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   2003年12月1日号
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Nice Guysシリーズ
航空自衛隊は技術者集団
御厨3佐はパイロット(救難機)一筋
「感謝の気持を忘れるな」をモットーに
 御厨有正(みくりや・ゆうせい)3空佐=芦屋救援隊(長崎県出身、50歳)
 〈部隊歴〉昭和46年4月、空自航空学生27期生として防府北基地へ入隊。翌年の10月から49年7月までの間、防府北基地でT-34、芦屋基地でT-1、松島基地でT-33の飛行教育をそれぞれ受けた後、航空救難団に配属。その後は百里基地を皮切りに、新田原、那覇、小松救難隊と勤務し、途中、平成元年から約8年間の救難教育隊(小牧基地)での飛行教官を経て、更に千歳救難隊、そして平成14年2月以降、芦屋救難隊で勤務している。
 〈飛行時間〉総飛行時間6734.4(平成15・9・30現在)〈主な搭乗機種:MU-2及びU-125A〉
 〈災害派遣出動歴〉昭和53年10月、MU-2で熊本空港から新田原飛行場へ血清を空輸したのを皮切りに、比較的最近においては、平成11年7月、U-125Aによる利尻空港から稚内空港への急患空輸、12年11月、米軍機F-16操縦士の捜索に出動するなど計19件の災害派遣に出動している。
  ◇ ◇
〈パイロットを目指した動機、きっかけ〉漠然とは、事務的な仕事ではない職に就きたいという希望は持っていたものの、これといった目標もないまま高校3年になりました。いよいよどこの大学を受験するかという段階になった時、友人の受験を通じて航空学生制度を知り、「俺も受ける」と言って受験しました。今思えば、何かきっかけを欲しがっていた私には、既に目標が示されている本制度は、渡りに舟だったのかも知れません。とは言っても、近くに海上自衛隊の航空基地があり、よく飛行機を目にしていたことや、叔父が零戦乗りであったことなども多少影響していたのかも知れません。
 〈フライトコースでの苦労話、忘れられない想い出〉飛行機に乗ったのも、飛行適性検査が初めてで、パイロットへの憧れなど大してないままに入隊し始まった航空学生の生活でしたが、その後、徐々に飛行機への魅力にとりつかれていったように思います。ただ、学生時代はパイロットに魅力を感じることより、同期生と仲良く頑張っていく中で、自分一人落伍したくないとの一心でやっていた気がします。
 そんな中で、忘れられない想い出は、やはりT-34での初の単独飛行です。詳しいその時の状況は、もう忘れてしまいましたが、離陸後、後ろを振り返り、後席に教官が乗っていないことを確かめ、「ニヤッ」としたことを覚えています。
 〈初めて実任務に出動した時のエピソード〉確か蛇に噛まれた方への血清を急遽、熊本空港から新田原飛行場へ空輸してほしいと宮崎県知事から要請があり、MU-2で副操縦士として出動したのが最初の災害派遣出動でした。救難隊へ配属されて4年目のことで、救難隊の民生協力の面でのやりがいを自ら実感できた任務でした。
 〈最も困難だった任務、フライト〉これと言ってありませんが、強いて挙げるならば、経ヶ岬で浸水した外国船籍のタンカーからのV-107による乗組員救助のため、小さな機体のMU-2に可能な限りの照明弾を搭載して、真夜中の雪がふりしきる現場へと進出し、天候偵察や照明灯投下による支援を行ったことでしょうか。
 決して望んでいるわけではありませんが、われわれの任務には、選んだかのように悪天候が付いてくるようです。
 〈救難機の機長として心掛けている事項〉小松救難隊に勤務していた頃、老人ひとりが乗った小さな漁船が行方不明となり、MU-2で災害派遣に出動しました。私の出動はその日の1回のみでしたが、その後の海上保安庁も加わった捜索にもかかわらず、結局、航空機では発見することが出来ませんでした。ところが、確か2、3日くらい後だったと思いますが、その老人は、自力で帰還したのです。しかも、その老人が、「上空に航空機が飛ぶのを見た」と言っていたというではありませんか。そのことを聞いて思わず冷や汗をかいてしまいました。もちろん目視捜索では、気象条件や相対距離によっては、遭難者から飛行機が見えても、航空機から遭難者が見えないことは多々ありますが、それ以来、改めて、こと任務に臨む場合は決して悲観視することなく、遭難者の家族の心情を思い浮かべ、絶対見つける、絶対助けるといった気概を忘れてはならないと再認識しました。しかしそれと同時に、天候が悪い場合においては決して無理することなく、共に飛んでるクルー、またその家族の運命をも預かっていることも自覚し、引き返す勇気も併せて忘れないよう心掛けています。
 〈座右の銘〉特にありませんが、死んだ親父がよく「何事にも、何人にも感謝の気持ちを忘れるな」と言っていた言葉を肝に銘じております。
 〈後輩に対するメッセージ〉「座右の銘」の述べたことに関連して、私自身にも言い聞かせていることですが、安全に飛べるのは、整備員の方、一緒に飛んでいるクルーの方、その他いろんな職種で支援していただいている方々のお蔭であることを決して忘れないで今後とも頑張って欲しいと思います。
 〈妻への一言〉これからもよろしく!

