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   2003年8月1日号
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富士学校開設49周年を祝う
実戦さながらの模擬戦闘も
柳澤学校長が隊員2000名、車両300両をジープで巡閲
富士学校・富士駐屯地の開設49周年、ならびに富士教導団創立38周年記念行事が7月20日、同駐屯地各会場で行われた。衆参国会議員、歴代富士学校長、周辺市町村首長を初めとする招待者と、アトラクションを心待ちにした一般市民ら多数が来場。記念式典や各種レクリエーションに参加し、節目を祝い交流を深めた。
 富士山が隠れるほどの曇天だったが、西から大崩れの天気予報は外れ、幸運にも雨は降らなかった。雨よ降るな、と願う気持ちが会場の一体感となり、有事法制成立直後の記念日を盛大に祝った。
 記念式典は10時15分、総合訓練場で始まった。教導団長・中村幹生陸将補の号令に続き、校長・柳澤壽昭陸将に栄誉礼。式辞の中で校長は、平和を愛する日本国民が50年かけて作った世界に誇れる集団に期待は高まりつつあり、日本の発展のために地域に感謝し誇りを持って行こうと挨拶した。
 来賓を代表して元防衛庁長官・斉藤斗志二議員が「平和発展の中心として活躍の自衛官に感謝する。胸を張って活躍と努力を求める」と激励。霧が隊列2000名の上をたなびく中、小山町長・長田央氏、富士学校後援会長・岡野光喜氏がそれぞれ自衛隊への感謝と期待を祝辞とした。続いて(社)須走彰徳山林会理事長・外川義一氏や大橋佳子裾野市長夫人をはじめ10人の感謝状贈呈者の紹介、陸幕長・先崎一陸将らの祝電が披露された。
 次いで始まった観閲行進では、300の車両がいっせいにエンジン点火。車両の唸りとライトが模擬戦を前にした静けさを一気に打ち破り、会場はぐっと緊迫。96式装輪装甲車、90式戦車など戦闘車両、作業車両が勇壮に行進した。今年から特設された正面の階段ベンチ席からは、「毎年楽しみです」「雨が降らずによかった」と語りあう一般客や地元の人たちから拍手と歓声が送られた。
 音楽隊演奏、和太鼓演奏の後、模擬戦闘のアトラクションが始まった。レンジャーがヘリから降下し、続いて偵察のオートバイが場内に突入。銃撃後は戦闘車両が続々と現れて一斉砲撃を行った。中でも自走155ミリ榴弾砲(ロングノーズ)の迫力ある砲撃に会場は喝采。髪の毛や衣服が振動するほどの轟音が響くと、思わず両耳を手で覆ってしまう子供も見られた。
 また体育館では鏡開きと立食会の開設記念祝賀会が開かれ、第14代学校長・伊藤正康氏の乾杯の音頭で、参加者たちは交流と親睦を深めた。さらに教導団記念懇親会が隊員クラブで行われた。この中で彰徳山林会の外川理事長は38年49年の歴史があってこそ50周年がある。富士学校・教導団の活躍に敬意を表したいと乾杯の発声をした。
 その他「体験試乗」「装備品・作品・防災展示」「資料館公開」などの催しも行われ、駐屯地内各所は終日賑った。<入船浩之>

「肖像画」を贈呈
日米友好に感謝をこめて
 富士教導団戦車教導隊(隊長・藤田太1佐)は7月1日、米国海兵隊キャンプ富士を訪問し、平素から親交があった司令官(ヘンリー・J・ドニガン三世大佐)に対し、離任の記念として本人の肖像画(油絵)を贈呈した。
 これは藤田1佐が日頃の趣味を活かして自ら描いたもので、7月11日の司令官離任に伴う記念及び在日間における日米交流の架け橋として、友好発展に尽力した功績に対し感謝をこめて贈られた。
 肖像画を受け取ったドニガン大佐は「大変よく似ています。生涯の想い出として飾ります」とニッコリ。

市ケ谷駐屯地でヘリ体験搭乗
 市ヶ谷駐屯地(司令・藤井信二1佐)は6月14日、朝霞訓練場で東部方面航空隊と朝霞駐屯地業務隊の支援を受け、ヘリコプター体験搭乗を実施した。梅雨の時期で天候を心配したが、幸いにも晴れて予定通りフライトが可能となった。
 参加した市ヶ谷駐屯地近隣町会・自衛隊協力会の70人は、パイロットからヘリコプター(HU-1)の説明を受けた後、2機で5フライトを実施した。
 搭乗した子供達や保護者は、荒川沿いに東京上空を飛行すると、都心にある東京ドームや池袋の高層ビルなどを眼下に臨んで感嘆の声を挙げ、約20分間空の旅を満喫した。

