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   2005年11月15日号
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新防衛庁長官に額賀福志郎衆院議員
第3次小泉改造内閣
新旧長官が事務引継ぎ
木村副長官、高木政務官も初登庁
 10月31日、第3次小泉改造内閣の発足に伴い、新防衛庁長官に額賀福志郎衆院議員(茨城2区選出、当選8回)が就任した。額賀長官は、小渕内閣で防衛庁長官を務めており、約7年ぶり、2度目の就任となった。また、11月2日の閣議で、新防衛庁副長官に木村太郎衆院議員(青森4区選出、当選4回)、新防衛庁長官政務官に高木毅衆院議員(福井3区選出、当選3回)が決定した。木村副長官は約3年前にも政務官のポストに就いており、今回は副長官に昇格した。なお、愛知治郎政務官は留任した。
 防衛庁長官離着任行事は翌11月1日、A棟2階講堂や儀仗広場などで行われた。
 大野功統前長官は午前9時すぎ、西川徹矢官房長ら高級幹部を伴い、殉職隊員慰霊碑に拝礼したあと、大臣室で幹部から挨拶を受けた。次いで、A棟講堂で幹部多数を前に感慨深く離任の挨拶(別掲)を述べた。これに対して、守屋武昌事務次官が大野前長官の約1年間にわたる功績を称えながら送別の辞(別掲)を述べた。
 午前10時すぎ、大野前長官はA棟儀仗広場で、特別儀仗隊(隊長・松岡利治3陸佐)による栄誉礼を受けたあと、全職員の見送りを受けながら正門付近へ移動。女性職員2名からそれぞれ大きな花束を贈られ、盛大な拍手の中、防衛庁をあとにした。
 新長官着任式は午前11時から行われ、額賀長官が防衛庁・自衛隊の高級幹部の出迎えを受け、A棟玄関前に初登庁。特別儀仗隊の栄誉礼、巡閲を行ったあと、殉職隊員慰霊碑に拝礼した。次いで、A棟2階講堂で幹部多数が整列する中、全国放送で着任の訓示(別掲)を力強く述べた。これに対して守屋事務次官が、額賀長官の国政での数々の実績を称えながら期待を込めて答辞した。
 新旧長官の事務引継ぎは大臣室で昼すぎに行われ、大野前長官と額賀新長官が順次署名したあと、お互いに固く握手を交わした。
 また、新旧副長官、政務官の離着任式は11月4日に行われ、今津寛前副長官、北村誠吾前政務官がそれぞれ離任の挨拶、栄誉礼を受けたあと、全職員の見送りの中、防衛庁をあとにした。
 引き続き、木村新副長官、高木新政務官が相次いで初登庁、防衛庁・自衛隊の高級幹部多数の出迎えの中、栄誉礼、巡閲を行った。

 額賀福志郎長官、木村太郎副長官、高木毅政務官の略歴は次のとおり。

 額賀福志郎(ぬかが・ふくしろう)長官略歴▽茨城2区選出、衆議院議員(自由民主党)▽昭和19年1月、茨城県生まれ▽早稲田大学政治経済学部卒業▽茨城県議会議員、通商産業政務次官、内閣官房副長官、防衛庁長官、経済財政・IT担当大臣、議院運営委員会理事、大蔵委員長、党地方行政部会長、党国防部会長代理、党国会対策副委員長、党税制調査会副会長、党広報本部長、党幹事長代理、党政務調査会長、党安全保障調査会長、党日米安保・基地再編合同調査会座長▽当選8回(衆8回)
 木村太郎(きむら・たろう)副長官略歴▽青森4区選出、衆議院議員(自由民主党)昭和40年7月、青森県生まれ▽東洋大学法学部卒業▽外務大臣秘書、青森県議会議員(2期)、防衛庁長官政務官、農林水産大臣政務官、災害対策特別委員会委員、農林水産委員会理事、武力攻撃事態への対処に関する特別委員会理事、安全保障委員会理事、党安全保障調査会副会長、党政調審議会委員、党農林水産関係団体委員長、党内閣部会長代理▽当選4回(衆4回)
 高木毅(たかぎ・つよし)政務官略歴▽福井3区選出、衆議院議員(自由民主党)▽昭和31年1月、福井県生まれ▽青山学院大学法学部卒業▽高木商事(株)代表取締役、(社)日本青年会議所北陸信越地区会長、国土交通委員会委員、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員、安全保障委員会理事、党遊説局長、党文化・スポーツ局次長、党運輸・交通関係団体副委員長、党安全保障関係団体副委員長、党国防部会部会長代理、党水産部会副部会長▽当選3回(衆3回)

