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   2003年12月1日号
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<寄せ書き>
後期修了所感
第12特科隊新隊員教育隊 2陸士 菅谷英樹
 前期教育時の同期とも別れ、新しい班員と新たな気持ちでスタートした後期教育。自分達がこれから学ぶ装備「FH-70」、これを完璧にマスターすることが後期教育の目標となりました。
 はじめは分からないことばかりで、班長に指導されるまま動いていました。しかし慣れない動作にとまどいながらも少しずつ克服し、やっと覚えた!と思ったら、また新しい動作に入っていく…。日に日に砲班訓練は厳しくなっていきました。また課業外も休む暇はなく、ノートを整理したり復習したりと、毎日がめまぐるしく過ぎていきました。しかし一日が終わるたびに自分の成長を感じ、練度が上がっていく自分を見てうれしさがこみ上げてきました。
 教育も終了し、中隊配属となります。そこでもまた、楽しいことや辛いことなど色々な事がありますが、後期で学んだことを活かし、立派な自衛官になりたいと思います。
後期修了所感
第6地対艦ミサイル連隊 2陸士 宮川芳布
 後期教育当初、慣れない環境に大変緊張しており、とても不安で、同期ともなかなか打ち解け合うことが出来ませんでした。しかし、教育が始まり、訓練を重ねていくうちに不安もなくなり、同期との絆も深まっていき、怪我もなく、後期教育を修了することが出来ました。
 これからの目標は、1日も早く中隊に慣れ、教育で学んだ事を中隊で活かし、率先して何事にも取り組んでいきたいと思います。また、少しでも諸先輩方に追いつけるよう、これからも更に全力で、頑張って行きたいと思っています。
最後の戦闘団検閲
第3普通科連隊第2中隊 陸曹長 福家章二
 平成15年9月3日から8日までの間、私は自衛官として、おそらく最後になるであろう第3戦闘団夏季訓練検閲に、広報陸曹として参加した。広報として戦闘団検閲に参加するのは3回目であるが、来年定年を迎える私には、今回の戦闘団検閲は特別な思いがあった。
 広報としての私の任務はあらゆる場面の写真を撮り、戦闘団の機関紙「Combat」を編集・印刷・各部隊に配布することである。
 コンバットが今のスタイルになったのは、平成13年7月の戦闘団検閲からである。当時私は、広報班に勤務したばかりで、いきなりの戦闘団検閲であった。写真が趣味で撮影には慣れていたものの、コンバットをどのように構成するかは悪戦苦闘だった。
 幸いに、同じ広報班の油留木准尉と富澤2曹(現1曹)のアドバイスでどうにか出来上がり、第1号を各部隊に配布できたときは正直に嬉しく、戦闘団の仲間たちがこれをみてくれると思うと、年甲斐もなくこみ上げてくるものがあった。
 この戦闘団検閲以降、CT-ICE、FTX、師団射撃競技会、冬季戦闘団検閲等で「Combat」を発行してきた。私にとって、今回の夏季戦闘団検閲は自衛官として最後の検閲であり、集大成でもあった。9月3日駐屯地での状況開始から撮影し、9月7日の総評まで、第1線から後方までの写真を実に657枚撮った。6号までの「Combat」で使用した写真は30枚ほどであるが、1枚1枚にそれぞれ思いがある。
 また、今回特に、副連隊長・谷崎2佐から「家族の激励を入れたらどうか」のアドバイスをいただき、第5号として発行したことは、今後の「Combat」のあり方として大いに参考になった。
 私は来年定年であるが、「Combat」が、今後も第3普通科連隊と第3戦闘団の機関紙としてあり続けることを願う。

「頑張っています」 新しい職場
<活躍するOB シリーズ>
滋賀県下水道保全事業協同組合 高島事業所  岸田 明正
 皆様方に支えられ、約40年にわたる自衛隊勤務を終了し、平成14年4月に今の会社に雇用されて、早1年が経ちました。
 私が就職援護を受けるに当たって希望した就職先は、社会に通用する資格を何も持たないので、部隊経験が生かせること、また長年の留守中に家族がお世話になった地元の自治会活動への参加に理解を得られる団体であることでした。
 このため13年春から、地方連絡部や大津・今津駐屯地業務隊の援護担当の方々には、きびしい雇用情勢のなか、無茶とも言える希望を汲み入れ、限られた援護情報を基に、援護活動に奔走して頂き、心から感謝しています。
 現在の仕事は、下水道公社から委託された浄化センターなどの諸設備の保守管理業務を実施することで、下水道保全事業協同組合高島事業所の所長として19名(自衛隊出身者2名含む)の仲間と共に、琵琶湖の水質の維持・向上の一役を担っています。
 高島事業所の主な業務内容は、水処理施設と同機器の運転制御・保守管理(巡視点検、整備など)、水質の分析・検査補助ですが、浄化に必要な微生物、薬品、電気制御システム等に関する知識も当然必要です。このため所員は下水道管理技術者、電気主任技術者、公害防止管理者、計量士、溶接ガス取扱主任者等の資格を有する技術者であり、また大学卒業者が半数近くを占める技術集団です。
 自衛隊在職中は、退官後に役立つ資格の取得など無関心でしたが、制服を脱いだ途端から、どのような「資格」でもそれは、「人格の一部分」と見なされ、また「勤労評価の対象」とされる立派な有形財産であることを知らされました。
 在職間に、将来の役に立つ資格の取得を人生計画の必成目標の一つとし、これを達成することをお奨めします。技術集団の心強い仲間に囲まれた会社勤務と、微力ながらも地元に貢献できることを喜びに、自衛隊出身者として悔いのない社会生活を歩むつもりです。

