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   2005年3月15日号
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<寄せ書き>
立ち止まり、来た道をふり返る
<名寄>
同期
4高特群315高射中 3陸曹 千輪 将史
 自衛隊に入って早9年。今振り返ると私が参加してきた教育での同期には、すごく恵まれていたような気がする。
 大型課程、牽引課程、大特課程、陸教、陸士特技課程、新隊員課程と全ての同期が仲がよく、人間関係も良かった。その恵まれた同期の中で私はたくさんの勉強をすることができ、今では「同期=宝」くらいの存在になりつつある。
 すごく影響を受けた同期が2人いる。その2人とは新隊員前期課程での2人で、同じ班で同じ歳ということもあり、意気投合して何から何までずっとともに行動していた。今は部隊が北海道、九州と離れ、会う機会もないが、電話で話したときはイヤなことも忘れてしまうくらい落ち着く。
 仲のいい同期はこの他にもたくさんいるが自衛隊という職に就いたからこそ出会えた同期とは、死ぬまで仲よくしていきたいと思う。
中隊に配属して
3普連1中隊 2陸士 木村 翔太
 私は9月23日に新隊員教育を終了し1中隊に配置されました。
 今までは、周りは全て同期で、皆対等の立場について、助けてもらっていたり、手伝ってあげたりしていましたが、いまでは自分の事はすべてに責任を持ってやり遂げなくてはなりませんし、雑用の仕事を率先してやらなくてはいけません。当たり前のことですが、今までにこのような習慣がなく、よく注意されます。言われたこと以外にも"これをやっておきました"と言えるぐらい気がつくように、普段からアンテナを立てて動きたいと思います。
 中隊に来て一番に思ったのは、みんな"仕事をする時はする、休むときは休む〃、というように、ケジメがあり応用をきかせて工夫していたことです。階級関係なくどんな人でも進んで仕事を探して、黙々と作業して仕事が早いです。やる事をしっかり早くやってしまい、休憩したらまた次の仕事をしっかりやるというスタイルで、僕はすごくやりやすくて好きです。そして先輩を見ていると、いろんな所で応用、工夫しておりとても勉強になります。できるだけ沢山色んな事を吸収していきたいです。
 これは僕個人の意見ですが、お隣の国の韓国や他の国には、徴兵制度があります。自衛隊に入るまでは大変だなぁと思っていましたが、今では導入してもいいんじゃないかと思います。自分は自衛隊に入って、人として成長したと思いますし、自ら進んで働くようになり、上の人を敬えるようになったと思います。
 自分が自衛隊に入ってとても大事にしている言葉は、"勢い"です。どんな辛いときでも勢いでなんとかなると思っています。これからも"勢い"で頑張っていきます。
牛から人へ
3普連1中隊 2陸士 島 大二朗
 高校の入試の事を今でも覚えている。年が明けて3月、この名寄に来て受けたんだ。ただ人間の多さにおどろいていた。
 僕が育ったのは本幌別という小さな田舎だ。母の生まれるもっと前、きっと祖母も生まれる前だと思う。その時代は歌登の砂金を目当てに人々が次々と住み始めた時代、本幌には約3千人が住んでいたらしい。それが今では100人の人口も割り60人程度となった。学校は小中の一貫校で教師も含め20人ぐらい、それで同級生も2人だけだった。
 本幌で暮らしていた15年間は、上下関係もなく本幌のみんなが家族みたいなものだった。酪農が主産業の本幌では、人口よりも牛の方が多い。島家も酪農家で、仔牛から親牛まで約100頭飼っていた。どこの酪農家も大体このくらいで、本幌だけでも1,000頭ぐらいはいたと思う。人より牛とのつき合いの方が長かった。道路を走れば右も左も畑、家が有れば牛舎もある。学校の裏庭に遊びに来ていた牛もいた。
 高校に入って牛の数ほど人がいて驚いた。色々な人がいた。すぐに怒る人、おしゃべりな人、すごく暗い人、クラスに40人、ほとんど本幌の人口が一つの部屋にいる状態。慣れるまで2年かかってしまったが、楽しい高校生活を過ごせた。
 現在、自衛隊に入り本幌に居たときの自分を忘れかけていることに気付いた。常に人間は変わり続けるもので、それはある意味成長でもある。「温故知新」これは本幌の学校の校訓で、今まで心掛けていた言葉だ。
 昨年の3月に入隊し、また一からのスタート、高校や牛と違い自分一人の勝負だ。僕に関わった人、皆に迷惑をかけてきたと思う。「温故知新」本幌を忘れることなく一生懸命頑張りたい。これからも宜しくお願いします。
