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   2003年12月15日号
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回想の70年代音楽 (22)
荒木曲美子って知ってますか
 だいき 毎週日曜日の7時台に「決定!日本のベスト」というTV番組(テレビ朝日系)で、アノ人は今どうしているか追っかけしてくれているので重宝しています。
 ひろか それで11月30日の番組で元アイドル歌手・荒木由美子の今の様子を見れたんだって。でも〜そんなアイドルいたっけ?
 だいき 番組でもちゃんと(?)紹介していましたが、彼女は榊原郁恵と同じく第1回のホリプロ・スカウトキャラバンに出場して、グランプリの座は榊原郁恵に取られたが審査員特別賞をもらって77年に芸能界デビューしたのだ。
 ひろか スカウトキャラバンの時の映像も流れていましたが、見た目では荒木由美子の方がアイドル性があるように見えました。そこを将来性に賭けたというか、原石としての榊原郁恵に軍配を上げた審査員の眼力は大したもんだ。
 だいき しかしまあ、40を超えても第一線で活躍するとまでは想像してなかったんじゃないの?それはさておき、芸能界デビューした荒木由美子はどうなったかというと、この年はもうひとり強力なライバルがいました。
 ひろか デビュー曲が阿木耀子・宇崎竜童コンビの「硝子坂」、その後「私はピアノ」、「秋冬」など幅広いヒット曲のある高田みずえです。
 だいき したがってパパの記憶では、荒木由美子は決して売れなかったわけではないがどうしてもみずえ、郁恵は追い越せなかったということで、記憶に残るヒット曲は…ありません。決して下手でもないし、見た目もアイドル向きだったんですけどね。
 ひろか その後、スポ根もののドラマの主役をやったりした後、83年に「雨のバラード」('72)で知られる(だけの?)歌手・湯原昌幸と結婚、第一線を退いています。
 だいき 荒木由美子の例は、アイドル歌手の売れる、売れないがいかに水物かを如実に物語っていますね。仮に2回目のホリプロ・スカウトキャラバンに出ていたら…
 ひろか 2回目のグランプリ獲得者M子さんは'78デビュー直後にプロダクションとぶつかって追放されてしまったそうです。この年はアイドル歌手不作の年で、石野真子くらいしかいないはず。
 だいき 数年後に「まちぶせ」で起死回生のヒットを放った石川ひとみの「くるみ割り人形」とか金井夕子の「パステル・ラブ」は記録に残したいですけど。ともあれ、ニューミュージック全盛のこの頃、'78が不作なら、'79は凶作。
 ひろか ところが80年になると一転、松田聖子、河合奈保子、三原順子、岩崎良美がドドッと出てくるんだから、巡り合わせというのはほんとに分からない。「時流」に合う(遭う)のも実力のうち、ね。

<寄せ書き 家族特集>
家族で爽快な一日
新潟地連柏崎募集事務所 1海曹 高嶋義徳
 新潟地連・柏崎募集事務所広報官勤務を命ぜられ、家族5人この地に赴任し早1年。私が思う以上に転属に伴う環境の変化に、家族それぞれが苦労してきたであろう。
 そんなモヤモヤした家族の雰囲気をサッパリとリフレッシュするのに、山登りは最高です。休日に自分の疲れを癒すためにと家でゴロ寝を決め込んで皆の顰蹙を買うよりも、家族揃ってリュックにおにぎり、お菓子、ジュースを詰め込んで、良い汗かいて励ましあって一歩一歩頂上目指す。山頂を極めれば、気分爽快。空きっ腹でほおばるおにぎりは格別です。
 今回は、「米山さんから雲が出た」という「三階節」でおなじみの地元「米山」標高993mにチャレンジ。360度全周、遠くに見る空の青、海の青、山々の緑、眼下に広がる紅葉の里山、海岸線、近傍の町や村、海の向こうの佐渡島、真に素晴らしい見晴らし。皆満足の笑顔に幸せを感じました。皆さんも、近くにお立寄りの際にはぜひ一度登られては如何でしょうか。ご案内致しますよ。
