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   2004年9月15日号
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初の大規模広域訓練(東海地震対応)
先崎統幕議長を統裁官に1,270隊員参加
 「防災の日」の9月1日、静岡県・御殿場市をメイン会場に、東海地震(静岡県西部マグニチュード8.0)を想定した政府総合防災訓練が行われた。東海地震対応としては初の大規模広域応急訓練で、防衛庁は3年ぶりの自衛隊統合防災演習(実働演習)として、先崎一統幕議長を統裁官に、陸自東部方面隊を主体とする3自衛隊(人員約1,270名、車両約244両、航空機約38機、艦船3隻)が参加、内閣や関係省庁、地元住民らと連携した広域医療搬送、初動対応、生活支援活動に加え、海自輸送艦「しもきた」やLCACを使用した海上避難訓練も行われた。また、南関東直下型地震を想定した8都県市合同防災訓練(横浜市)をはじめ全国の地方公共団体が行う総合防災訓練に対して自衛隊が支援参加した。
 予知型の東海地震は、兆候が観測された時点で「注意報」が発表され、早い段階で各県等に警戒本部が設置される。訓練では広域医療訓練の拠点となった浜松基地で、政府の要請に応じて地震発生想定時刻の数時間前から救護所を開設、患者の受け入れ準備を整えた。続いて、C-1輸送機等で、立川駐屯地、入間基地、福岡空港から医療関係者が次々と到着。運ばれてくる患者を診察し、早期治療を必要とする重症患者を再び東京、埼玉、福岡の病院へ搬送した。
 また、注意報発生直後には広域派遣訓練として、警察等応援要員を乗せた輸送機が北海道、福岡からそれぞれ被災地に向け出発、いち早く同基地に到着し、救援態勢を整えた。
 主会場となった御殿場市馬術・スポーツセンターには小山会場から避難誘導訓練で集められた住民を含め、92団体、5,100人の参加者が集結した。本部テント前で、倒壊家屋からの被災民の救出、空自ヘリでの吊り上げ救助、バイクによる被害調査などが行われる中、午後には小泉首相、防災担当大臣、石破長官らが同会場に到着。34普通料連隊の指導のもと、地元防災会や御殿場高校の学生が協力した土のうづくりの様子など各訓練を視察した。小泉首相は講評の中で、市民と関係機関の意欲的な取り組みを評価し、「この訓練の意義を胸に秘め安全な街づくりに努めてほしい。迫力ある訓練だった」と感想を述べた。(塩田愛子)
〈市ケ谷〉
 防衛庁では9月1日、職員多数が参加して大規模な防災訓練を実施した。
 午前10時すぎ、火災が発生したことを想定に、職員が順次にグランドに避難し、整列。富永敏彦庁舎管理室長の訓示に続いて、新宿区牛込消防署員の協力で消化器操作訓練などを熱心に行った(=写真)。
 また、9月7日には自衛隊統合防災演習(指揮所演習)を市ヶ谷庁舎A棟で実施した。これは、先崎一(はじめ)統幕議長を総裁官に「東海地域の地震予知から地震発生初動対処」などを演練するもので約200隊員が参加した。

盛大に「橘祭」開催
<板妻駐屯地>
 静岡歩兵第三十四聯隊の伝統を継承する板妻駐屯地(司令・木原士郎1佐)は9月4日、橘顕彰会・三四会協賛のもと、「橘祭」を盛大に開催した。
 橘祭は旧陸軍時代、軍隊の指揮、統率法や教育法を説き、後に日露戦争で歩兵第三四聯隊第一大隊長として従軍し戦死した軍神・橘周太中佐の威徳を偲ぶとともにその良き伝統を継承することを目的に、昭和47年以来、「歩三四」のナンバーと伝統を引き継いだ板妻駐屯地で毎年行っているもので、今年は橘中佐没後100年の節目の年にあたる。
 さわやかな秋晴れにも恵まれたこの日、顕彰式典は連隊本部玄関前にそびえ立つ橘中佐の銅像を前に行われ、橘中佐、内田軍曹の親族はじめ地元関係者等約300名が参列した。式辞に立った木原司令は「"国を思い、常に部下とともにある"という橘中佐の精神、それを支えた内田軍曹の"公私一如"の精神はまさに自衛官の精神ともいうべきもの」と述べ、軍人として、日本人として崇高な精神を持った先人達に思いをいたし、国民一体となった、より信頼される駐屯地、いざという時に真に役立つ板妻部隊を目指していくことを誓った。
 続いて来賓が祝辞を述べたあと、参加者全員で軍歌「橘中佐」を合唱、献花が行われ、34普連儀仗隊による弔銃が響く厳粛な雰囲気の中、染井栄作橘顕彰会代表が謝辞を述べ、式典は終了した。
 引き続き、駐屯地体育館に会場を移して銃剣道奉納試合、徒手格闘演武が行われた。銃剣道奉納試合には34普連と橘中佐が当時、陸軍将校を養成するため全身全霊をかけて訓育にあたった名古屋陸軍幼年学校にゆかりのある35普連(守山)の選抜代表選手が出場。気合いと気合いがぶつかり合う熱気が体育館に満たされていた。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
防府市杜会福祉事業団身体障害者福祉センター 岸本修三
平成14年、12飛教団基業群施設隊を准空尉で定年退官。56歳
 私は、航空自衛隊防府北基地において定年退職を迎えました。定年の1年前には、再就職が内定しており、私の予定では4月に定年を迎え、1カ月ほど休養し、5月に前任者のOBがその会社を定年退職されたら、その後釜として勤めればいいという考えでした。
 ところが、定年の年の正月を迎えた途端、自衛官は採用しないと言われ、急きょ就職活動を開始しなければならず、援護の方にも努力して頂いたのですが、なかなかいい就職先が見つかりませんでした。また、ハローワークにも幾度となく足を運び求職活動を行ったのですが、50歳を過ぎると適職はなく、定年日も近づき、不本意ながらもある会社に勤めたのですが、やはり1年と5カ月で退社してしまいました。
 再び、求職活動を行っていたところ、援護室から社会福祉関係で身体障害者のデイケアサービス職の紹介を受けました。福祉関係の仕事に携わるのは初めてでしたが人のお役に立てればと思い、勤めさせて頂きました。業務内容は在宅障害者に対する送迎車の運転手、機能回復訓練(リハビリ)、各種教室講座、軽運動の支援などでした。勤め始めて、まだ9カ月余りですが、一生懸命頑張っております。また、職場の皆様が異口同音に「健康第一ですよ。お金がいくらあっても体が動かなくては使えません」と言われることに感心するとともに、ご本人のご心労、ご家族の看護のご苦労が身にしみてよく判るようになりました。今後も利用者の方々に喜んで頂けるよう、思いやりと優しさを忘れず、そして自分にとって大変やり甲斐のある仕事に就くことができたことに感謝し、誇りを持って頑張りたいと思っています。
 最後になりましたが、私の教訓として、仕事は長続きできる職場に就かなければストレスが溜まるということです。皆様、心身の健康が第一です。くれぐれも心身の健康に留意し、定年後の生活をエンジョイして下さい。

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