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   2003年8月1日号
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スポーツよもやま話 根岸直樹
200勝目指して
頑張れ工藤(巨人)
 「お元気ですか。いくつになりました?」と聞かれて、戸惑ってしまった。自分の年齢など、普段はあまり考えたこともなかったからだ。オレ、いくつになったっけ。そういわれてみると最近、足腰が痛かったり、体がしゃきっとしなかったり、ついこの間は何十年ぶりかでかぜを引いて、38度の熱を出し一日、寝込んでしまった。
 やたらとトシを数えるようになると、逆にフケるそうだ。実は「いくつになった?」と聞いたのは巨人の工藤。クドちゃんとは、彼が西武に入団したときからの付き合いだから、長い。その工藤にトシを聞かれて気になったのは、このところピッチングの状態がいま一だったからだ。
 工藤公康投手。1963年(昭和38年)5月5日生まれだから40歳。若い、若いと思って見てきたが、ついに不惑に達してしまった。やはりトシを気にし始めているのだろうか。困る。それでは困ってしまう。クドちゃんには、まだまだ投げ続けてほしいのだ。
 あれは1981年、ドラフト6位指名で西武に入団したときの話だ。「頑張って200勝して、名球会投手を目指す」と約束してくれたではないか。童顔を、思いっ切り緊張させて「金田投手(同じ左腕で通算400勝)の半分でいい。勝ちたい」とはっきり言い切ったのを、きのうのことのように思い出した。
 工藤は西武で13年、ダイエーで5年、そして巨人に移って今季が4年目。昨年までで184勝(105敗3セーブ)している。目標とした200勝まで、あとわずかではないか。
 今季の目標は「40歳の節目の年を記念して2ケタ勝ちたい」ということだった。1月の自主トレのとき「これからは1年、1年が勝負。来年はない」と話していたが、来年も再来年も投げ続けてほしいと思っている。
 幸い、というか「夏場に強い」男だ。炎暑の8月、一気に巻き返して、一歩でも200勝に近づいてくれるよう願ってやまない。トシなど気にせず、まず1勝だ。その積み重ねがどこまでとどくか。
 「オレ、調子が悪いとすぐ無口になる。そんなとき支えてくれるのが家族(雅子夫人と2男3女)。家族の笑顔が何よりのエネルギー源」という工藤。夏場での、ベテランらしい味のあるピッチング復活を期待したい。炎暑を吹っ飛ばす、一服の清涼剤のようなクドちゃんの勝利の笑顔を、何度でも見たい。

HOME's English Class(防衛ホーム英語教室)
HOLY COW !(ホゥリー カウ)
すごい、やったぜ
 Hi! 皆さん。お元気ですか。沖縄は連日30度をこす暑い日が続いています。茨城の友人に電話をしたところ、朝はストーブをつけていたそうです。お互い実感が伴わない話で、笑話のようにも聞こえますね。学校も夏休みに入り、いよいよ夏の到来ですね。皆さんは今年の夏休みはどんな計画をたてられていますか。今年は、巨人ファンにとってはいまいち盛りあがらない年ですが、国内ではタイガースの躍進と経済効果に期待し、海外では松井とイチローの活躍を楽しむことになりそうです。
 さて、今回の表現は、米大リーグで使われている表現です。“ho1y cow !”「すごい、やったぜ」です。ここぞというときのヒット、ホームランがでたときに、快哉を叫ぶ表現です。シカゴの名司会者ハリー・ケリーは、シカゴの「叔父さん、名誉市長さん」と誰からも親しまれた司会者です。彼が使いはじめた表現で「ホウリー・カウ」は、ここぞの一発がでた時に使われます。イチローがこの言葉を使って挨拶したニュースを御覧になった方も多いと思います。試合が始まる前に、「私を野球に連れていって」(Take me to the Ba11 game)という歌が合唱されますが、それを有名にしたのもハリー・ケリーです。これから暑い夏がやってきます。ビール片手に野球観戦、あるいは花火大会へいきますか?
 梅雨前線で、災害もでております。気温も不安定で体調を崩す原因ともなりますので、天候に気をつけてお暮らし下さい。
 それでは皆さん。See ya!
 (陸幕防衛部=在沖縄米海兵隊司令部キャンプ・コートニー勤務)〈スワタケル〉

雪月花
 若い人たちに、将来のことを聞くと、意外にも"老後が不安"と答えるものが多い。
 自分たちが、高齢者に対して、どのように接しているのか、反省を考慮に入れての答えだろうが、現状を考えると、尤もと思うことが多い。
たしかに、昔と比べると、"福祉の充実"という面では、療養施設からホーム・ヘルパーと、高齢者を対象とした事業は整ってきた。
反面、高齢者と家族、とくに、若い世代との結び付きは薄くなった。日常の生活に、接点がないからだ。
むかしは、よほどの大病でない限り、自宅治療が通常だった。それも、医者の診療は、特別な場合で、大概は"越中富山の薬箱"から、相応の薬を取り出して、飲めば治ったものだ。
 "まず寝ること"これが何よりの療法だった。医薬の長足な進歩は、現代人に、多大の恩恵を与えはしたが、同時に、生れながらの治癒力を弱めた。
 時代の要求で、"福祉"がどのように、整えられたとしても、最後に"ものをいう"のは自分自身だ。"高齢になれば他の力を借りて当然"この考え方を固持する限り、"嫌われる老人"でいるほかはない。(大町)

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