防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2003年7月1日号
 1面 2面 3面 6面 7面 8面 9面 10面 11面 12面

寄せ書き 入隊所感
女性自衛官教育隊1中 陸曹候補士課程  金田衣未
 私は、中学生の頃に自衛隊について勉強し、自衛隊は日本という国が成立する為には必要なのだと感じました。そして、その時から自衛隊を意識し、活動を注意して見るようにしていました。私は、自分なりにどうして自衛隊が必要なのか考え将来自衛官になると決意しました。はじめは具体的に自衛隊がどんな仕事をしているのかが分からなかったのですが厳しい規律の中で生活するというイメージだけはありました。
 私は自分勝手に理想の自衛官像のようなものを作り、そうなりたいと思っていたのですが、自分が今自衛官になった時、自分が思っていたよりもずっと目指す所は高いと感じています。班長や区隊付、区隊長が私たちに優しく教えてくださる事の重みを知りました。そして、言われた時にはそうありたいと思っても、いざ行動するとなると自分の心の甘さや体力のなさに気付きます。
 着隊してからも随分と私の知識は変わりましたが、入隊式の予行が始まり、実感も深まりました。気を付けや休めを繰り返している時、その事に集中し過ぎていました。でも班長がこれは私たちの為の入隊式でもう二度とないのだと言った時、その事実に気付いて嬉しくなりました。制服の縫い物もアイロンも大変だと感じていましたが、自分の為の式に自分がやらなければ誰がやるのだと考え直し、大変だと思った事を恥ずかしく思いました。入隊式の朝、きれいな制服を着て鏡に映った自分を見た時は正直に嬉しくて、頑張っていくのだと気合いが入りました。入隊式では自信を持って行動する事ができました。でも、隊長や団長の話を聞いて、自分が自衛官になってその責任が極めて重いのだと思い知りました。
 自分は今までかなりの覚悟で自衛官になったつもりだったのですが、宣誓した事実と責任を忘れず、理想を高く持ってこれからやっていきたいと思います。班長が言った「制服の袖に腕を通すことの重みを忘れないで」という言葉を制服を着る度に考えたいです。
女性自衛官教育隊2中 新隊員課程  潮田彩乃
 4月7日、晴れて入隊式を迎え、新たな気持ちでこの教育期間をスタートしました。制服に身をつつみ、制帽をかぶり、親に見せた時とても誇りに思いました。3月27日に着隊して初めてのうちは不安ばかりがつのり、緊張していました。訓練についていけるのか、団体生活に馴染めるのかと毎日考えていました。
 当日着隊してみて、いざ朝霞駐屯地での生活を始めると、仲間も班長もみんな良い雰囲気で安心しました。このような長期の団体生活はもちろん初めての事で戸惑う事も多々ありました。分刻みで過ぎていく時間がとても重要に見えました。本格的に基本教練、体力錬成が始まるとなかなか思うように体がついていかなくなる時もありました。
 しかし優しく丁寧に指導をしてくれる班長がとても頼もしく見え、しっかりついていこうと思いました。時には体力錬成等で辛くなり、泣きそうになる事もありましたが、仲間が励ましてくれたり、班長達が声をかけてくれたりする事によって、とても気持ちが楽になりました。
 これからもっともっと大切な事、自衛官として学ばなければならない事を教わります。しっかり集中して授業を受け、ひとつひとつの事をきちんと身につけていきたいと思っています。
 武器もいただき、日々自衛官としての意識も高まってきています。まだまだ未熟な部分が多いですが、自信と誇りを持ち頑張ります。自衛官としての誇りを持ち頑張ります。
 この入隊式では宣誓もして、気持ちは自衛官として自覚を持ち始めています。隊長等のお言葉を胸に、国を守るという責務をしっかり果たし、周りの期待に応えていきたいと思っています。自分自身でも目標を常に持ち、前へ進んでいきます。立派と言える女性自衛官を目指して、努力していきます。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
自衛隊で培った全てが民間で活きる
(株)美唄ホテルスエヒロ  佐藤 修
 当社は、婚礼・大小ご宴会・会議等・レストラン及びビジネスホテル系の客室18部屋(26名収容)を有するホテルで、私はフロントの責任者として営業及び宴会等の受付を兼ねて勤務しています。
 営業業務は、駐屯地のお力をお借りして営業成果も多少あげることができています。また、フロントの60?カウンターを挟んで立場が変わっての勤務に戸惑いの毎日を過ごしていますが、毎日が有事でそして戦場です。その戦場で生き残るためには、いかにしてお客様に満足していただけるサービスを提供できるのか、勤務環境・業務改善を常に考え実行し、自らに言い聞かせ勤務をしています。
 また、月1回の営業会議では、副社長や常務から経営のノウハウをご指導いただくとともに、毎月の営業成果報告をする訳ですが、成果の上がらない月は、非常に厳しい会議となり、問題点・分析・検討を綿密にし、利益追求に日夜努力しているのが現状です。
 退職1年前くらいになると不安が常につきまとってくると思われますが、その1年間において自衛隊生活でやり残したことはないかを考え、与えられた自衛隊勤務を真剣に全うしてもらいたいと思います。それが自信に変わって「楽しい」生活が待っています。
 昔、ある先輩から「退職1年前はノンビリ自衛隊生活をエンジョイしなさい」と助言をいただきましたが、私の経験から該当しないのではと思われます。再就職先は、一部の方を除けば新入社員です、肩の力を抜いて階級章をはずして謙虚さをもってもらいたいと思います。また、自衛隊退職者は非常に期待されています。自信をもって再就職先に飛び込んで下さい。
 最後に、健康第一です。体調のすぐれない方は早期に治療すべきです。自衛隊で培った全てが民間で活かされますので、退官されるその日まで国民から信頼される本来の自衛官であって下さい。

