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   2003年8月15日号
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素晴らしい教育ありがとう
42普連対戦車中隊 3陸曹  佐藤 雅人
 私は今回の34期レンジャー養成訓練に参加する事ができました。私がレンジャー教育を希望した理由は、新隊員のころからのあこがれと、今年、3等陸曹に昇任した自分に自信をつけたかったからです。いざ教育に参加できると分かった時は「やってやる」と気合いを入れたつもりでしたが、これからの訓練に耐えられるかという不安で一杯でした。
 しかし始まってしまえばそんな不安は無くなっていました。中隊ではしないような訓練ばかりで毎日が新鮮で充実していたのを鮮明に覚えています。よい思い出ばかりが先走りしますが悲しい思い出もいくつかあります。10名の同期がケガなどで原隊復帰したことや、自分自身が体調をくずして基礎訓練中の1週間を棒に振った事などです。レンジャー教育中に3年分くらいの涙を流したかもしれません。悲しい事もありますが、レンジャー訓練のような教育は他では経験する事のできない、すばらしい教育だと思います。
 絆はどの同期よりも固く、教官・助教は学生に対して、少しでも分かりやすいようにと自分の時間を割いてまで丁寧に教えてくれます。卒業することのできた今、色々と助けてくれた同期や教官・助教の方々には感謝の気持ちで一杯です。これからは中隊に復帰するわけですが、中隊の後輩にもレンジャーにあこがれている後輩がいます。私はそんな後輩を助教となって導いていけたらと思います。
 最後にこの忙しい時期にレンジャー訓練に参加させていただいて中隊の皆さんありがとうございます。今までの分も合わせてガンガン働きますので、これからもよろしくお願いします。
水、食料、仲間の大切さ
42普連本部管理中隊 士長  村山 裕志
 3ヶ月間の永いようで、短かったレンジャー教育も終わりを迎えようとしている。3ヶ月前、不安と緊張でいっぱいのまま教育に参加した。訓練が始まり、26名のレンジャー学生が最終的には16名となった。
 原隊復帰者の見送りの時、今まで過酷な訓練を共にしてきた仲間を精一杯、涙して見送った。自分の中では、26名がレンジャー隊員だ。
 自分は希望してこの教育に参加した。それは、情報小隊だからではない、身体を鍛えるだけではない、良い斥候手、頼りになる斥候手を目指してだ。レンジャー教育間に陸曹候補生にも指定され、3ヵ月で2つバッジを手に入れることが出来た。もっと知識・技能を磨き、レンジャー隊員として恥じないようこれからも自分に甘えず、努力していこうと思います。
 最後に皆さんに言いたい。レンジャー教育にぜひ挑戦してもらいたい。確かにきつい、辛い、苦しい。そんな中でも水、食物、仲間の大切さが分かり考え方が変わると思う。そういう事を後輩陸士に伝えていければ良いと思う。
レンジャーは妻のおかげ
12普連1中隊 三陸曹  和久田一貴
 レンジャー訓練参加にあたり、不安な事が一つあった。家庭の事である。4歳の長男、1歳の次男を妻が一人で面倒を見なければならない事だった。
 訓練に参加する際妻と話し「家に帰って来られないから子供を頼むよ」と言ったら、「仕事だから仕方ないね。頑張って来て」と納得し励まされた。妻の言葉に自分にやる気を持たせ、絶対卒業してやると自分に言い聞かせた。
 訓練は初めての事が多く、覚えるのに必死だった。基礎訓練が終了し、行動訓練になり、一番苦労したのは眠気との闘いだった。想定中、夜間になるととても眠くなり、潜入行動時は教官・助教に何度も指導を受けた。
 最終想定が修了して駐屯地に帰隊し、体育館での帰還式に臨んだ。4月1日からの訓練が頭の中を駆けめぐり、体育館に入り妻と子供2人の顔を見た瞬間、達成感と安心感で胸が一杯になり、大粒の涙が止めどもなく溢れ出た。
