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   2003年10月15日号
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落語口演会を開催
熱演に会場は笑いの渦
<札幌>
 札幌駐屯地(司令・火箱芳文将補)では、9月19日午後17時30分から駐屯地体育館で、落語口演会を開催した。
 出演者の金原亭伯楽師匠、金原亭小駒師匠、吉原朝馬師匠そして人形師のニューマリオネット一行は、駐屯地体育館のにわか造りの舞台にもかかわらず、降り出した雨の中集まった隊員と家族約400名を前に、熱演を繰り広げ会場を笑いの渦に巻き込んだ。
 伯楽師匠と朝馬師匠は平成12年の口演以来2度目の来隊で、隊員の笑いのツボをしっかり押さえ、普段あまり接することの無い落語のおもしろさを存分に披露して隊員を慰労した。
 また、人形師のニューマリオネットの、まるで生きているように人形を操る技には、驚嘆の声が揚がっていた。
 予定にはなかった、大喜利も披露され、最後に駐屯地司令が花束、記念品を贈呈、約1時間45分の口演を大盛況の内に終了した。

女子短大生が調理実習
松本駐屯地糧食班
 松本駐屯地(司令・小森一生1佐)業務隊糧食班は9月1日から8日までの間、山梨学院短期大学の依頼を受け学生2名の部外実習を実施した。
 実習では、調理実習、集団給食での栄養・衛生管理等を栄養担当者、衛生科長・糧食班長から教育を受けていた。
 調理実習では、慣れない広い厨房で、山のような食材に囲まれながら調理にあたり、学生達は「自衛隊ならではの栄養基準や献立内容に普段では学ぶことのできない事を学べました」と話していた。

曹友会ボランティア老人ホームで草刈り
 松本駐屯地曹友会は9月18日、市内老人ホーム「温心寮」と特別養護老人ホーム「浅間つつじ荘」でボランティアを実施した。
 この日は、駐屯地曹友会長(長尾曹長)以下29名の曹友会員がボランティア休暇を使用して施設内の草刈りを行い、朝8時から開始された作業は午後3時半まで行われ、刈取った草の量は、軽トラック30台分になった。
 施設の職員は「斜面が多く危険で職員では対応しきれないので、とても助かります」と話していた。

消防団にラッパ指導
<国分>
 第12普通科連隊(連隊長・川久保源映1佐)の音楽部(部長・張田情彦曹長以下4名)は9月20日、大口市消防団ラッパ隊19名に対するラッパ教育指導を実施した。(=写真)
 秋の気配を感じさせる当日は、第12普連音楽部部室でラッパの基本練習から始めながら、消防団員19名の練度を把握した。
 午後からはその練度に基づき3個グループを編成し教育を開始。時々とぎれていたラッパ音は音楽部部員の指導とともに、きれいな音色が駐屯地内に鳴り響いた。最後に、消防団全員による行進曲を吹奏、その表情は自信に満ちあふれ、今後更なる練度向上を誓い、駐屯地を後にした。

ボランティア活動に参加
<秋田駐屯地業務隊>
 秋田駐屯地業務隊(隊長・佐藤秀夫2佐)は9月13日、秋田県地域振興局の呼びかけによる「夕日の松原」クリーンアップ大作戦に曹友会分会長・斉藤可益曹長以下10名が参加した。(=写真)
 「夕日の松原」は、秋田市と天王町の海岸沿いに広がる場所で、飛砂防備機能のほか県民の保健休養の場としても利用され、日本海岸を代表する景勝地になっている。しかし近年散乱ゴミにより著しく景観を損ねているため、延べ延長15キロメートルを県・天王町ボランティア団体、企業の関係者等が清掃を実施するもので、今年で3回目。
 この日は台風14号の影響によるフェーン現象で気温30度の中、朝8時30分から事前に割り与えられた場所に各人必要な物品(ゴミ袋、軍手、デレッキ)を手に黙々とクリーンアップした。2時間という短い時間だったが、隊員はさわやかな汗と充実した時を過ごすことができた。後日の報道によると集積されたゴミは、2トントラック16台分とのこと。
 参加者は「先人の努力により作り上げられた保安林の保全と景観維持向上を図る目的を達成した貴重な活動だった。また、これを機会に日本一の「夕日の松原」として全国に誇れるよう、地域に根ざした活動をしていきたい」と話していた。

花壇コンクールで特別賞
<島松駐屯地曹友会>
 島松駐屯地(司令・師岡英行陸将補)は第37回花壇コンクール(恵庭市花いっぱい文化協会主催)で、特別参加賞を受賞した。
 水と緑の街づくりを推進している恵庭市は、ガーデニングが大変盛んな地域。そこに所在する島松駐屯地としては地域との一体化や駐屯地の環境整備・美化、隊員の生活環境の向上のため、曹友会が主体となり、従来から課外時間等を活用し、史料館前の「メモリアルガーデン」整備に勤しんできた。
 この度、5月下旬から土壌作り、植え込み、水やり、花殻摘みなど丹精を込めて維持管理してきた約800株の花からなる花壇が、恵庭市花いっぱい文化協会の審査員5名により全体の調和、デザイン、色のバランス、育成、管理の4項目で審査された結果、2年連続特別参加資受賞という栄誉に輝いた。

彰古館往来
日本最古の形成手術
名誉の戦役負傷を受けた者が不遇な扱いを受けてはならない
陸自三宿駐屯地・衛生学校
〈シリーズ 21〉
 前回に引き続き、明治10年(1877)西南戦争当時の大阪陸軍臨時病院での出来事です。大阪病院には戦役期間中3,900人の負傷者が九州から後送されています。
 3月15日、大阪鎮台歩兵第十連隊第二大隊第四中隊の兵卒黒田春太は、肥後の国は二俣追撃の際に、右顔面に弾丸を受け卒倒しました。直ちに木の葉病院に搬送され、長崎軍団病院で手術を受けました。傷口を検分すると頬から顎をかすめる様な裂傷がありました。木の葉から長崎軍団病院に後送された黒田はここで手術を受けます。
 銃創の縫合という観点からいえば、外科的には手術は成功したと言えます。問題はその風貌です。傷口を縫い合わせたことによって引きつった顔面の右半分は醜く変形し、閉じることの出来ない口の端からは常によだれが流れています。傷口は治っても、黒田は心に大きなキズを受けることになったのです。
 大阪陸軍臨時病院に転院した黒田は、佐藤進院長の診察を受けます。佐藤院長は「戦傷の処置は、術後の社会復帰までが外科医の役目だ」と考えていました。今の黒田の状態は、外科処置を途中で放棄された状態です。佐藤院長は、ドイツで学んだ最新の外科手術で顔面の修復を決心します。
 手術は、顔の傷跡を切開して、再度縫合し直すもので、造頬術と名付けられました。今風に言えば、形成手術です。わが国で初めての美容整形と言えます。
 しかし口というのは難しい場所で、単なる皮膚の縫合だけでは済みません。傷口の癒着によって「口が開かない」或いは「閉じない」、「よだれが垂れる」、「食物を飲み込めない」、「流動物がこぼれる」、「言語を明瞭に発音できない」など、生活に不便な障害が残る可能性が常にあります。つまり口腔外科という分野の手術にもなるのです。
 7月26日、手術台に載せられた黒田は迷朦薬(クロロホルム)を吸入、創縁を切開して上下の癒着した歯肉を剥離しました。右顎の下を3?ほど切開して下顎の皮膚を引き上げ、上下の唇を整形して手術を終りました。
 手術後、物を噛むことと発声を禁止された黒田は、牛乳と鶏肉のスープを与えられます。7月29日から8月4日にかけて、縫合した糸の抜糸をしますが、炎症や癒着もなく、経過は良好です。8月27日、全ての傷口は治癒し、十分に口の開閉が出来、言語も明瞭、咀嚼も嚥下も問題ありません。顔面の傷も、日を追って薄くなり数歩離れれば判別できないほどになりました。
 外見で人を判断してはいけないと言いますが、当時は奇麗事ではなく、戦傷者に対する差別も現実にはあったことでしょう。佐藤院長は、名誉の負傷を受けた者が不遇な扱いを受けることがあってはならないと、戦傷による顔面損傷の修復を施術しました。つまり軍陣医学は、126年も前に戦傷からの社会復帰を前提とした、近代的な形成外科手術を開始したのです。
 彰古館には黒田の記録として、五姓田芳柳の絵画、戦傷写真、病床日誌の写しが現存しています。

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