防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2006年6月1日号
1面 2面 3面 6面 7面 9面 10面 12面

防大ツアー始まる!
毎週水・金曜、午前・午後各1回
 防衛大学校では、毎週水曜・金曜日(祝祭日を除く)の午前・午後各1回の定時見学ツアーを実施しています。
 午前の部は、受付時間が9時40分から10時まで、見学時間が10時から11時30分までとなっており、見学コースは▽本部庁舎玄関▽資料館▽記念講堂▽学生舎▽学生会館(防大グッズを販売している売店を含む)などです。また、午後の部は受付時間が12時から12時20分、見学時間が12時20分から13時50分までで、見学コースは午前の部に加えて「学生の行進」風景がご覧になれます。※見学コースは、当日の事情により変更される場合もあります。
 受付は、正門受付所で行われます。また、見学には次のとおり事前予約が必要です。▽団体(10名以上)は見学日の2週間前まで▽9名以下の場合は見学日の1週間前まで。※申し込みは必ず事前に電話で予約状況を確認のうえ、見学申請書と名簿に必要事項を記入してFAXまたは郵送で提出して下さい。
 【注意事項】▽警備の都合上、当日受付で本人確認を行います。運転免許証、社員証、学生証など証明できるものをご持参下さい▽ツアーは徒歩での見学となります。歩きやすい服装で来校して下さい。なお、見学途中で帰ることはできません。また、雨天の場合は雨具を準備下さい▽駐車場などの関係で車での来校はご遠慮下さい。他
 見学の詳細については、〒2398686神奈川県横須賀市走水1の10の20 防衛大学校総務部総務課広報ツアー係 046・841・3810(内線2019)へお問い合わせ下さい。なお、学生の観閲行進(月例パレード)見学については防大総務課広報・月例パレード係へお問い合わせ下さい。

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
<シリーズ 51>
日露戦争の記録 (7)
ロシア軍捕虜の食事
 日露戦争時のロシア軍捕虜兵の健康管理は、各捕虜収容所の医務室と、隣接する衛戍病院が担当します。
 捕虜達の食費は将校60銭、下士卒30銭で、日本兵よりも高額でした。牛乳、卵、牛肉の支給がその原因です。この3品は、彼等の食事には不可欠でした。
 松山捕虜収容所病室の記録によりますと、明治37年(1904)5月から39年(1906)1月までの間に滋養品として医務室で消費した牛乳は、なんと6824万8300グラム、捕虜の収容数の増大とともに品薄になった牛乳の不足分の補充に臨時に購入した粉ミルクは4836缶、卵が23万2074個、牛肉が22万1200グラムという数字が残されています。
 当時のメニューが彰古館に現存していますが、将校の朝食が白パン半斤、砂糖、紅茶、昼食材料が白パン半斤、牛乳2勺5合、麦粉35匁、人参4匁、牛肉70匁、きゅうり、塩麻、バター、ジャガイモ、トマトソース、玉ねぎ、砂糖、紅茶、スープ、茄子、コショウ、卵などで、夕食は昼食に同じとなっています。階級によって量的な差はありますが、これはロシア軍側の慣習によるものだということです。
 白パンは、当初は松山市菅町4丁目の業者に製造させていましたが「焼キ方宜シキヲ得ズ。俘虜ノ嗜好ニ適セズ」ため、二番町用達ニ於テ俘虜中経験アル者ニ製造セシメ収容所全部ニ供給」しました。
 当初は日本側で調理をしておりますが、明治37年9月11日以降は、現品を受領した下士官が調理します。しかし「彼等ノ多クハ美食好ミ」、将校は松山市内を自由に外出できるため「市中ヨリ任意ノ食品ヲ購入シ、或イハ洋食店ニテ食事」をしたため「故ニ市中小数ノ洋食店ハ俘虜ヲ以テ満サルルニ至ル」と報告書に記載されています。
 そのほか、収容所内の酒保で軍医の許可を受けた上で嗜好品を購買することが出来ました。記録には「朝日ビール」「万歳ラムネ」「シャンパン」「コニャック」「ウヰスキー」「ハム缶詰」「炭酸水」などがあります。
 捕虜というと、痩せ衰えた兵士の印象がありますが、彰古館所蔵の日露戦争時のロシア軍捕虜達の写真史料では、身なりも小綺麗で健康そうに見えます。軍医たちの健康管理が行き届いたのは事実のようです。
<写真(紙面をご覧ください)は全て習志野捕虜収容所で撮影されたものです>

活躍するOBシリーズ
「頑張っています」新しい職場
レスポンス(株) 西 谷 幸 二
西谷氏は昨年11月、久居駐業隊を3陸佐で定年退職、54歳
「皆さん、こんにちは」私は、自衛隊を退官し警備員として新仕事に就き、既に3ヶ月を迎えようとしています。なぜ、この仕事を選んだかといいますと、自衛隊での経験を直接活かすことができ、また、微力ながら社会に貢献できると思ったからです。
 仕事の内容は、一般警備と銀行のATM機(現金自動取引装置)のカセット交換及び障害対応等を担当しております。勤務時間は日勤と夜勤(当直)があり、夜勤についても現役時代の経験が活かされ、さほど抵抗もなく勤務しております。しかしながら、ATM機の障害対応については、機械の修復作業とお客様の対応を同時平行的にこなす業務で、私の最も不得意とする分野であり、悪戦苦闘中です。しかしながら、これらも先輩職員の指導のお陰により何とか光明の兆しが見え始めつつあります。
 これから退職される皆さんに、私が実践して来たことをご紹介します。第一は、自分から積極的に地方連絡部・駐屯地等の援護室に足を運び、少しでも自分に合った仕事を見つけることです。第二は、自分の体の悪いところを現役時代に治すことです。何事も体が資本です。第三は、入社したら「初心(基本)に返る」ことです。新仕事は「スタートライン」であり「二等兵」と同じです。私を雇ってくれた会社、指導してくれる先輩、また、お客様に感謝の気持ちを忘れず、素直に「ありがとうございます」「お疲れ様でした」「おはようございます」と、初心に返り自分から積極的に声をかけて下さい。
 時々、現役隊員の皆さんに「一般社会は、厳しいですか?」という質問を受けることがあります。確かに厳しいです。なぜなら、自分の失敗が会社の信用に直接影響を及ぼすからです。ただし、これらは自衛隊の勤務でも同じことです。与えられた任務を確実に遂行することとは、まったく同じです。
 現役の皆さん、体に気を付けて頑張って下さい。