大野前長官「離任挨拶」
 おはようございます。振り返ってみますとこの1年間皆様のお支えによりまして、私、大野功統にとりましては、日々が充実した日の連続でございました。これも全て、皆様のおかげでございます。ここに改めて、厚く厚く御礼申し上げる次第でございます。その充実した日々を、今、思い返してみますと、まさに私にとりまして一生の思い出として、宝物として、持ち続けるであろう、そんな気がする次第でございます。その一端をご披露申し上げて、今日の離任のご挨拶にさせていただきたいと思います。
 まず第一になんと言っても、我が自衛隊の諸君の活動が、国の内外で高く評価され、感謝されている。このことでございます。
 私は、昨年12月でございますが、サマーワへ参りました。その時に、自衛隊の諸君が、サマーワの人々との間にすばらしい心の架け橋を架けてくれた。このことは、今、思い出しても、誠に素晴らしい光景であります。子供達が自衛隊の諸君に手を振っている姿、これは、私にとりましては、本当に一生忘れられない光景でありました。自衛隊の諸君はインド洋で、そしてスマトラの地震で、パキスタンの地震で大きな大きな活動をしてくれております。そのことは、私は、諸外国の高宮に会いましたとき、必ず先方から感謝の念で迎えてくれる、これが今の自衛隊の姿だな、日本はまさに国際安全保障環境の改善のために、新しい考えで、今、新しい時代の安全保障を担ってくれているんだな、こんな思いで一杯でございます。
 また、新潟県中越地震にも、視察に参りましたけれども、若い自衛官が目を輝かせて、私にこんな事を言ってました。「長官、地元の皆さんが、『本当に自衛隊の皆さんありがとう』、こう言ってくれると益々一生懸命頑張る気持ちが出てくるんです」。まさに人に尽くすこと、そして感謝される喜びというのを、若い自衛官の諸君が学んでくれているんだな。私は感動を覚えました。
 どうぞ皆さんは、日本の安全保障のために、そしてまた、国際平和のために一生懸命頑張っておられます。そして国民の皆様の安心感のよりどころであります。どうぞ、これからも新しい時代をこの国際安全保障環境の改善という大きな大きな目的に向かって、邁進して欲しい。もちろん言うまでもありません。これまでの防衛の考え方、日本の守り、当然のことであります。これからも、この政治の要諦である安心と安全を担って頑張っていただきたいな。こんな思いでございます。
 もう一つは、日米同盟関係の変革であります。
 日米安全保障条約ができたときは、まさに日本が基地を提供して、アメリカ軍がそれを使用して日本の守り、極東の安全平和を維持していく、いわば土地と基地と米軍との協力関係でありました。しかし、新しい時代は、基地の問題ももちろんあります。しかしながら、自衛隊の諸君と、アメリカ軍の兵隊、この人間同士でこの世界平和を守っていこう、グローバルの中で国際安全保障環境を改善していこう、日本を守っていこう、極東の平和と安全を守っていこう、こういう形に今変革しつつあります。このトランスフォーメーション、本当にこれから我々が心してやって行かなくてはいけない大きな仕事であります。また、この米軍の基地再編問題については、これからどうぞ皆さん、真心込めて誠心誠意、地元の皆様に、基地の地元の皆様にお願いをする。そして、この日本の安全保障が日米同盟を中心として、そして国際社会の中で日本が主体的に頑張っていく、こういう姿を目標として、これからも、邁進、ご精励下さいますようお願い申し上げます。
 最後に、今申し上げましたように、日本の自衛隊、日本の防衛庁、本当に国民の皆様の安心と信頼と感謝に取り囲まれておるところであります。しかしながら、最近起こりました薬物事案、覚醒剤事案等、私は憂慮するものであります。国民から寄せられた大きな大きな信頼感、これを絶対に壊してはならない。どうか、皆様が力を合わせて、そして、こういう薬物事案などが二度と発生しないように国民の皆様の信頼と感謝の気持ちを、そして自衛隊にかける夢をどうか壊さないように。これは、皆様お一人お一人が心をひとつにして、全体との間で心をひとつにして取り組んで頂きたい問題かと思っております。
 本当に一年間、私にとりまして、素晴らしい毎日の連続でありました。これも全て、今日お集りの皆さん、そして全国の自衛官の諸君の働き、そして安全保障を思う気持ちが、私の毎日の長官としての生活、仕事、この支えとなってまいりましたことを、今、心から皆様に感謝申し上げる。そして、防衛庁・自衛隊、皆様の益々の今後のご活躍、ご精励を心からお願い申し上げまして、私の離任のご挨拶といたします。本当にありがとうございました。