「うちのパパ」
名寄駐屯地第3普連1中隊 2陸曹 千葉 淳  長女 あや
 うちのパパは、自衛隊から帰って来ると、お風呂に入って御飯の時にたくさんビールを飲みます。その後は、いつも茶の間で寝ています。いくら起こしても起きてくれないので、とても悲しくなります。でも夜中に起きて歯を磨いてまた寝ているみたいです。そして
朝5時ぐらいに起きて、私が起きる前に自衛隊に行きます。
 それから、パパは、私に「おもちゃ」や「本」を片付けなさいとうるさく言うけれど、パパの部屋は、自衛隊に着ていく服やバッグですごく散らかって置いてあります。パパももう少し、片付けたらいいと思います。
 心配な事が1つあります。来年、2年生にあがる時に、旭川の小学校に転校するかもしれない事です。今の学校には、たくさんの仲のいい友達がいますが、その友達と離れて、旭川の学校では友達ができないかもしれないので心配です。
「初めての隊検閲」
倶知安駐屯地第11対戦車 2陸士  目黒祥史
 私は4月1日に自衛隊に入隊したばかりのほやほやの新人です。
 前期・後期と教育隊を修了し、9月17日に希望通り第11対戦車隊に配属されました。配属されて1週間ぐらいで師団演習に行くことになり、行ったのはいいものの、何をすれば良いのか非常に困惑しつつも無事に終える事が出来ました。
 そして今回の隊検閲も初めての経験で、たくさんの分からない事など多かったのですが、やっているうちに覚える事がとても新鮮で、自分にとってプラスになる面が数多くありました。
 隊検閲は、部隊の練度を検され、また自分らの力を遺憾なく発揮して、与えられた任務を遂行するような行動だと分かりました。やはり大切な事は、任務の完遂であり団結して事を成し遂げるという事です。今回の隊検閲では、自分でやれる仕事は自ら積極的に働き、上の人からの命令は忠実に守り、多少怒られても向上心を持って努力したと自分では思っています。
 これからの目標はもちろん陸曹になる事です。私は一般で入ってきましたが補士には負けない気持で頑張ります。とは書ってもまだまだここ11対戦車隊に来て1ヶ月しか経っていません。これから様々な対戦隊員として必要な教育や、他にも山ほど覚える事があるので精一杯頑張って早く習得していき、また持続走、銃剣道、冬季戦技などあらゆる戦技なども必死で努力して取り組んで、私の糧としていきたいと思います。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
更生保護法人新潟県保護会  服部 豊
服部氏は昨年8月、新潟救難隊を空曹長で定年退職。55歳
 援護室の紹介で、今の職場に就職し、早いもので一年が過ぎました。在隊時は航空機整備、機械相手の仕事でしたが、現在は更生保護施設で働いています、人と話をする、話を聞いてあげる、指導をするといった仕事です。更生保護施設の内容について説明しますと、法律に基づいて仮出獄、仮退院、満期釈放等のうち、頼るべき身寄りや住居のない人を保護し、自立、更正を援助し、宿泊、食事を供与し、就職の援助を行い教養訓練を施し本人が健全な社会生活を営むことが出来るよう指導、援護することを任務としています。高齢のため仕事を見つけられない、過去を伏せて就職をしたい、運転免許の更新時期が過ぎてしまった、転居のための資金が足りない、また保証人がいないなどの相談を受け、月5〜6回の宿直をこなしています。毎日が今までとは正反対の仕事で、ずいぶんと惑いましたが、「ありがとうございました」と言って退寮する寮生を見送ったときはやりがいを感じます。
 先輩職員の指導があり、今では戦力となるよう勉強し、厚生施設の指導員、保護司として頼りにされる職員を目指しています。
 これから定年を迎える人に一言いわせてもらえるなら、第一に健康であれということです。体が元気であれば何でもこなせます。企業は自衛隊で養われた健康な体、規律ある生活態度を求めています。それと資格は有った方がいいです。自分自身の資質向上のため、見聞が広がります。自衛隊は資格免許が比較的取りやすいと思います。手当てを支給する企業もあります。