自衛官のヨーロッパ一人旅 (上)
朝霞駐屯地業務隊 2陸佐 上 田 正 文
はじめに
 私は入隊以来身上書の趣味は旅行・映画・読書と書いていました。しかし指揮官・幕僚勤務等で職務に専念せざるを得ず、なかなか海外旅行するような長期休暇が取れず、大好きだった旅行をおあずけにしていました。4月10日付き勤務になるのを切掛けに、長年の夢を叶えるために1ヶ月ヨーロッパ一人旅を計画しました。「1ヶ月も旅行すると疲れるよ」「よくそんなお金があるな」「奥さんを置き去りにして自分だけ楽しむと黄昏離婚されるぞ」などと同期・友人から暖かいご忠告をたくさん頂きました。「ここで自分の意志を通さなかったら、一生自重の人生だ。俸給だけでなく退職金まで全部女房に渡すと一生自由にお金を使えなくなる。退職金の前借りだ」と一念発起しました。もちろん女房と家族の了解を取るための家族サービスには大変苦労しましたが。
 以下一旅行者の目を通しての独断ではありますが、ドイツ・オランダ・ベルギー・フランス・イタリア・スイスの6カ国を旅行した印象・思い出などを記します。皆様特に退職直前の皆様の参考にしていただければ幸いです。
代表的な観光地の思い出
 〈ドイツ・ケルン大聖堂でのイースターミサ〉ケルン大聖堂は世界一大きい教会で、パイプオルガンの響きがドームいっぱいに反響し、まるで音楽祭りの太鼓演奏のように体中が否応なしに震え、荘厳なミサを印象づけられました。キリストの復活を祝うミサでもあり、あんな大きな教会が午前9時には家族連れで参加した信者で埋め尽くされました。牧師の説教・賛美歌・パンと葡萄酒の施しなど、冠婚葬祭の時にしか宗教を意識しない日本人の私には、ヨーロッパの人々の生活の中に占める宗教の大きさを思い知らされました。
 〈パリ地下鉄での黒人の暴挙〉パリには地下鉄・バスなどの交通手段が発達しています。特に地下鉄をうまく乗りこなせば、観光地を効率的に回ることができます。10枚券を購入すれば格安になります。他の都市では便利な1日券・2日券・3日券(乗り放題の券)があります。サクレ・クール聖堂を観光して、セザンヌ・ゴッホなどの絵が展示されているオルセー美術館に向かう地下鉄の中の出来事を紹介します。私が列車の確認のため質問をしたご婦人が同じ列車の反対側に乗車していたのですが、黒人青年が大声を出しながらそのご婦人に近づきビンタを張りました。突然のことでどうしてなのかわからず、ご婦人も周囲の人もびっくりしていまいました。フランス語がわからないので想像ですが、「眼をつけたな」と日本のチンピラと同じように因縁をつけたのだと思います。今フランスでは黒人などの低所得者のデモが多いと日本でニュースを見ていましたので、フランス社会のひずみ(低所得者の不満が多いこと)を目撃した感じでした。私が旅行した国々では、移民が多く国民に階層があり貧富の差がありました。過去の植民地政策のツケが今頃でているのだろうと想像します。日本ほど国民に貧富の差がなく、平等意識が強い国はないと思います。
 〈サンレモ音楽祭・カンヌ映画祭会場〉フランスのサンレモ音楽祭・カンヌ映画祭は日本ではとても有名です。広報で10年勤務した私は音楽隊を有効な広報手段として運用していましたので、音楽隊の隊員にお土産として会場の写真を撮影していこうと考えました。ところが行ってみたら小さな映画館として利用されている会場ではないですか。現地の人に確認しても「ここで開催されている」と返事がありました。ついでにサンレモでは駅にコインロッカーや荷物預かり所が無かったので観光するのが大変でした。荷物を預かってくれと駅員に話しても埒が行かなかったので、警察に「私は日本陸軍の将校です。パスポートをデポジットで預けるから駅員に交渉してくれ」と頼みましたができませんでした。
 日本では映画館といえば、有楽町マリオンやシネマ館があり、さぞかし立派な会場だろうと想像していました。カンヌ映画祭会場も中規模の会場でした。ただ会場前の広場には有名な俳優の手形がはめ込まれていました。日本人はあまりにもマスコミ等の情報に踊らされ過ぎていると思います。日本でもっといろんなイベントを開催し、世界に日本の良さを自信をもって広報すべきだと思います。

12面へ
(ヘルプ)
Copyright (C) 2001-2008 Boueihome Shinbun Inc