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   2003年10月1日号
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寄せ書き
私の趣味
新潟地連 1曹 日出洋一
 洋画サウンドトラックレコードを収集し始めてから、早いもので30数年月日が経った。とことん原盤だけにこだわり続け、東京都の中古レコード店を探し幾度、足を運んだか。
 何千通と出したファンレターで、返事がきたのがジュリー・アンドリュスとデビー・レイノルズのサイン入り写真の2通です。
 現在はこのほかに、NHK紅白歌合戦のサントラを収集したいと思っています。
 ファンレターで大切な言葉 Could you give me your photograph with your autograph ? (あなたのサイン入り写真を下さい)を一言添えて。

石・石・石!
第12普通科連隊第1中隊 1曹 山岡和雄
 霧島演習場といえば、そう、石だらけ、岩だらけの演習場です。今回私は、この演習場で小銃小隊として小隊検閲を受閲しました。
 内容は、防御陣地を構築し、侵攻してくる敵を阻止と明快です。
 陣地といえば穴、そう穴掘りです。そして当然のごとくそれは出てくる。「はっと、陣地地域の周囲を見渡せば」そこには必ず大きな石、岩を伴った地形を確認できる。足元に目を転じてみると、あら、もうそこそこに顔を覗かせている。
 侵攻してくる敵より前に、石との戦いが始まった。私は小隊1班の副班長、当初は、機関銃壕の指導及び支援である。射手は示された位置と射線に合わせて経始を開始、そして芝はぎ、「よしよし、良好、良好」一時掘開始め!
 30〜50と掘り下げる。よ〜しあと少しで一時掘開が終了と思った瞬間、「待ってました」とばかりに円ピの先がいやな音をたてた。「ガチッガチ、ガチン」と一瞬、機関銃手と2人顔を見合わせる。音のした周囲に円ピを差し込んでいく。「ガチ、ガチ、ゴキン」と明快な石表示、ふと、我に返り周囲に耳を澄ますと同時に見返してみると、あちこちで石と闘う音が聞こえる。向こう斜面を上がる隊員は、ツルハシとバールを手に歩いている。「おや、あの台の向こうで上がる白煙は削岩機の煙」まさに悪戦苦闘。我々は防御陣地で防御する前に、頑強な石・岩を攻撃してこれに勝たなければならない!
 機関銃の壕からは、1つ2つと石が彫り上げられる。バール、タガネ、ツルハシそして削岩機と、持てる器材と気力をフル動員して攻撃また攻撃、そして壕は完成した。
 霧島の特性と一口で言えば簡単だが、他の演習場と比較した場合この差は大きい。私は偽装及び細部指示をして、機関銃の壕を離れた。
 そして一息ついて自分の壕の方向へとエンピを手に歩き出した。「神様・仏様どうか石がでませんように」と祈りながら。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
国分公共職業安定所  濱畑 秀夫
平成13年11月、第12普通科連隊=国分を3陸佐で定年退職。55歳
 私は、在隊間部隊における職務柄、退職予定者の就職援護のため、駐屯地援護センターには度々足を運び、退職2〜3ヵ月前には再就職先をほぼ決定して新たな人生をスタートさせてきたつもりでした。しかし、近年の雇用情勢の悪化と雇用のミスマッチ等もあって自分自身の退官時にはこれといった職が決まらなかったため、翌年3月頃迄を充電の良い機会とばかりにいきがって就職浪人を決め込んでいました。その矢先、援護センターの計らいで現在の仕事に就職し、早1年余が過ぎ去ろうとしています。
 私の仕事は、求人開拓推進員として郡内の1市7町の管内事業所(企業)を訪問しながらコミュニケーションを図り、求人の確保と事業所情報の収集(提供)に努める企業と求職者のパイプライン的役割が本来業務です。このほか、毎週発刊する求人情報誌の印刷・製本、自己検索システム(求人パソコン)導入に伴うナビゲーターと多種多様ですが、現役時代に培ったチャレンジ精神と健康な身体を武器に頑張っているところです。現下の雇用環境は、長引くデフレ不況を背景に企業倒産やリストラが高水準で推移し、2002年度の平均完全失業率は5・4%と1953年の調査開始以来最悪となり、年平均の完全失業者数359万人で4年連続300万人を超えています。
 このような中で、鹿児島県は年平均完全失業率4.9%、有効求人倍率0.42倍という雇用情勢にあり、不良債権処理加速や構造改革の進展に伴って今後も一進一退を繰り返し、パート求人や短期の臨時求人が多く、実態は甚だ厳しい様相を呈しています。
 当ハローワークも毎日1千名前後の老若男女が職を求めて訪れる現実を垣間見て、1年前の自分の姿と重ねてしまい、この中から1名でも多くの方のマッチングをと願いつつ「幅広い職種からの求人」を念頭に事業所等を訪問しています。
 訪問事業所の選定にあたっては、事前の各種の情報入手はもちろん季節的要素、地域的要素など、あらゆる方向からのアプローチを検討して求人の掘り起こしを図り「1日1社」の求人確保を必成目標と自分に課し東奔西走しているところです。

