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   2003年7月15日号
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第30回全自バレーボール大会
西通群が7連覇、女子は朝霞V13
 第30回全国自衛隊バレーボール大会が6月19日から22日の間、体育学校・球技体育館(朝霞)で43個チーム約800名の選手が参加して開催された。
 今年30年目の節目を迎えた同大会。開会式では豊田博会長代行より祝辞が述べられ、引き続き行われた祝賀会には、臼井日出男大会会長はじめ多くの関係者が出席した。
 翌20日、各試合が男女予選リーグ(総あたり戦)皮切りにスタート。3日間にわたり、記念大会らしい気合のこもった熱戦が繰り広げられた。
 16チームで競われた男子決勝トーナメントでは、順当に勝ち進んだ西通群と目達原が決勝に進出。一方、女子は昨年の優勝チームWAVEを平均21才の西通群がストレートで下し、「強豪朝霞」との決勝戦にこまを進めた。
 大会最終日午前10時、大会もいよいよ大詰め。目達原対統合市ヶ谷のマスターズ決勝戦では、終了予定時刻を大幅に延長する大接戦の末、目達原チームが優勝。その間、コートには選手たちの汗が飛び散り、ベンチサイド、応援団の熱気とともに体育館内の温度も一気に上昇した。
 午前中の熱気も冷めやらぬまま、続いて女子決勝戦開始。序盤は、勢いに乗った西通群が若さあふれるプレーで得点を連取するものの、朝霞が安定したプレーで巻き返して2年ぶり13回目の優勝を果たした。朝霞は昨年、産休などの理由で欠場した主要選手3名も今大会で復帰。前々回まで5連覇の記録を成し遂げたベストメンバーで試合に臨んだ。練習、チームワークもさることながら朝霞の強さは「やる気となによりバレーが好きという気持ち」と田宮良治監督。また、エース古木選手にとっても6年間にわたる自衛隊・朝霞バレーの最後となあある大会で優勝し、「みんなのおかげで自分のプレーを出し切れた」と最高の自己評価の結果となった。
 また、男子では西通群が7連覇、通算20勝目を飾った。アタッカ−の中島選手は、試合後「感無量」と喜びを噛み締め「今日は新たなページのはじまりであり、また、今後は更に若い選手の育成にもつとめていきたい」と気持ちも新たにしていた。

彰古館 往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校
明治初年の手術器械
シリーズ(18)
 明治維新(1868)直後、陸軍創設時の軍医たちの専門は、オランダ医学でした。漢方医を退け、最新の医学として多くの蘭学医が台頭していた時代です。
 これ以前、鎖国中の江戸時代には、長崎の出島における唯一の交易国がオランダでした。初代軍医総監の松本良順も、佐倉順天堂蘭学塾の二代目として長崎でオランダ医学を学んだのです。明治初期は、こうした経緯から医療器材の注文先の多くはオランダでした。
 彰古館にも、この当時輸入されたと伝わる、今の外科セットと比較しても全く遜色のないピカピカの外科器械のセットが現存しています。しかし、この手術器械は最新鋭のオランダ製品ではなく、何故かイギリス製品なのです。
 石黒忠直は、届いたイギリス製の手術器械を前に「何かの間違いではないか」と問い合わせます。オランダは「オランダ自国製も優秀だが、一番優秀なのはイギリスのワイス社の製品である」と回答します。
 これを聞いた石黒たち蘭学医は「オランダよりも医学の進んでいる国があるのか!?」と驚きます。それまではポンペの医学書が唯一最高の医学書であり、所有者に頼み込んで書き写した写本が、蘭学医にとってのバイブルだったのです。
 もちろん明治維新の際に活躍したイギリス人ウィリスのような外科医もおり、後に東京帝国大学医学部となる大学東校で教鞭を取っていました。しかし、当時の軍医たちの多くがポンペを師と仰ぎ、軍医学校にもボードインやブッケマといったオランダ人医師が招聘されていました。その母国オランダから、イギリスの医療器材のほうが優秀だと示唆を受けたのですから、石黒たちの困惑振りも理解できます。石黒の調べでは、蘭学書よりもプロシア(ドイツ)の医学書が遥かに進んでいる事実が判明します。普墺戦争、普仏戦争での軍陣医学のノウハウが生かされていたのです。
 陸軍全体も、普仏戦争でのフランスの敗北を機に、ドイツ式の諸制式に変革する時代でした。石黒は、軍陣医学の手本としてドイツ式医学を選択しました。
 一方、陸軍は、医科大学を退職したウィリスを招聘した東京慈恵会医院を中心に、独自にイギリスに軍艦建造を依頼している親英派の陸軍ですが、その胸中には「陸軍と同じことをしたくない」との思惑がありました。陸海軍の軋轢は、この時から始まったのです。
 当時、陸軍では東京帝国大学医科大学に委託学生制度をとっていました。医科大学卒業後に、衛生部が軍医として再教育を行う教育システムです。その代償として陸軍は、軍医を教官として医科大学に派遣しています。当時は医科大学が唯一の官立医学校だったので、軍医生徒も民間医も、陸軍の軍医からドイツ医学を教えられました。つまり、我が国の医学はドイツ式医学が中心となったのです。
 明治初年にオランダから輸入されたイギリス製手術器械は、転じてドイツ式医学を日本の医学の主流とした記念碑的な逸品です。彰古館は、今なおその輝きを現代に伝えているのです。

