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   2003年6月1日号
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自衛隊史跡めぐり シリーズ
郷土記念館 高田駐屯地
輝かしい歴史伝統誇る
 新潟県上越市に駐屯する陸上自衛隊高田駐屯地は、新潟県の南西部、北は日本海に面し東西及び南の三方を山に囲まれた頸城平野に位置し、四季折々の自然に恵まれた風光明媚な地にあります。
 また、駐屯地の近傍には、日本三大夜桜で有名な高田公園をはじめ、レルヒ少佐が日本で初めてスキーを教えたスキー発祥の地金谷山、武田信玄との川中島の合戦で有名な上杉謙信の居城、春日山城址などがあり、歴史的にも由緒ある所です。
 輝かしい歴史と伝統をもつ駐屯地は、明治41年旧陸軍第13師団司令部が高田に設置された際、旧陸軍第58連隊、野砲第19連隊の兵営として開設され、明治43年から一年間、蒋介石(後の中華民国総統)が野砲第19連隊に留学、また、明治44年には、長岡外史師団長の招請により、オーストリアのレルヒ少佐が58連隊に派遣され、日本で初めてスキーが紹介されたことを知る人は少ないでしょう。
 その後、幾多の変遷を経て、戦後は警察予備隊の創設に伴い、昭和25年駐屯地として発足しました。昭和28年に第二普通科連隊の前身である第2連隊が松本から、昭和37年には、第5施設群の前身である第107施設大隊が勝田から移駐し、平成13年の第12師団の旅団化に伴う第2普通科連隊の改編、平成14年の後方支援体制の変換に伴う第5施設群の改編を経て現在に至っています。
 現在、駐屯地には、第5施設群をはじめ第2普通科連隊、後方支援部隊、業務隊、業務諸隊等約1,200名が勤務しています。
 なお、駐屯地内には、明治39年頃に建設された由緒ある旧陸軍用の建物が現在15棟残っていますが、その中の一つ、当時将校集会所等として使用された建物を駐屯地講堂及び「郷土記念館」として活用しています。当時の面影をよく残しており、特徴は玄関のペディメント風の庇や窓枠、外壁のドイツ下見板張り、赤煉瓦造りの基礎等に見られ、屋根は当時瓦葺きでした。築以来約100年を経過し、老朽化を感ずるものの今なお重厚なたたずまいをみせ、後世に残すのにふさわしいものと言えます。
 また、同記念館内の展示は5個に区分し、細部は「部隊・郷土コーナー」、「長岡外史・レルヒ少佐コーナー」、「旧軍コーナー」、「自衛隊・長野オリンピック・パラリンピックコーナー」、そして目玉である「蒋介石と山下画伯コーナー」では、蒋介石が留学当時の自筆の掛け軸、裸の天才放浪画家・山下清画伯が突如来駐し、一日司令を務めた際、マジックで書いた貴重な作品等を展示し、毎年訪れる見学者等に好評をはくしています。
 〈問い合わせ先〉陸上自衛隊高田駐屯地広報班 電話025-523-5117(内206)

小月教育航空群107隊員
維新・海峡ウォークに参加
 関門の春の風物詩として知られる第18回維新・海峡ウォークが4月6日に開催された。海上自衛隊小月教育航空群(群司令・和田晃1佐)では、群司令以下月教空司令、201整補隊司令や誘導・連絡員などに107人、隊員多数が一般参加した。
 このイベントは、維新の志士・高杉晋作の没後120年を記念して、昭和61年4月6日に初開催。今では関門地区の一大イベントとして定着し、県外からの参加者も多い。毎年2万人規模の国内でも指折りのウォークイベントとして親しまれている。
 小月基地の航空学生、飛行学生は第1回から梯団旗手として支援、今回も45梯団を編成した。
 コースは例年どおり、高杉晋作の眠る東行庵をスタート。下関の観光名所である長府の武家屋敷や源氏と平家の最後の戦いの舞台となった関門海峡を巡り、JR下関駅までの約30キロメートルと、コース途中の関門橋から海底の関門人道トンネル(全長780メートル)を通り、明治・大正ロマンの面影が残るレトロな町並みを歩くJR門司港駅まで28キロメートルの2コースが設定された。
 午前8時30分からスタートセレモニーが行われ、来賓あいさつの後、花火の合図とともに地元の小中学生によるブラスバンドの演奏に見送られ、第1梯団から順次スタートした。201教空副長・小原徹2佐以下教官と航空学生らが参加者の誘導にあたり、梯団の旗手を務める航空学生の後には参加者の長い列が続いた。
 この日は天候に恵まれ、汗ばむ陽気のなかを、幼児から92歳まで約2万人の参加者が満開の桜を楽しみながら、市内に散在する数多くの維新の足跡を巡り歩いた。コース上の維新ゆかりの地には、通過証明のスタンプを押す9カ所の関所と呼ばれる休憩所が設けられた。地元ボランティアは、平家踊り、維新太鼓、門司港名物バナナのたたき売り、軽食コーナーやおしぼりのサービスなど、それぞれ地元の特徴を生かした催しで参加者を歓迎した。
 また、今年は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘で知られる巌流島に渡る定期連絡船が就航。オプションコースに組み入れられ、多くの参加者が巌流島に渡った。
 参加した航空学生らは、市民と和やかに談笑し、疲れた子供を励ましながら手をつないで歩いていた。歩道をはみ出す子供に注意するなど、疲れも見せずさっそうとした姿が参加した市民にさわやかな印象を与えた。この日は、同学生にとって下関の史跡や市民と触れ合う絶好の機会となり、春らんまんの関門路ウオークを満喫し、有意義な1日となった。

