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   2006年8月1日号
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22空群8名、インド洋派遣へ
<海自大村航空基地>
支援活動開始以来、4年半迎える
鮒田司令「立派に任務完遂を」
基地隊員や家族ら多数の見送りの中、派遣隊員が搭乗したSH-60Jヘリ2機が離陸
 6月22日午前、第22航空群(群司令・鮒田英一海将補)にとっては17回目となるインド洋派遣搭載航空機の出発式が、梅雨空の下、大村航空基地で行われた。
 出発式には、在隊隊員のほかに、隊友会(大村支部長・尾道氏)、自衛隊父兄会(大村副支部長・西村氏)、海自大村OB会(会長・佐野氏)をはじめ大村市民、派遣隊員家族ら約40名が参列。派遣隊長・松尾3佐以下8名を盛大に見送った。
 鮒田群司令から「テロ対策特別措置法に基づき開始された海上自衛隊のインド洋派遣は4年半を迎えている。派遣当初から、テロリストとの戦いは長くなるかも知れないと言われていたので、もとより長期戦は覚悟の上。今回も、日頃の訓練成果を生かし、立派に派遣任務を完遂してきて欲しい」との力強い訓示を受けた8名は、大勢の見送りの市民、隊員の前を2機のSH-60J航空機に搭乗、広島湾で待つ護衛艦「さざなみ」に向けて飛び立って行った。
 また、第124航空隊(司令・壹岐浩一1海佐)は、派遣に先立ち6月19日、同航空隊の所在する大村市長(大村・東彼防衛協会会長)松本崇氏を表敬訪問した。司令の市長への挨拶のあと、派遣隊長は「国の代表、そして大村市民の一員として、与えられた任務を遂行し、無事に大村の地に再び戻ってまいります」と力強く所信を語った。
大村市長(中)を囲んで

米国の歴史と現状を再認識
=ボルチモア寄港地所感=
遠航部隊「かしま」実習幹部 3尉 黒澤 満
 日本を旅立って早3か月目、スペイン語圏をすり抜け我々日本人に一番馴染みのある国アメリカにきた。6月21日夜、時間調整のためアナポリス沖に仮泊、すぐそこにまだ見ぬ超大国があるのかと思うと自然と胸が高鳴った。明けて22日午前4時、空に星がうっすらと見えるうちから出港。キーブリッジを抜け、目の前の病院船の大きさに心を躍らせながら一歩一歩初めてのアメリカ本土に近づいた。どの寄港地でも感じることであるが、目の前に灯る街の明かりは何時でも心を和ませる。入港した港は中米国家のような異国情緒はなかったが、自然と心が穏やかになる場所だった。初日は防衛駐在官吉田海将補と米海軍作戦部副部長モーガン中将に貴重なお話を聞かせていただいた。共通していたのは目に力があるということだった。威圧するという意味ではなく、純粋に人を引き込む力があるということである。正直なこと言うと講話がある時はどうしても一度は眠くなるが、この日は最初から最後まで集中して聞いた。どうすればあんな目を持つことができるのかは分らないが、とにかく日々を一生懸命生きることで心根から近づきたいと感じた。
 6月23日、研修のために自衛艦旗掲揚を待たずして艦を出発した。行き先はアナポリス、ペンタゴンといった我々の職業には馴染みのある場所である。バスに揺られること約1時間、予定よりも早く着き過ぎたため、門が開いていないというハプニングがあったが、無事最初の目的地であるアナポリスに到着した。バスを降りたとたんに広がる青々とした芝生に目を奪われた。まるで中世のヨーロッパのような雰囲気に江田島のような場所を想像していた私は面食らってしまった。アメリカ人のスケールの大きさ、世界の覇権を握る国の一部に触れた気がした。アナポリスでの行動は自主見学であったので、連絡官の方の説明を聞いてからジョン・ポール・ジョーンズの遺体が安置されている場所へ向かった。豪華というよりも厳粛な雰囲気に見物気分は一掃され、神妙な気持ちでお祈りをした。アメリカ海軍のルーツを感じた。日々の訓練において御座なりになっている、先人に敬意を持つことの大切さを再度認識した。
 ペンタゴンでは、テロ関係の資料が多数展示されており、テロ事件に対する米国人の悲しみが如何に深いかを痛感した。テレビ等を通じて事件を知ることはできても、実際に起こったことを感じることはできない。何かが起きたことに対して最大限のアンテナを張っていても、身近に感じることには限度がある。実際に足を伸ばして現場を見に行き、その世界に飛び込むことの大切さを学び取った一日となった。
 6月24日、この日はアーリントン墓地、リンカーン記念公園、ホワイトハウス、スミソニアン博物館群、国会議事堂を見学した。中でもスミソニアンにあるほとんどの美術品や展示品は寄付されたものであると知り、自分の私腹を肥やすのではなく皆で共有する米国人のスケールの大きさに驚いた。私達日本人も見習いたいものである。アーリントン墓地では国家のために闘った人達が、如何に大切に扱われているかを知ることができた。我々が行った時、ちょうど献花式が行われていた。流れてくるラッパの音が、戦争で闘い国を守った者を失った悲しみを思い出させているようであった。アメリカにも日本と同じように戦争に関する資料館や記念碑が沢山ある。そのどれもが戦争は悲しみを生み出すものであると訴えている。この日は軍人の存在意義を考えさせられる一日であった。
 6月25日、ボルチモア最終日、朝8時に行われる自衛艦旗掲揚では、国歌君が代に引き続き、合衆国国歌がスピーカーから流され、我々は敬礼を捧げた。合衆国国歌は我々にとって一番馴染みのある外国国歌であり、そのことは我々と米国との繋がりが如何に強いかを改めて再認識させるものであった。
 最後に、今回のボルチモア寄港によって、米国の歴史と現状の一端を知ることができた。このことは、遠く太平洋を隔てた日本から来た我々にとって、新鮮な感覚として記憶に残ることであろう。このような機会を与えられたことに感謝するとともに、今後、その土地、そこに住む人々を知っていく姿勢を大切にして各寄港地を過ごし、幹部海上自衛官として、その見識を深め、広い視野とバランス感覚を養っていくことができるよう努める所存である。