 私は消防設備士などを持っていますので宿舎の保全点検に立ち会い、点検業者に納得がいくよう説明を求めています。これも在隊時に勉強したことが役に立っていると思います。
 〈援護担当の方へ〉私は在隊時機械関係の仕事でしたので人を指導するといったことは出来ないと固定観念を持っていました。しかし援護担当の方に、あなたなら出来るといわれました。正直やはり不安でしたが、仕事をしてみて、人間慣れでしょうか、出来るものです。正面からトライが大切かと思いました。迷い、不安の人がいましたら背中を押してやってください。

<部外者の声>
体育学校・広報センター 研修所感
<群馬県 新里中学校>
1年  小島 楓
 10月22日の総合学習では、お世話になりました。自衛隊の仕事などいろいろ教えてくれてとても勉強になりました。案内をしてくれた群馬地方連絡部の人に、初めて会った時は緊張して話す事も出来ませんでした。でも、誰もが明るく、優しく接してくれたので、とても気軽に話す事ができました。昼ご飯は豪華でびっくりしました。とてもおいしかったです。
 僕は獣医師になりたいけれど、自衛隊もいいなあーと思ってます。もし行けたら、来年も行くのでよろしくお願いします。今回は本当にありがとうございました。
 仕事、頑張って下さい。
1年  杉戸 亮介
 先日はお世話になりました。僕達のために忙しい時間をけずって頂きありがとうございました。
 初めて会った時、まず自衛官の服装に驚きました。すごく整っていて、見た瞬間に頼れる人だと思いました。「体育学校でオリンピック選手を育てている」という事は全く知りませんでした。あんなに沢山のスポーツがあると思いもしなくて、その規模がとても大きかったことに、すごく驚きました。初めて生で見た戦車やトラックは、とても迫力がありました。僕も乗ってみたいと思いました。昼食はとてもボリュームがあり、その上とてもおいしかったです。最後に行った広報センターもとてもおもしろかったです。「レンジャー」というビデオを見て、国を守るためにここまで厳しい訓練をするなんてとても凄いと思いました。今回は驚きの連続でした。本当にありがとうございました。そしてこれからも国のために頑張って下さい。

予備自衛官部隊を指揮して
広島地連 予備1尉  井坂 幸雄
 私がかつて自衛隊創立記念日行事の観覧式(観閲行進)に直接参加したのは数回で、多くは警備や整理の要員としての間接参加でした。その中で今でも強烈な思い出は、遠い昔に広島市の平和公園通りをパレードしたことです。その観閲行進も駐屯地内へと場所を移してからは血肉がゾクゾクとする事はなくなりました。そんな時に今年第13旅団創立5周年記念の観閲式に、幸運にも予備自衛官部隊の指揮者に選ばれ、遠い昔の感動が再燃しました。
 それは平成15年10月第5次予備自衛官招集訓練での出来事です。たまたま訓練期間中に第13旅団創立記念式典があり、観閲式に参加することになりました。観閲式には63名が参加しました。私も今まで7回ほど招集訓練に出頭しましたが、今回ほど心身共に厳しかったけれど感動のある訓練は初めての経験でした。
 今まではどちらかと言えば『個人の訓練』でしたが、今回は観閲式参加という目標のもと『部隊の訓練』が主でした。63名の予備自衛官は『予備自衛官のプライドをもってやりとげよう』を合い言葉に年齢や部隊経験の差を克服しお互いが励まし合って任務を完遂したのです。現職の方から見れば見劣りしたでしょうが、それでも観閲式後に多くの人から『素晴らしい隊容でした』との評価を頂き、それを素直に受け取り、喜んでいます。それはわずか3日間の訓練期間でしたが、『闘争心』を燃やし努力した結果です。その部隊を指揮した者として素晴らしき感動を与えてくれた63名の仲間に感謝を込めて『敬礼』です。ありがとう。

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