 妻が一言「お疲れ様、きつかったね」と言った時、レンジャー訓練に参加してほんとうに良かったと実感した。
 自衛隊に入隊して9年、.レンジャー訓練が一番最高の訓練であり、これからの自分に自信が持てるようになった。訓練間、家の留守を守った妻に有り難うと心から感謝したい。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
社会福祉法人清和会特別養護老人ホーム  大竹 宏枝
大竹さんは今年3月、空自第1補給処を3曹で退職(任期満了)。25歳
 自衛隊を退職するにあたり、何か社会に貢献できること、また、一生の仕事としてできることの2点を考えました。そして、木更津基地援護室のお世話で、特別養護老人ホーム『第2ワールドナーシングホーム』に再就職することができました。福祉の仕事を意識したのは、離れて暮らしている母方の祖父母がケアハウスに入居したのがきっかけ
でした。将来は福祉の仕事に就きたいと思い、自衛隊勤務のかたわら、通信教育でホームヘルパー2級を取得しました。
 私が働いている第2ワールドナーシングホームは、痴呆の方専用の特別養護老人ホームで、働き始めた当初は、まず、お年寄りとどう接すればよいのか、どこまで介助したらいいのか戸惑うことばかりでした。しかし、当ホームは若い介護員が多く、エネルギッシュな雰囲気のあふれる職場で、たくさんの先輩方にご指導を頂き、毎日が勉強となっています。現在の仕事の内容は、事務兼介助員ということで、第2ワールドナーシングホームは老人介護福祉施設と、ショートステイ、デイサービス、施設入浴、居宅介護支援事業が併設されているのですが、それらの窓口業務及び物品の管理等の施設全体の潤滑油としての仕事と、お年寄りの金銭管理から送迎等の運転手業務まで幅広く、毎日が充実しています。
 今、一番の楽しみは、お年寄りとゆっくり話して、お年寄りの素敵な笑顔を拝見することです。しかし、楽しいことばかりではありません。就職して3ヵ月の短い間に多くの利用者が亡くなられました。とても辛いことですが、人生の最後のひとときを安らかに過ごしていただければ、と思って一生懸命努めることが何より意義があることだと思っています。
 職場は異なっても、私の考え方は、「笑顔を忘れず、いつまでもポジティブな姿勢で人と関わっていく」ことです。自分の道を信じれば、道は自ずから開けるものと確信しています。

回想の70年代音楽(15)
夏はベンチャーズ!
 だいき ベンチャーズのことを知らない人は別として、知っている人は4つの類型に分けられると思います。
 1 60年代前半、ビートルズに先駆けて日本にエレキの魅力を伝えた衝撃を同時代として経験した人(いま50歳代)
 2 歌謡曲「二人の銀座」、「京都の恋」、「京都慕情」、「雨の御堂筋」を作曲したグループという印象の強い人(いま40歳代)
 3 毎年、夏に日本に出稼ぎに来るグループという印象を持っている人
 4 よく知らないけど日本に熱狂的なファンが多いことは知っている人
 ひろか この4類型の話をメル友にしたら、父や兄がバンドをやっていて、そこから感化されたというような書込みがあちこちから来ました。本当にベンチャーズは日本の音楽文化に溶け込んでいますね。
 だいき 念のため確認しておくとベンチャーズは4人組のエレキバンドですが、メンバーには変遷があります。
 リードギター:ノーキー・エドワーズ→ジェリー・マギー
 べースギター:1969年デビュー以来ずっとボブ・ボーグル
 リズムギター:同じくドン・ウィルソン
 ドラム:H・ジョンソン→メル・テイラー→レオン・テイラー(メルの息子)
 ひろか もともと2人のメンバー(いまや70歳と69歳だけど元気いっぱいだよ)がギターだけでドラムのリズム感まで出したいと工夫して、ベンチャーズの代名詞とも言えるテケテケサウンドが生まれたと聞いたことがある。