防衛ホーム 俳句コーナー
 駅を出ていきなり由布の青嶺かな  亀田多珂子
 昨夜の雨止みて青嶺(せいりょう)を間近にす  岩崎 清子
 大夕立衛兵佇(た)てる深沈と  畠中 草史
 誰となく言葉つつしみ蛍の夜  本多 令佳
 楽しきは生きてるしるし菖蒲風呂  岩村つとむ
 虹を見てふっと心の和みけり  川瀬 八重
 一族の長(おさ)の指図(さしず)の田植かな  窪田 正子
 青葉潮山と見ゆるは島なりし  篠田 初枝
 嬰児を腕に受けて朝涼し  島田 芳江
 門に待つ母を抽きたる立葵  鈴木和加恵
 梅雨雲とはうらはらに旅たのし  大門由利子
 香水の香も降りてくるエレベーター  戸部 弘美
 苦しみてふと風鈴の鳴る一句  西田真由美
 水滴を数珠(じゅず)つながりに蜘蛛(くも)の糸  西村 孝彦
 端居(たんきょ)して流るる雲に父おもふ  安福 箭子
 おしろいを活けて千恵蔵様の墓  山田 れい
 住み古りて今年も庭に蝉(せみ)の穴  三川 明美
 溜息(ためいき)も暮しの一つ梅雨に入る  村上 作夢
 雨の中紫陽花色を深めをり  松村久美子
 雲海の音無き波の攻め来たり  榎 利美
     選者吟
 一景に一舟舫ひ花菖蒲  保坂 伸秋
     (「栃の芽」誌提供)
 「栃の芽」誌をご希望の方は〈栃の芽会連絡先=防衛庁技術研究本部第4研究所・畠中草史氏 電話042・752・2411〉へご連絡下さい。

陸軍飛行学校本部庁舎
「玄関扉」「階段」を永久保存
<空自熊谷基地>
 旧陸軍飛行学校として昭和10年12月に創設され、昭和33年から航空自衛隊熊谷基地の本部庁舎として使用していた庁舎が昨年末に建て替えられた。歴史的な建造物だったこの旧庁舎を懐かしむ声に、基地は、正面玄関扉と正面階段を基地内の教育参考館に展示し、一般公開している。この話題はマスコミで取り上げられ、見学者数も増加している。
 旧陸軍飛行学校は、少年飛行兵を養成するため昭和10年に創設され、戦後しばらくは米陸軍43師団が駐留、昭和33年8月に米軍から返還され航空自衛隊の基地となった。
 旧本部庁舎は木造2階建て約1,800平方メートルで、昭和13年には昭和天皇御行幸を頂いた由緒ある建物で、これを記念して基地周辺は御稜威ヶ原と命名されている。
 正面玄関扉は、両開きの部分と枠を取り外し、教育参考館の廊下に使用できる状態で設置した。
 正面階段は、2階校長室に通じる赤絨毯が敷かれ、ケヤキでできた約7?の分厚い手すりが特徴であり、下の3段部分だけを残すことにした。
 なお参考館には、少年飛行兵の訓練風景を描いた絵画や、3式戦闘機「飛燕」のエンジン部品、旧陸軍の軍服、38式小銃、無線機など多くの資料が展示されている。
 見学をするには、1週間前に申し込みが必要で、問い合わせ先は、熊谷基地広報室(電話〇四八-五三二-三五五四内線三〇三)へ(土日及び休日は休館)

空自プレ50周年を祝う
生徒入隊式で「50」の人文字
 4月7日、熊谷基地(司令・林國満空将補)で、生徒隊(隊長・横山俊昭1空佐)は入隊式での新入生を祝うドリル展示の中で、空自プレ50周年を記念して50の人文字を作った。富岡清熊谷市長等も出席して入隊式が盛大に行われた後、場所を移して展示した。
 来年は、空自50周年の記念の年。平成15年度プレ50周年行事で、空自72基地のうち最も早く実施された行事で披露した。毎年生徒隊の入隊式では、二中隊生徒(2年生)が新入生を歓迎してドリル演技を披露している。その演技を64名の新入生等、約300名の観客の見守る中、鮮やかに50の隊形が作られた。

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