話題の新刊
自衛隊はどのようにして生まれたか
(社)日本郷友連盟 常務理事  永野 節雄
 朝鮮戦争勃発でマッカーサー指令により治安維持を名目に前身である警察予備隊として誕生した自衛隊は、保安隊・警備隊を経て衣替えし、来年には防衛庁創設50周年を迎える。
 小泉首相は最近の国会で「実質的に自衛隊は軍隊だろう……いずれ憲法でも……日本を守る戦闘組織にしかるべき名誉と地位……」云々と、歴代首相としては初めて"軍隊"と容認するような発言をした。憲法第九条が足枷となり、長く不毛論議や神学論争が幅を利かして、数年前なら国会ストップどころか内閣総辞職という状況になるような答弁だけに、このような発言を受け入れられる時代になったことを喜ぶべきなのか?……
 本書は、長い間の防衛記者としての見聞や資料を元に、エピソードを交えながら、憲法論議も含め旧軍解体以後から70年代ころまでの動きを主体に"日本再軍備"の軌跡をたどったものである。
 日本人の半数以上が戦後生れの現在、学校で十分な現代史教育が行われないため、自衛隊の生い立ちや、国防・安保の原点も詳しく知らないものが多い、そのような世代にもお勧めの本である。(学研刊・1,600円)
〈著者略歴〉昭和8年4月生まれ。24年9月、(社)日本公安文化協会/日本トリビューンに入社。26年に退社後、警察および警察予備隊向けの「公安時報」の発行に携わる。現在、朝雲新聞編集顧問、(社)日本郷友連盟常務理事。主な著書に「幻の鉄道部隊」「防衛庁・自衛隊」「自衛隊の教育と訓練」(いずれも、かや書房刊・防衛研究会として執筆)

<論陣>
数多くの問題を提示
長崎の幼児殺害事件
 いたいけな4歳の男の子をビル(駐車場)の屋上から全裸にして投げ殺した恐しい事件。この事件の犯人は、この4月中学に入学した12歳の少年(男子)だった。少年は補導され家庭裁判所回し、少年鑑別所送りとなり一応、一件落着となった。だが、事件が12歳の犯行だっただけに、法律、社会、教育そして政治などの各界で数多くの問題提起が起きている。
 教育の世界では、この種の事件が起きると「人を殺すような凶悪な感じの子ではなかった」とか「校内でのいじめは無かった」など、触法少年を受け持っている教師や校長らが口を揃えて言うが、実際にはクラス内で、そうしたことがあるかどうかも積極的に調査をしていないのが実情である。もし、おかしな噂を耳にしても、触らぬ神に−−と、知らぬ顔を決め込んでいるのがほとんどである。
 家庭的にはどうかというと、最近の少子化で一人っ子が多く、両親ともただ溺愛しているケースが多い。例えば、じぶんの子供が電車内や公共の場所で"悪さ"をしても、決して叱らない傾向が強い。ゲーム機で一人だけで遊ぶため、昔のように「露路裏文化」を体験していない。露路裏文化は、上級生、下級生が集まって遊ぶことで、少年たちは少しずつ社会性を身に付けていく。悪い点も若干あるが、やはり社会性を知るなどいい面のほうが多いと思う。夫婦共働きで親がわが子をかばってばかり、叱ったりなどとてもできない昨今である。長崎の少年の場合、一般的な家庭なら犯行時はちょうど夕食時間のはずである。なぜ午後8時から9時過ぎまで少年が一人で街に居たかなどの疑問が残る。こうした解明が必要であることはいうまでもない。
 幼児を丸裸にして、おまけにハサミで傷付けたうえ、ビルから投げ殺した少年が、まだ12歳だったので、少年は刑法第41条の定めで罰せられることはない。3年前の神戸の少年殺害事件が起きる前までは、少年は16歳以下は罰しないことになっていたが、この事件後の法改正で14歳以下に決まった。外国には、こうした低年齢少年の凶悪事件の例はなかったのか? 英国にあった。1993年2月、英国のリバプールのショッピングセンターに母親と買い物にきていた2歳の幼児を、10歳の少年2人が、母親が目を離していたすきに幼児を誘い出し、レンガや鉄棒でなぐり殺したうえ、鉄道事故に見せかけるため4キロメートル離れた線路上に遺体を置き、轢かせたという事件。2人とも不定期刑の判決を受けた。不定期刑とは「完全に反省、更正し社会に危害を与えないと判断されるまで服役させる」として施設に入れるもので少年2人は18歳まで少年院に収容され仮釈放され、出所後は名前を変えて社会生活を送っている。
 こんどの長崎の事件後、「罰則年齢を10歳まで下げたらいい」とか「10歳以下の少年が罪を犯さないという確証があるのか」など数多くの意見が出されたが、そうした議論より、むしろ「英国式」の法律にするほうが、はっきりしているのではないかと思う。
 こんどの事件では"防犯カメラ"が犯罪の解決を早めた−−との見方が強い。たしかにあの防犯カメラが付いていなかったら、警察当局は当初「犯人はおとな」との発想のもとに聞き込みを行ったはずである。ところが任意提出されたビデオに、校章を縫い付けた白いシャツ(上着)、黒ズボン、スニーカーの少年と被害者らしい幼児の姿がはっきり映っていたので捜査はとんとん拍子に進み、少年補導にこぎつけた。世の中、悪いことをやってのける者は、ほんの僅かである。「プライバシーの問題がある」などと言っていないで、どんどん防犯カメラをとり付けていくべきだろう。犯罪発生率は極度に低下するはずである。国や地方自治体が、そういうことをすることこそ「住民のための善政」だと思う。
 最後に政治家の発言についてひと言。青少年育成を担当しているK大臣が、事件後に行った"発言"は非常識極まるものであった。「少年犯罪の責任は親の責任だ。マスコミも嘆き悲しむ家族だけでなく、犯罪者の親もテレビに映すべきだ。加害者の親なんか市中引き回しのうえ、打ち首にすればいい」。少年法第61条などの法律を勉強したうえでの発言でないと、国民はますます政治家不信がつのってしまうことをお忘れなく。

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