回想の70年代音楽(12)
山口百恵デビュー30周年
 だいき パパとママがよく遊びに行く伊豆・湯が島温泉の「湯本館」という旅館の2階に山口百恵主演の映画「伊豆の踊り子」のポスターが貼ってありまして、御年15歳のお顔を時々見ています。「湯本館」というのは川端康成がよく泊まり込んで、『伊豆の踊り子』もここで執筆したんですね。だから玄関やロビーには往年の大女優田中絹代から吉永小百合、内藤洋子、小田茜まで、いろんな踊り子の写真が貼ってあります。
 ひろか 話を百恵に戻すと、73年のデビューから80年の引退まで7年間にわたって歌だけでなく映画、ドラマと幅広く活躍していた、その人気の絶頂から突如、結婚、引退とドラマチックな引き際が今もって強烈な残像効果を持っていると思いますが、正直言ってファンでなかった者(パパ)にとっては語る言葉がないのだ。ママもファンじゃないし、中、高、大を通じてパパの周りに熱烈なファンなんていなかった。百恵と友和が宇津井健夫妻を仲人にして挙式した日の夜には友人たちとおでんをつつきながら、なんで百恵がそんなに話題になるんだと毒づいていた。
 だいき パパは一度だけ三浦友和に会ったことがある、と言っても「大日本帝国」という映画(82年)の試写会の招待券をもらって有楽町(だったと思う)の有名な劇場に出掛けて行ったらロビーに舞台挨拶待ち・でポツンと立っている三浦友和と視線が合って……
 ひろか それで、いろいろ私生活の面で大変でしょうという意味を込めて黙って会釈したんだって。それで向こうは???だったと思いますが、ちゃんとお辞儀を返してくれたんだって。まあ、それだけの話。結婚してから一年ちょっとの頃ですね。80年代前半のニッポンの政界では自民党を離党した目白の闇将軍が自民党を牛耳り、芸能界では引退した伝説のアイドルが一番の話題となる、そういう奇妙な時代だったんだ。
 だいき ともあれパパにとって山口百恵というと、この個人的で、かつ情けないエピソードに収れんされてしまうんだね。
 ひろか あくまで音楽の方に限っていえば、パパの評価の高いのは76年の「白い約束」、「愛に走って」、それから代表作の一つである「横須賀ストーリー」の次の「パールカラーにゆれて」、この辺りの一連の作品ですね。こういうのは是非聞いてみて下さい。
 だいき 「青い果実」(73年)とか「ひと夏の経験」(74年)みたいな路線には当然行き詰まりが来るわけで、人気の面でも桜田淳子とか岩崎宏美に追われる状況にあって、そこをどう克服したかという視点−−音楽を聴くんだから聴点か!?−−でね。

(情報)湯本館 電話 0558-85-1028 伊豆箱根鉄道・修善寺駅からバス20分。近くの狩野川で獲れるヤマメ・鮎は絶品。


部外者の声
出身隊員の研修に参加
大分県立野津高校教諭  百瀬薫孝
 私は、新隊員、井上浩治の高校3年次の担任であり、彼が3年間所属した柔道部の顧問でもあります。私にとって非常に近い存在であった彼が、自衛隊に入隊し成長した姿をこの目で見ることが出来たことを大変嬉しく思うとともに、彼の2ヵ月余りの努力の成果を頼もしく感じました。
 実は彼は4月下旬、制服姿で本校を来校し、初任給で柔道部の後輩に差し入れをしてくれ、練習を共にして汗を流したということがありました。そのときの彼は、すでに高校時代とは違った目の輝きを持ち、現在の自衛隊の経験を話してくれていたのです。
 このような出来事があったため、学校でこの研修の案内を聞いた時、私はすぐさま参加を申し出ました。
 実際に新隊員課程の修了試験を見学させて頂き、彼の凛とした姿勢、敏速な行動に「短期間でここまでなるものか」と正直驚かされました。その後、一緒に会食をした際も、「自衛隊に入隊して良かった」とのひと言に十分納得し、帰途につきました。
 今同、このような研修の機会を与えて頂き本当に感謝しています。卒業生の立派に成長した姿を在校生に伝え、今後の進路指導に役立てるとともに私個人としても再度このような機会がありましたら、積極的に参加したいと思います。

百里基地を見学
岩舟町住民生活課 主幹兼係長  海老沼かづ枝
栃木県自衛隊父兄会岩舟支部は5月16口、茨城県の航空自衛隊百里基地を見学しました。面積が東京ドーム約91個分、そして長さ2,700メートル、幅45メートルの滑走路があると聞いてとても驚きました。ちょうど着陸した飛行機が次の離陸に備えて燃料補給をするのを間近で見ることができ、燃料タンクにはドラム缶12本分の燃料が入ると聞いてさらに驚きました。
 関東で唯一の戦闘機を持つ基地で、偵察機、練習機、救助機などを保有し、全隊員が日夜、首都圏の防空にあたっているそうです。わが国周辺における国籍不明機の行動、不測の事態に素早く対応するため、昼夜の区別なく緊急発進する態勢がしかれ、私たちが常に安全に安心して生活できるようサポートしていただいていることを実感しました。また、外国からのお客さんを出迎えることが多い基地なので、迎賓館のような建物もありました。
 また、昼食は基地内の明るい雰囲気の食堂で隊員の方と同じように配膳から後片づけまでを経験しながら、栄養管理された部隊食をおいしくいただきました。限られた時間内の見学でしたが、とても有意義に過ごすことができました。

10面へ
(ヘルプ)

Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc