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   2004年10月15日号
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<寄せ書き>
イラク派遣所感
3普連1中隊 1陸曹 穴戸康宏
 今回希望が叶い、支援群の要員としてイラクの地での任務に就くことが出来ました。
 約4ヵ月半の準備訓練を終え、3月14日に政府専用機でクウェートに降り立ち米軍のキャンプバージーニアに移動、6日間の完熟訓練後、20日にサマワ宿営地に到着。じ後、出国迄の2ヵ月半、警備中隊の一員として勤務し、警備組長として、群長・隊長等の警護や、コンボイの警護及び宿営地の警備等に携わることができ、大変貴重な経験をすることができたとおもいます。
 特に、数多くの支援活動の場所をまわり、また現地の人と接する機会が多くなるにつれ現地の実情やこの支援活動が本当に必要とされていることが彼らの温かい手と笑顔から、特に子供たちの屈託のない笑顔から強く感じ取ることができ充実感を感じ得ました。
 宿営地での生活は、快適であったとは言い難いですが、毎日3食とも日本食が食べられ、入浴ができ、家族との連絡手段もメール・衛生電話等が充分準備されており日本での準備訓練以上に家族との一体感を覚えることができました。
 自衛隊として新たな歴史を生み出した重要な任務に就くことができたことは、自分を快く送り出してくれた中隊・迫撃砲小隊の仲間のおかげであり、また、自分たちが準備訓練間から訓練任務に没頭できたのもイラクでの任務を希望しながらも夢かなわず辛い思いをしながらも陰日向なく支援をしてくれた予備要員の方のおかげであったことはイラクの地で任務に就くことができた者が実感していることかと思います。
3普連本管中 2陸曹 橋村弘之
 第1次イラク復興支援群の一員として参加させてもらいました。出国前は色々な情報を聞いていましたが現地サマワは治安もよくこちらが手を振ると向うも手を振り返してくれ、にっこり笑ってくれたのが印象的でした。
 自分は先発隊として2月の中旬に出国しましたが当初は蘭軍のキャンプで3週間ほど御世話になり、彼らには本当に感謝感謝です。彼らは国際貢献の経験も長くキャンプ「スミティ」の機能もとても合理的にできていて感心しました。食堂では蘭軍の女性隊員と話す機会があり寄本2曹が「モアイ、モアイ」と連発すると彼女は顔を真っ赤にして照れていたのを覚えています。ちなみに「モアイ」とは美人、美しいという意味だと教えてもらいました。今はオリンピック開催中なのですがオランダが出場する試合はテレビの前で熱烈応援しています。
 自分がサマワに着いたときは自衛隊の宿営地は殆んど形がなく取付道路が1本通っているだけの状態でしたが現地雇用のイラク人達の協力により日々着々と形を成していき主力1派が到着する頃には何とか仮宿営地としての態勢が整いました。その後は主力2派・3派と人員が増えるにしたがい宿営地も拡張され住環境も良くなっていきました。宿営地の外に出ると我々の姿を見た子供達が「ヤバーンヤバーン」と言いながら走ってきて我々の近くに来ると「ヤバーングーヤバーングー」と言いつつにこにこしていました。イラクでは日本人が思っているよりもはるかに好意的だということを実感しました。帰国する頃には現地雇用の警備員とも仲良くでき、彼等のためにも日本はもっと積極的に支援活動をするべきだと思いました。今回この宿営地が出来るまでイラクの人々や蘭軍・米軍・英軍らに本当に御世話になりました。まだまだ自衛隊はこのようなミッションは経験が浅くこれからが大事なんだと思います。
 もしこの記事を読んでいるあなたが国際貢献に行く機会があればまず体力と英会話を身につけ参加する事を強くお奨めします。最後に自分が帰国するまで御世話になった留守家族担当者の方達には本当にありがとうございました。「シュクランジャンジーラン!(大いに感謝しています)」写真=サマーワの青空の下で友好の記念写真
3普連1中隊 2陸曹 前里正行
 2月3日、多くの同僚や国民に温かく見送られ、政府専用機で出国。イラク人道復興支援群警備中隊警備陸曹として参加した。8日いよいよ国境を越えイラク領内へ、クウェートとは全然違う景色の中、サマーワまでの沿道の人々が「ヤバーン」と叫びながら手を振って歓迎してくれたのには本当に心強く感じた。同時にイラクの人々が日本、自衛隊に寄せる期待の大きさを実感した。50度を超える猛暑や、顔を上げるのが嫌になる位の砂嵐の中でも一歩でも宿営地外で活動する際には、常に防弾チョッキ、銃、弾薬を身に付け、日本ではなかなか経験できない緊張感の連続だった。
 無事任務を終え全員何事もなく帰国できたのも、派遣の間多くの慰問品や応援メッセージ等で励まし続けてくれた同僚や国民の皆様のおかげと心から感謝している。イラクでの貴重な経験を生かしこれからの自衛隊生活に役立てて頑張って行きたいと思います。写真=右端が前里2曹
第2偵察隊 3陸曹 前川将司
 3月13日、主力第2波としてイラクに向け出国しました。サマーワに入り気候、治安等を心配していましたが気候は日差しは強いがカラッとして湿度がなく、治安については悪い部分があるにせよ9割以上の人が手を振ってくれ歓迎されていると感じました。
 イラクにおいて私たちは情報班と言う役職であり、班員もすべて偵察隊員でしたが隊員相互の信頼関係、意志の疎通、人に対する思いやりの大事さを再認識させられました。そんな2力月弱の毎日は忙しく大変な事もありましたが、毎日が非常に充実しており日本で勤務している時よりも笑顔が多かった気がします。そんな何もかもが初めての体験をし、自衛官としての経験はもとより、人として学んだ事を大事にし、今後に生かしてたいと思います。写真=忙しく充実の毎日

「頑張ってます」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
(株)大丸・神戸店  末永 伸介
末永氏は昨年、多用途支援艦「ひうち」副長を3海佐で定年退職。55歳
 私は、平成15年5月に海上自衛隊多用途支援艦「ひうち」を最後に定年退職し、同年6月に大丸・神戸店に嘱託社員として入社しました。
 大丸百貨店は、全国10箇所の主要都市に店舗を展開する老舗の百貨店です。特に神戸店は平成7年の阪神淡路大震災後、平成9年に新装開店し、旧居留地に本館及び高級ブランドの周辺店舗を開店し、神戸の高級百貨店として営業しています。
 勤務態勢は、事務所にマネージャーと警察OB4名、店内保安員5名で勤務しております。通常は、休みの関係で事務所に2名、店内に2〜3名態勢です。店内保安員5名はすべて海上自衛隊OBで勤務しています。
 入社の動機は、神戸市内で夜勤のないことでした。現役時代は全てを艦艇勤務で過ごしてきたので定年後は毎日家に帰れる仕事と決め、賛沢な条件で阪神基地隊の援護室の方にお願いに行きました。家庭の都合で急に神戸に住むことに決め、定年半年前に再就職の援護の依頼を提出して、大変ご迷惑をおかけしました。
 3月に阪神基地隊付勤務となり、家捜しに奔走している中、援護室の担当の方から大丸はどうかという打診があり、海上自衛隊OBが勤務していると聞き、勤務の条件を確認したところ、条件にあっており、すぐ返事をしました。4月には面接があり、すぐ6月1日採用予定の通知を援護室の方から頂き、定年退職日の3日後から大丸に勤務しています。しばらくは仮住まいでしたが、ようやく現在のところに住居を設定して通勤しています。
 入社後、先輩の指導を得て、まずは店内をすみずみまで歩き回り、1年間地下から屋上まで12階をようやくどこに何があるか覚えました。特に苦労したことはブランド名を覚えること、婦人物の売場を歩くことでした。仕事である万引き犯への対処方法はベテランの先輩から指導を受け広がら勤務しています。現在はグループ犯など手口が巧妙になっており、発見が難しくなってきていますが、万引きの被害の減少を目指して勤務しています。
 これから定年退職予定隊員の方には、とりあえずは今までの自衛隊生活の意識は全て捨てきることです。ただ海上自衛隊の5分前の精神だけは忘れないことです。また、まずは健康第一です。今、どこの企業でも採用時の健康診断があり、健康でないと採用されません。どのような仕事に就きたいか決め、長続きできる仕事を選ぶことです。ただし、現在は不況でどこかで妥協するしかありません。
 最後に、現在の仕事を第二の定年までと決め、毎日店内を歩き回っています。

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