回想の70年代音楽(17)
義務的な…桜田淳子論
 だいき 岩崎宏美、山口百恵のことを書いた以上は桜田淳子もと意気込んでみたものの、なかなか難しいですね。
 ひろか カラオケ本の「ユーカラ」だって10曲しか入ってなくてね。昭和48年にデビューして翌49年から57年まで紅白にも連続9回出場した歌手がですよ。岩崎宏美だってシングル化された曲が全部入っているのと比べてヒドク冷遇されてる。
 だいき パパがメル友なんかに当たっても、元祖ぶりっ子だとか代表曲は「私の青い烏」(昭和48年=中3の時、シングル3曲目)ね、という程度で熱い思いを聞くことがないって。まあ、そういう本人があまり熱くない。
 ひろか 全く冷めてるわけではなくて、パパにとって桜田淳子は戸惑いながらも眩しい青春の一つの表現であって、その意味ではクラい山口百恵とは全然違う。ただ、今になって振り返ってまた帰っていきたい世界にあるかと言えば、そう思えなくて、とらえどころの無さしか思い浮かんでこないって。
 だいき それは約10年前の衝撃的な引退が理由で最近の歌番組に顔を見せないことからでもなく、昭和57年の最後の紅白で歌った曲がお仕着せの「セーラー服と機関銃」という言わば屈辱的な歌手としての最後のゆえでもなく…一体何のか。
 (注:この時の最大の話題は同じプロダクションの後輩である松田聖子と郷ひろみの共演であり、同い年の歌手である岩崎宏美は歌謡曲大賞受賞曲「聖母たちのララバイ」を歌った)
 ひろか 変な注が入ったけど、末路が真っ当でなくても、アイドルとしてはもちろん、脱アイドル路線で「しあわせ芝居」(中島みゆき詞・曲)を代表曲で持っている歌手としての評価にキズはないはずよ。
 だいき 歌手として現に生きている中島みゆきは、生きているゆえに変わっていく。人気番組「プロジェクトX」の主題歌を歌って、失われた十年に打ちひしがれた国民大衆を鼓舞している。こんなの、かつてのみゆきファンからすれば変節とならないのかしら?
 話がずれたけど、桜田淳子の場合、歌手から女優に軸足を移し、そして忽然と消えた分、受け手の方では不完全燃焼感が抜けないんだろう。つまらない結論になってしまった。
 ひろか パパの耳に残る青春の曲by淳子
 ()は出だしだよ。
 「花物語」(この花は私です)
 「黄色いリボン」(丘をかける黄色いリボン)
 「初めての出来事」(くちづけのその後で)
 「ひとり歩き」(涙という字を書いて)
 「十七の夏」(特別に愛してよ十七の夏だから)
 「夏にご用心」(夏は心のカギを甘くするわ)
 だいき 結構知っているだろ、って言いたいのかよ。本当に面倒くさいな。
 パパ 全シングル曲を収めたCD(限定販売版)定価1万5千円だって、高いねえ。何様のつもりだい!