ネブタ祭りへ43回目の出陣
<大湊地方隊>
 8月4日(金)から6日(日)にかけて行われる「大湊ネブタ祭り」(海自ネブタ祭り実行委員長=大湊航空隊司令・粟野諭1海佐)に向けてネブタの制作が最盛期を迎えている。
 大湊地方隊のネブタは昭和39年からの参加で、今年は43回目の出陣となる。ネブタ師は、大湊修造補給所工作部武器工作科の寺嶋美津男技官であり、今年で2作目の作品となる。題は、「文覚上人荒行」で、滝に打たれて修行を行う文覚上人の姿に、国家防衛の任務に邁進し、厳しい訓練に励み、新たな時代に適合した自衛隊を造り上げようとしている姿を重ね合わせたもの。
 大湊地方総監の松岡貞義海将からは「自衛隊の発展は地域の皆様との交流の賜物であり、無形の文化財を今後も継承するため、制作の詳細過程をビデオで保存するよう」との指導があり、制作過程を一部始終記録している。
 現在、大造補所工作部(部長・松戸信三2海佐)が中心となり、各部隊からの支援要員の協力を得て、ネブタ師の指導の元にネブタ制作の紙貼りの段階を迎えようとしている。今後は、電気の配線、墨書き、蝋書き、着色、入魂式、台上げの順で進められ、7月下旬に完成させる予定。

環境月間の一環に清掃活動や研修実施
<佐世保教育隊>
 佐世保教育隊(司令・菊地英夫1佐)では「環境月間」の一環として5月29日、崎辺中学校・港少学校前道路から隊門までの空き缶拾い、清掃活動を行った。
 この日は梅雨も一休みの天気で、参加者は清々しい汗をかきながら整斉と見違えるようにきれいにしていった。この周辺の道路は、小中学生の通学道路であり、地域住民からも大変感謝された。
 また、翌日は教育隊「ゴミ収集処理」の検査官2名、監督官2名が市内下本山町にある西部クリーン・センターのゴミ焼却場の研修を行い、ゴミ焼却までの各過程を学び一人一人が環境について自らの生活、行動を見直し、教育隊でも「チーム・マイナス6%」を目指し環境保全の重要性を認識していた。

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