回想の70年代音楽 (21)
「扶養家族」の考察
 だいき 11月20日の毎日新聞に千代田区にある歌手・森田公一氏宅で火災があったという記事がありました。
 ひろか 森田氏は天地真理のヒット曲など作曲家としても高名なのに、わざわざ「歌手」としたところに目が行きますね。記事では、トップ・ギャランというグループを率いて歌った「青春時代」はミリオンセラーになったことに触れていますが、あれからもう四半世紀経っていますから、記事を書いた社会部記者自身はどの程度知ってるんですか…
 だいき トップ・ギャランみたいなグループの場合、リードヴォーカルと他の伴奏メンバーの「ギャラ」の配分はどうなっているのか、興味ないですか?
 ひろか パパなんか他の伴奏メンバーのことを「扶養家族」とか言っていますが、バカにしてるんじゃなくて、音楽的な才能は十分承知の上で扶養家族の考察をしてみたいと思います。
*1人の例
 グレープ(さだまさしの相方)
 バンバン(ばんばひろふみの相方)
 明らかに売れてるひとりと、明らかに無名で埋没したもうひとりのコントラスト、これもまた人生か。
*2人の例
 海援隊(ただし千葉和臣は「贈る言葉」の作曲者としてもうひとりのメンバー中牟田氏より名が出る機会多し。)
*3人の例
 4人組で一人が突出するケースは割と少ないぞ、と思ったらありました。殿さまキングス(ただしリーダーの長田氏はのちにオヨネーズでしっかり存在をアピールしている。
*4人以上のことはいっぱいあるから省略しますが、とくにマル扶が多かったのはチェッカーズと米米クラブ?
 だいき 扶養家族をひんぱんに換えていた人もいますよ。そう、はしだのりひこ。加藤和彦、北山修と組んでいたフォーク・クルセダースのあと、ヒット曲「風」('69)を生み出したシューベルツ、同じく「花嫁」('71)を生み出したクライマックスと続き、しまいにエンドレスという3人組を組みましたがこれは不発に終わりましたね。
 ひろか フォーク・クルセダースといえば昨年、幻の曲「イムジン河」の復活で話題となりましたが、パパは中学生の頃、学校の合唱コンクールなんかで特定の教師がこれを指導するのを苦々しく思っていたって。
 だいき なんで?祖国を分断された民族の哀しみを歌っているのに。
 ひろか 「イムジン河」自体はすばらしい旋律の名曲ですが…ただ「誰が祖国を分けてしまったの」という一節にあれれときたって。

<部外者の声>
生活体験は大きな収穫
日本電通株式会杜 経営企画部  上田孝明
 「なぜ自衛隊?」
 新入社員の半数以上の者が疑問を抱きながら参加する生活体験。新入社員フォローアップの一環として、平成9年からお世話になっており、早いもので生活体験者数は126名を数え当社の貴重な戦力となっております。
 毎年行う生活体験では、あえて十分な動機付けを行わず、当研修の実践目標として「規律の遵守・基本動作の再確認」「組織内での役割・言動の再確認」「自己責任の復習」のみを伝え当日を迎えます。
 広報室長・教官との対面後、日常にはない環境下での作業服への着替え、ベッドメイキングなどが始まり、前途の疑問を抱いている者は、この時心に乱れが生じる様です。昼食の後は基本教練そして体力調整。業務繁忙を理由に、日頃の運動不足を痛感すると同時に、参加したことを後悔するようになります。
 真の研修はここから始まるように思います。
 自分が好む好まないにかかわらず、限られた環境下で「他に責任を転嫁することなく如何に役割を果たすか」という考えを心の深いところで理解し実行することができ、また分刻みの団体行動の中で「今何を選択しなければならないか」など、素直に優先順位をつけること。更に連帯責任の重さ、「一人ぐらい…」と言う甘えの怖さを体で覚え、厳しく、時には兄のように優しく接して下さる教官に人間的魅力を感じ、リーダーシップも学べることが大変貴重な経験となります。そして、我々引率者も研修生と一緒に走り、体力練成など行動を共にすることで一体感が生まれ、同じ目線で会話できることも大きな収穫となります。
 人事部門在籍中、体験入隊の引率者として7年間参加させて頂きましたが、本当に有意義な素晴らしい内容であると実感しております。この生活体験で学んだ事をぜひ職場で生かしてもらい、今後立派な社員として活躍してもらいたいと切に願っています。
 当初よりご指導頂きました自衛隊大阪地方連絡部の皆様、また生活体験でお世話になりました信太山第37普通科連隊の方々に改めまして心からお礼を申し上げます。
キャンプの思い出
久居駐屯地
立成小1年生 大西岳
 ぼくは、初めてじえいたいのちびっこヤングにさんかしました。いくまえはちょっとドキドキしたけれど、とてもたのしかったです。
 ぼくは、レンジャーのにしもとさんと友達になりました。ぼくたちは、ぼうしゲームやおにごっこをしました。あんまりあつくてせんぷうきにあたりました。すずしい風がすうっいときて、「すずしいね」といいました。にしもとさんが「かたぐるまをしてあげる」といって、ぼくをかたにのせてくれました。ぼくは、みんなより大きくなりまし
た。そのあとおふろに入りました。家より大きいおふろです。パシャパシャと水のかけあいをしてあそびました。2日間は、あっというまにおわりました。おわかれのとき、ぼくはさみしくてないてしまいました。また、来年もじえいたいのキャンプに行きたいです。

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