部外者の声
防衛講座に参加して
<広島地連>
隊員になったよう
三原市立第5中学校 2年 田原佳政
 僕は、航空自衛隊築城基地へ行くために7月31日、朝3時に起床し迎えが来るのをわくわくしながら待っていました。
 基地に着いた時はとても楽しみにしていた航空機見学が始まる頃でした。F-1・F-15を間近で見たときは、思っていたよりとても大きくてビックリしました。
 食事も美味しくておかわりできたし、風呂は温泉みたいに大きく、泳げそうでした。また、泊まった所も広く、テレビ・クーラー・冷蔵庫など、施設が充実していて、明日の事を楽しみにしながら快適に過ごす事ができました。
 次の日の朝、ラッパの音で目が覚めました。映画のワンシーンの様で感激し、5分もしないうちに点呼が始まり、国旗掲揚へと時間が流れ、僕自身が自衛隊員になったような気持ちになりました。
 体験搭乗では、CH-47Jで上空まで飛んで嬉しくて機内から写真を撮りまくりました。
 また、自分も自衛官になりたいと思っていますので、これから目標に向かって色々努力をして頑張っていきます。

絶対、自衛官になる
安芸府中高校 2年 竹中勇揮
 小学校の高学年の時から自衛官になるのが夢でした。今回の体験学習で「絶対に自衛官になってやる」と思いました。
 まず、山口県の航空自衛隊防府北基地に到着して、基地内の食堂でご飯を食べました。ボリュームたっぷりでカロリーも結構ありそうでした。とてもおいしいと思いました。
 次に、ヘリコプターに乗りました。ヘリコプターは揺れると思っていたのですが、乗ってみると全然揺れませんでした。
 高度600mから1,000mくらいの所を飛んで、窓から外を見たら家などが本当に小さく見え、こんな体験は2度とできないと思いました。
 次は体育で水泳をしました。私は、泳ぎはあまり得意ではありません。自衛隊の人が「自衛隊に入隊したら最低でも6?は泳げんといけんけーの」と言っていました。考えてみれば飛行機に乗っていてもし飛行機のエンジンなどが故障して、海の上に落ちたら陸まで泳がないといけないからかなぁーと思いました。
 変な考えですが、何があるかわからないのが自衛隊だと思います。イラクへの派遣だってまさか日本が行くとは想像もつきませんでした。今回の体験学習で、みんなには体験できないことをして、とても勉強になりました。


予備自補 訓練所感
<滋賀地連>
2期生 山根麻衣子
 8月4日からの5日間は、今までの生活とは違うことばかりで戸惑い続けた毎日でした。起床や消灯時間も含めた時間の厳守、行進訓練、戦闘服のアイロンがけなど何もかも初めてのことで、それらを覚えるのに必死でした。
 特に今回学んだことは連帯感だと思います。大学は個人それぞれが集まっているだけであって、連帯感を学んだり感じられることは、ほとんどありません。私は、中学・高校と部活をやっていたので、連帯感というものを少しは経験していましたが、それとは桁違いのものでした。
 朝から厳しい訓練があり、自衛官としての精神を養うための座学が行われるなど、入隊するまでの意識を根底から覆されるものでした。
 訓練3日目のランニングの後、暑さのため意識がもうろうとして必死で耐えながら、このままではA訓練すら終了できないかもしれないと不安になりましたが、何とか無事終えることができ、不安を少しだけ自信に変えることが出来たように思います。
 この5日間で修得できなかったものが、まだまだたくさんあるので、次回からはそれらを修得して身につけたいと思います。

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