 だいき その後に名手ノーキー・エドワードとメル・テイラーが加わって世界的なバンドに成長して、今でもノーキーが入ってなきゃベンチャーズじゃないという頑固なファンも多いようです。
 他方、過去にこだわりのない新しいファン(特に中年女性層)には渋い容貌のジェリー・マギーの人気が高い。コンサートの時、ジェリーが「朝日の当たる家」を弾きながら前の方の客席を回るんですが、その時の盛り上がりは相当なものさ。
 ひろか パパなんか、もとは類型2だったんだけど、平成3年の紅白歌合戦に出場したのを見てからはまって、CDでは飽き足らなくなって毎年コンサートに行っています。
 だいき 今年はママも久しぶりに一緒に行ったりして、「ダイアモンド・ヘッド」や「パイプライン」に陶酔。
 ひろか ジャンジャカ、テケテケテケのサウンドを聞くとストレス解消になるんですね。ベンチャーズをロック・バンドと言う人がいますが(平成8年にメル・テイラーが急逝した時の新聞記事にもそう書いていたが)、エレキはロックとは別物、日本独自の文化といっていいと思います。

部外者の声
貴重な体験 絶対忘れないぞ
愛媛大学学生 松田 優二
<愛媛地連>
 私は以前から自衛隊に大変興味を持っていました。しかし、一言に自衛隊といっても実際にはどのような活動、訓練をしているかほとんど知りませんでした。
 今回の体験搭乗では、ヘリコプターに乗せて頂き実際に訓練の様子を見学し、また自衛隊の方々にいろいろなお話を聞かせて頂き、私にとって忘れることの出来ない、大変貴重な体験となりました。
 現在、世界各地で様々な戦争、テロ活動が起こっている中、日本でもいつそのような危険が起こるかわからない時代です。そのような中で、少しでも日本に危険があれば、それを排除するための活動をするというのが自衛隊であり、それが防衛庁の論理だと思います。私達は、今回のような体験搭乗を通じて自衛隊をよく理解し、その必要性をもう一度よく考えなければならないと感じました。

職場体験学習
自衛隊に参加して
栃木県・小山第3中学校
 2年  桐越 太
 今回の職場体験学習に参加して、心に残ったことが2つあります。
 まず1つ目は、装備品等の見学をしたことです。なぜかというと、戦車やヘリコプターの写真を撮らせてもらって、これが動くのだと思うと胸がドキドキしたからです。おまけに、戦車にも乗せてもらい、とても感動しました。
 2つ目は、北駐屯地の見学をしたことです。そこには、ヘリコプターや偵察機などがありました。ヘリコプターの中にも入れてもらいましたが、細かい構造でなにがなんだか分かりませんでした。とにかく実物の中に入らせてもらったわけですからたまりません。
 この体験に参加して、自衛隊という職業は大変だなと思いました。
 それは、休んでいる人がいなく、みんな真剣に訓練しているからです。
 こういう人達だからこそ国を守れると思いました。
 この2日間の体験を今後の日常生活にいかしたいと思います。本当に2日間どうもありがとうございました。
 2年  諏訪有紀江
 「自衛隊」という言葉を耳にすると私の頭の中には死ぬほど厳しいトレーニング、いつも匍匐前進ばかりしている。男の人しかいないといったイメージしか有りませんでしたが、今回の職場体験でその考えが大きく変わりました。一番おどろいた事は女性の自衛隊員さんがいた事です。自衛隊に女性も入れるなんて思ってもいなかったのでびっくりしました。
 体験したロープワーク、私はちょうちょ結びがうまくできなかったけど、ロープワークをやってうまくできるようになりました。はじめて見た本物の戦車はとても大きく迫力があり、中はとても暑くてサウナに入っている気分でした。貴重な体験をさせていただきました。また、自衛隊の大変さなどがわかりとても勉強になり良かったです。

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