<お知らせ>
 自衛隊員等の「心の相談」に関する電話相談窓口を設置しましたので、お知らせします。隊員の幸福や健康は大変重要で、特に厳しい訓練や規律など自衛隊の勤務の特殊性に基づくストレスをケアすることにより部隊(職場)での活力の増大や事故防止に役立てて下さい。利用方法などは次のとおりです。
<電話相談先>「心の相談ネットワークセンター」 電話0120-723-883(通話料無料) 携帯電話・PHSからは 電話03-3234-2765(通話料有料)  *相談時には、精神科医、臨床心理士などのメンタルヘルスに関する専門家が対応しています。
<相談内容>●仕事、健康、家族に関する悩みごと●その他公私を問わない各種の悩みごと
<利用対象者>自衛隊員及びその家族
<利用可能期間、時間>7月1日から平成16年3月31日まで(ただし、日曜日・祝日及び1月1日〜1月3日を除く)●月〜金曜日(10時〜20時)●土曜日(10時〜18時)
<利用料金>電話相談は無料(電話相談により紹介される面接相談等の利用料金は、一部を除き有料=相談者の自己負担)
<利用方法>●相談窓口の電話をかける(1回あたりの相談時間は概ね30分)●自衛隊員またはその家族である旨を告げる●悩み事を相談する●専門家からのアドバイスにより面接相談等に移行する
<プライバシー保護>プライバシーは完全に守られ、相談者氏名・相談内容等が相談窓口から他に漏れることはありません。

防衛ホーム 俳句コーナー
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生涯を農婦で終る盆踊り      大平 光枝
梅雨晴の子供の影を踏めば逃げ   今井 文和
鎌倉の駅に降り立つきりぎりす   小西 多恵
旧交をあたためている宿浴衣    佐藤 君子
青田みち人影小さく行き交へり   清水 文江
満ち足りし人の如くに昼寝かな   西沢 公男
人声のなべてやさしき蛍狩     米田ふさえ
金魚売汗を拭きつつ一服す     脇田 忠俊
風鈴のよく鳴る風の生れけれ    大元百合子
人の皆黙し行き交ふ街暑し     西村 栄治
一人より大勢が良しビール飲む   若林佐喜子
命抜け風に吹かるる蝉の殻     福満千登世
詣でたる恐山道油照        牧田カツエ
麦踏の帰りし丘の風の音      鈴木 吟悠
海ばかり見ていて島の夏探し    山地 里水
七人の敵なくなりし端居かな    ジョンズ美加子
巴里祭詠みベレー帽よく似合ひ   中村 かよ
   選者吟
日盛りの一歩一歩をあやまたず   保坂 伸秋

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