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   2005年10月1日号
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地連東西南北
高校教諭の部隊研修を実施
<福岡地連>
〜潜水艦見学など貴重な体験〜
 福岡地連(部長・佐藤正1陸佐)は、福岡県立高等学校の教職員で組織する協力団体「福岡教育連盟」の高校教諭を対象に海自岩国基地と呉基地の部隊研修を行った。
 この研修は、福岡県では海自の基地がないため、海自について一層の理解と認識を深めさせることを目的として計画されたもので、15人の教諭が参加した。
 1日目の岩国基地研修では初めに基地の沿革、第71航空隊の航空洋上救援の実績などについての説明を受けた。その後、2組に分かれて航空機見学と、救難飛行艇(US‐1A)の体験搭乗を行った。搭乗後、「着水時の衝撃が思ったより少なかった」と感想を述べるなど大変感動していた。
2日目の呉基地研修では、呉地方総監部庁舎内外の見学と研修の目玉である潜水艦「みちしお」を見学した。艦長の新旧潜水艦の概要説明のあと、福岡県出身隊員3人の案内で「みちしお」艦内各区画の全てを見学した。
 特に、光や電波の届かない海中深く潜行する艦内は、システムの自動化、省力化と先端技術が凝縮されているため無駄な隙間がなく、先生方から「貴重な体験なのに、艦内撮影禁止で生徒に見せられず残念です」など、随所で興味深く聞き入る姿が見受けられた。
 今回の研修に始めて参加された先生の中には「海上自衛隊を研修する機会を得て、自衛隊に対する認識が深まり、貴重な体験になりました。これからは海上自衛隊について生徒に対して自信を持って説明することができます。今後の進路指導にぜひ活かしたい」と心強い意見が聞かれた。福岡地連は、今後も協力諸団体の更なる理解促進のため、効果的研修を計画していきたいとしている。

ペーロン大会初出場!!
<長崎地連>
 長崎地連(部長・原田1海佐)は、長崎市松ヶ枝埠頭で行われた夏のイベント「長崎ペーロン選手権大会」に初出場した。ペーロンは、海神を祭る中国伝来のボートレース。長崎で初めてペーロンが行われたのは江戸時代の1655年頃。当時、暴風雨のため唐船が難破し多数の溺死者を出したので、長崎在住の唐人たちが海神の怒りを鎮めるため艀(はしけ)で競漕したのがペーロンの始まりだと伝えられている
 長崎地連は、「自衛隊長崎地連ジャー」のチーム名で職域対抗の部(参加18チーム)に参加した。当日は気温30度を越える真夏日にもかかわらず、応援団や観光客で会場の観客席は満員となった。試合前から気合いの入った応援を披露するチームもあり、歓喜と熱気に包まれる中、大会は幕を開けた。
 本レースは、各チーム約30人の選手が約13メートルの手漕ぎ船(ペーロン)に乗り、往路630メートル、復路520メートルのコースで競い合うもの。長崎地連は、約1ヶ月間という短い練習期間、最高年齢50歳を筆頭にチームの平均年齢は40歳を超え、何よりも選手の9割が初心者という悪条件の中、女性自衛官2人を含む27人は、真夏の陽射しが照りつける長崎港内で水しぶきを存分に浴びながら勇ましい姿を披露した(=写真)。
 「自分たちの納得のいくレースをしよう、長崎地連を多くの人に見てもらおう」を合言葉に選手27人が心を一つにし、全ての想いをひとかきひとかきに託した。また、ペースメーカーである太鼓を担当した女性隊員は、イラク派遣隊員の無事帰国を祈願した「黄色の鉢巻き」を締め、長崎市民に対する広報効果を演出していた。
 結果は、予選、敗者復活戦ともにわずかの差で惜しくも最下位に終わったが、選手はもとより会場まで足を運んで大きな声援を送っていた自衛隊協力団体や地元町内の人々、隊員家族、更には今大会に同じく出場した海自大村航空基地、陸自竹松駐屯地の応援者らが一丸となった。
 初めて本大会を見に来たという隊員家族は「このような場で隊員の頑張る様子を見られて嬉しい。ゴール前の粘りはさすが自衛官でした。短期間でのここまでの成長には感動しました」と興奮気味に話していた。

看護学生説明会を開催
<島根地連>
 島根地連(部長・加藤誠1陸佐)は9月10日、看護学生説明会を実施した。講師の陸自第3後方支援連隊衛生隊(千僧駐屯地)所属の看護官塩雅代2陸曹から看護学生制度の普及、修学間の体験談と衛生隊での活動内容などについて説明がなされた。参加者には保護者の付き添いも多く、説明会終了後も質疑応答が続くなど熱心に説明を聞いていた。
 説明会の中で、塩2陸曹は「看護士として勤務するためにあらゆることを学びます。将来、時として災害発生時の被災地やPKO派遣時の救援活動などにも参加することや、過酷な状況の中で困難を克服し医療活動を行わなければならないこともあります。最近では男子学生も入隊し活気に溢れており、やり甲斐のある職場環境とよき同僚や先輩に恵まれ充実した日々を送っています」と締めくくり、説明会は成功裡に終了した。

鹿児島中央駅で自衛隊をPR
<鹿児島地連>
 鹿児島地連(部長・福本出1海佐)は8月29、30の両日、陸自第12普連(国分)と海自第1航空群(鹿屋)の支援を得て、JR九州鹿児島中央駅のイベント会場「アミュ広場」で「自衛隊サマーメモリアル」を開催した。これは、陸自西部方面隊からイラク復興支援群が派遣されることに伴う部外広報の一環として行われたもの。九州新幹線開業以来、鹿児島中央駅付近は天文館と人の流れを二分するほどの若者が集まる新たな繁華街として生まれ変わった。その中心であるアミュプラザ鹿児島を訪れる買い物客や、駅を利用する学生や通勤客が往来する広場にイラクのサマーワとペルシャ湾沖で活動する陸海空自衛隊の写真パネルのほか、12普連からはイラクで使用しているものと同じ軽装甲機動車と甲機動車を展示した。
 駅前から突如現れた本物の装甲車には「これ本物ですか」とびっくりする女性や、運転席に座って「普通の自動車の運転と同じなのですね」と感心する男性など、多くの人が押し寄せた。説明に当たった国分の隊員たちも、安全に気配りをしながらも笑顔で色々な質問に答えていた。中でも子供たちには大人気で、2台の車両はまるで遊園地の遊具のようだった。
 鹿屋からは先任伍長などによる「なりきり写真コーナー」を設けた。自衛隊が協力した映画「亡国のイージス」を上映中だった映画館からヒーローたちのパネルを借り、記念写真を撮影することができた。登場人物になりきった映画ファンや子供用制服を着せた親子連れに大人気だった。
 期間中、昼休みと夕方の通勤・通学時間帯に合わせて国分駐屯地音楽隊によるミニコンサートを行った。コンサートでは自衛隊の行進曲やポップス、懐メロなど多彩なプログラムが用意されており、買い物客や通勤客が足をとめて制服自衛官によるコンサートに耳を傾けた。隊員の歌う長渕剛の曲に合わせてリズムをとる人や、美空ひばりメドレーに涙を流すお年寄りなど、2日間5回の演奏会の観客は約1700人にもなった。このコンサートの時間帯にあわせ、アミュプラザの大型街頭スクリーンでは「イラク復興支援24時」のビデオなどを放映した。
 鹿児島中央駅西口を利用する乗降客は2日間で約37000人。これに加えてアミュプラザ付近を訪れる買い物客など、普段は自衛隊と接点がない多くの市民が自衛隊を身近に感じたイベントとなった。

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