守屋事務次官「送別の辞」
 防衛庁の全職員を代表致しまして、大野長官にお別れのご挨拶とご在任中に賜わりました私どもに対するご指導と、率先垂範して困難な仕事に立ち向かわれ数々の新しい安全保障の政策を打ち立てられましたことに対して御礼の言葉を述べさせて頂きます。
 大野長官には、昨年9月に就任されて以来、絶えず、隊員や隊員の家族一人一人に対して、心のこもったご配慮を賜わりました。着任早々発生した新潟中越地震においては、お忙しい昨自ら率先して被災地に赴かれ、被災された方々に対する暖かい気遣いとともに、現場で活動する隊員への激励を賜わりました。また、昨年12月には、自然環境や生活環境が大きく異なるイラクやクウェートの地において人道復興支援活動に従事している陸上自衛隊と航空自衛隊の部隊の現況を把握し、隊員を激励するのは、自衛隊を預かる防衛庁長官の責務であるとして、サマーワ宿営地にも訪問され、隊員の士気高揚に努められました。防衛庁長官としてイラクの現地を訪れたのは、大野長官が初めてであり、しかも、新たな防衛計画の大綱の策定という公務多忙の中、土曜日曜の休日を利用して、ゼロ泊3日という厳しい日程にもかかわらず、現地を訪れ隊員を激励されたことに大変深い感銘を覚えました。
 大野長官は、着任されるや否や、我が国にとって新たな安全保障環境の下での防衛力の任務、役割や防衛力の体制を保有する規模を定める新たな防衛計画の大綱の策定にご尽力されました。前の防衛大綱の策定から約10年近くが経過し、今日の我が国を取り巻く安全保障の環境は大きく変わり、9・11テロをはじめとする国際テロ組織の活動、大量破壊兵器の拡散、大規模災害等、新たな脅威や多様な事態への対応が国際社会の共通の課題となっておりました。一方、我が国周辺の地域には、民族、宗教、政治体制、経済力などの多種・多様性を有するとともに、主要国による軍事力の近代化、領土問題や海洋権益をめぐる問題といった、伝統的法安全保障の問題が存在しております。新防衛大綱は、このような我が国を取り巻く状況に対して、我が国の安全保障政策の変革の方向性を示したものであり、我が国の安全保障政策の大きな転換点を画するものでありました。
 また、新防衛大綱の策定の中で厳しい財政状況の下、陸上自衛隊の常備の定数について現状の14万5千人から大幅な削減を迫られました。イラクなど海外での人道支援活動や新潟中越地震など国内での大規模災害などで、自衛隊は国内外で幅広く活躍しております。大野長官は、このような活動を踏まえれば、今我が国として必要なのは削減でなく増員であるとして、財務大臣との折衝をはじめ政府部内の折衝の陣頭指揮に立たれました。陸上自衛隊の常備定数を現行より3千人増やした14万8千人を確保することができたのは、まさに長官に率先垂範して頂いたおかげであることを職員はよく承知しております。平成16年度補正予算においては、SACOの経費はもちろん、新潟中越地震等に伴う災害派遣の他、今後の災害に備えるため、防衛庁として初めて主要装備品である要人輸送ヘリコプターの予算獲得に自らご尽力いただきました。これは、厳しい財政事情の下、必要な自衛隊の任務遂行を可能とするために、いかに大野長官が腐心されていたかを示す良い事例であります。
 年が明けての通常国会では、閣議決定された新防衛大綱に基づく新たな防衛政策として統合運用体制強化のための統合幕僚監部の設置、及び弾道ミサイル対処の法制整備のための自衛隊法等の改正が大きな課題となりました。この改正はまさに我が国にとって喫緊の課題であり、国会においても、重要法案として、衆議院では4月から6月までの6回の委員会審議、参議院では6月から7月まで4回の委員会審議と、これまでの防衛二法の改正に比べ大変長い時間をかけ慎重な審議が行われました。ここでも、大野長官は質問の先頭に立って自ら答弁され、法案の国会成立に全力を尽くされました。
 さらに、長官は、国際的な安全保障環境の改善のため、二国間、多国間の防衛交流の推進に、自ら主体的、積極的に取り組まれま (8面につづく)

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