。そのときはたいした問題にはなりませんでしたが後で考えるとこれは重大なミス。他国軍の施設内で無許可で写真撮影をしたわけですから、場合によっては両国の信頼関係を損ない、深刻な問題にもなりかねなかったわけです。自分の軽率な行動に非常に反省させられました。
 そんな行き当たりばったりではありましたが、派遣期間も終わりにさしかかる頃には少しは広報業務というものがわかり、何とか要領よく仕事をこなせるようにもなり(手抜きを覚えた?)、写真も少しだけ上手くなりました。周囲の協力もあり、4ヶ月間の派遣期間を無事に終えたことは、自分にとって貴重な経験となったことはいうまでもありません。

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