<郡山>
5大隊に配属されて
6特連5大本管中 1陸士 幸田 睦美
 我が5大隊に配属されて、一年がたちます。1年はあっという間にたってしまいましたが、5大隊の50年の伝統はとても重みのあるものに感じます。
 この1年間は体験する全てが初めてのことで、内容が濃く、印象に残っています。数ある行事の中で、まず最初に思い出されるのは、配属から半年たった頃に実施された「大隊実射検閲」に参加したことです。
 私は有線通信班の一員として参加したのですが、あの頃は正直、通信の知識なんかまるでなかったですし、中隊の人の顔や名前すら覚えきれていませんでした。
 そんな状態で、参加と言われた日から不安でしかたありませんでしたが、私のそんな不安を見事に打ち消してくれたのは、5大隊の団結力と本管中隊の方々の明るさと優しさでした。
 この演習で私は5大隊に配属されて良かったと思いました。まだ、自衛隊員としても5大隊隊員として未熟者ですが、これからも5大隊の名に恥じぬよう頑張りたいです。
<神町>
新隊員教育隊を振り返って
20普連3中隊 1陸士 嵐田 将太
 平成16年3月25日、私はここ神町駐屯地の門をくぐり、20普連新隊員教育隊に着隊しました。
 そこで班長と班付に、優しく案内して頂き、不安な気持ちで一杯でしたが何とか無事に一夜を過ごせましたが…翌日。大きな声で起床!点呼!掃除!…と前期教育が始まり、自衛官になるための教育が始まった。
 基本教練、体育、半長靴の磨き方、戦闘服などへの名前の縫い方などをこなしながら、いよいよ入隊式を迎え、久しぶりに家族に会いました。
 入隊式の次の日は、銃授与式、本物の銃の重さに驚きながらも、いよいよ自衛官への色々な教育が始まり、戦闘訓練や歩哨外哨、体力検定、そして小銃射撃など様々な教育を受けました。その中でも、25キロ行進は辛く、足の裏がとても痛くなり、何度か挫けそうになりながらも、何とか歩き通す事ができました。
 後期は、さらに専門的な教育が始まり、徒歩行進も35キロとグレードアップ、死にたいと思いましたが、その頃になると体力・気力も付いてきてしっかり完歩出来ました。
 何度か挫けながらも、無事新隊員教育隊を終わることができて、3中隊に配属されて新しい年を迎えた訳ですが、教育隊で教わった事をこれからも活かして頑張っていきたいと思います。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
福岡第一交通(株)大野城営業所長
中新 藤治(なかにい・とうじ)
平成16年4月、春日地方情報保全隊を2空尉で定年退職。54歳
 平成16年4月に春日基地を最後に定年退官いたしました。再就職につきましては、春日基地援護室のお世話により、第一交通産業グループの管理職として勤務させていただくことになりました。
 約1ヵ月にわたり北九州本社にて管理職の研修をさせていただくとともに、現場での実務研修をさせていただきました。職務内容は、タクシー営業所の管理運営です。タクシーはよく利用していましたが、管理運営となるとまったく別物で、覚えることも多岐にわたり戸惑いもありました。また初めての事には対応に苦労することもありました。
 第一交通産業グループは全国的に展開している企業であり、OBも多くいます。特にタクシー乗務員の採用は21歳から62歳と年齢の幅が広いうえ、定年が65歳ということもあって、様々な経歴を持つ人たちが@管理職を志すA個人タクシーとして独立を目指すB乗務員として定年まで職務を全うするなどの目標を持って入社し、勤務に精励しています。
 自衛隊退職者に企業が期待する一番の要素は「誠実」であろうと思います。そして、これから定年を迎え再就職を望まれている人は、まず、就職先の会社の期待に応える「決意」を持つことです。さらに就職先の会社の期待に応える「努力」が必要と思います。資格や経験を生かすことはもちろんのことでありますが、資格や経験に頼りすぎると、往々にして自分の好みが出て、会社の期待に背くようになります。我々自衛隊出身者には資格や経験等の前に期待されているものがあることを認識すべきです。人は幾つになっても初めてのことに出会うといいます。どんな人も初めてというのに出会い乗り越えてきたはずであります。再就職に当たっても、この初めてに挑戦してこそ自信も生まれ、有意義な人生となるでしょう。新たな決意をもって頑張ってください。

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