【訂正】前回ご紹介した谷本太一1曹の記事の中で、レーダー管制無事故8,500機とあるのは85,000機の誤りでした。訂正するとともに関係者の方々にお詫び致します。


創立20周年を祝う 警空
ヒットメロディ音楽演奏も
 警戒航空隊創立20周年記念式典が11月8日、浜松基地格納庫で歴代司令等招待者はじめ約600名が出席して行われた。
 式典では小田邦博航空総隊司令官の祝辞が代読されたあと、福山建志警空隊司令が力強く訓示を述べた。また、これまでの歴史を振り返り、北部航空音楽隊が華やかに20年間のヒットメロディを披露。盛大に創設20周年を祝った。
 警空隊は機上レーダーによる低空偵入機の早期発見を主な任務とし、対処の迅速化、陸海部隊との連携に加え、捜査、救難活動等を実施。平成11年からは、旅客機をべースにしたE767の運用を加え、より広範囲の監視活動で日本の防衛を支えている。

戦没者慰霊式を支援
輪島基地隊員が儀仗隊を編成
 11月6日、石川県輪島市文化会館で「平成15年度輪島市戦没者慰霊式」が行われた。
 輪島分屯基地は、市側からの依頼を受け平成元年から儀仗隊を編成し、式典を支援しており、今年度も松崎3尉の指揮のもと、ラッパ手3名による「悲しみの譜」が館内に響きわたる中、式典が開始された。引き続き、1分間の黙祷の後、献水、献花、式辞、追悼の辞、電報披露、謝辞が順次行われ、閉会した。

10年の節目迎える
全防協「安全保障講座」
防大教授3氏招き開催
テロ対策など中心に
 全国防衛協会連合会(山口信夫会長)は11月13日、「防衛大学校教授による安全保障講座〜国際人の教養としての軍事学、日本の安全保障と軍事科学を学ぶ〜」をグランドヒル市ヶ谷で開催した。毎年この時期に行っている同講座は、今回で10回目の節目を迎えた。
 冒頭の挨拶で全防協の日吉理事長は「冷戦後、不確実な時代となった。世界各地でのテロ多発・隣国の北朝鮮問題など、わが国の平和と安全確保においては日米安保の基軸と自らの対応力強化が重要となっている。国民の間でも主催・領土・国家意識が高まり、防衛への意識が高揚してきている」と述べた。
 今回の講座の内容は「テロ対策」「テロ組織」などが中心となり、登壇した3人の講師の演題などは次のとおり。▽宮坂直史助教授は「国際テロリズム情勢とテロ対策の展開」と題して最近の国際テロ組織の状況と対応の難しさ、今後の課題などを講演。「このほど行われた衆院選挙前のアンケートで"拉致はテロだ"と大多数の議員が認めているが、テロだと認めるのであれば具体的対策を講じないことは不作為」と斬新に指摘した。▽立山良司教授は「イラク戦争後の中東情勢と国際政治」という演題で、現在進行しつつあるイラク統治体制づくりの実情・詳細解説などを行った。▽小池重倫教授(1陸佐)は「新しい戦争における軍事力の役割」と題して、冷戦・ポスト冷戦時代を経て9・11同時多発テロ以降、戦闘に対する市民の脅威の質は大きく変化し、国際防衛・国土防衛・国民防衛という防衛の3大柱のウエイトも大きく変容していることにも言及した。

防衛ホーム 俳句コーナー
 どの影も楽し冬日の育てゐて  岩崎 精子
 糸底の指にざらりと冬に入る  小川 淑子
 聴く人のこころこころに残る虫  中野たか江
 赤城山日に日に秋の深まり来  蓮佛志向子
 失業の夫(つま)をねぎらふ温め酒  佐藤 泰之
 馬の目はいつも濡れをり菊日和  天本宏太郎
 ハーモニカ吹かばや月の窓開けて  今井 文和
 山霧の中応々(おうおう)と応(こた)へつつ  有馬 澄廣
 枯野行き何故にはぐれしかと思ふ  小長谷敦子
 奥秩父捨田捨田の秋桜  松野 藤枝
 乳牛に歌をきかせて牧小春  清水 春生
 沼奥の明るく鳥の渡る頃  中村 かよ
 里山の明るくなりて冬に入る  篠田 初枝
 寄せ墓は潮傷みして島の秋  安藤かつみ
 漁舟影おく冬の海平ら  棚橋 弘子
 菊人形雨の虚空を睨みをり  堀内ミサ子
 針叩十ほど打ちて闇深し  吉永 紅市
 長き夜や人生論を説く人と  北島 美保
 はみ出して宝くじ買ふ人着膨れて  柴垣 千風
 営庭の落葉を拾ひ兵微笑  坂元 順一
     選者吟
 大枯木大地にしかと影を置く  保坂 伸秋
     (「栃の芽」誌提供)
 「栃の芽」誌をご希望の方は〈栃の芽会連絡先=仙台防衛施設局総務部・畠中草史氏 電話 022・295・1281〉へご連絡下さい。

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