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   2003年6月1日号
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Nice Guys シリーズ
航空自衛隊は技術者集団
久保田准尉はメディック(救難)一筋
 久保田達夫准尉(50歳、茨城県出身)
 〈略歴〉▽昭和46年、第2教育隊 新隊員123期▽53年、空挺レンジャー課程▽53年、那覇救難隊▽58年、百里救難隊▽11年、浜松救難隊▽14年、百里救難隊
 〈総降下回数〉531回
 〈飛行時間〉5097.5時間
 〈戦歴〉南は沖縄の与那国、南大東島、北は北海道、西は能登輪島沖、東はベヨネーズ環礁に渡る区域において発生した航空救難、災害派遣に出動して、人命救助の一翼を担えたことを自負しています。
 〈救難員を目指した動機、きっかけ〉人のために役立つ職業に就きたいと航空自衛隊に入隊しました。しかし、自分の想い描いていた理想の職業と現実の航空自衛官としての職業の差が大きく、迷っている最中に浜松救難隊が実施していた落下傘降下を目の当たりにしました。そしてそれが、人命救助をするための訓練であることを知ったとき、自分の想い描いていた理想の職業と現実の救難員の職業が一致したのです。そのことがきっかけとなり救難員を目指しました。
 〈救難員課程の厳しさ〉救難員の課程開始に当たり、当時、"まむしの教官"と言われたK3曹から「痛い」とか、「キツイ」とか、「眠たい」とか、「喰いたい」とか、いうな「3歩以上は駆け足」と檄をとばされた。初めて経験することばかりで、厳しさは、この檄から察するに余りなかったが、労苦をともにする同期と自分が目指した職業内容が段階的な訓練を受けることにより、具現化されるので厳しさは感じなかった。
 〈初めて実任務に出動した時のエピソード〉昭和53年8月群馬県赤城山に墜落した民間セスナ機の捜索救助に先輩とともに出動したときのことです。山腹に激突して破壊横転しているセスナ機と黒焦げとなった遺体の一部を救助機で発見し、先輩から「行くぞ、準備しろ」と声を掛けられ、「はい」と返事をし救出準備に入ろうと捜索席を立った瞬間、頭の中が真白になってしまい手順をスッカリ忘れてしまったことです。その後の行動は先輩について行くのが精一杯で、ただオロオロとしているうちに何時の間にか任務が終了してしまいました。
 〈最も困難だった任務〉昭和57年11月午前1時ごろ、那覇南力130マイル洋上で、パナマ船籍のタグボート(ジルバスター号)に曳航されていたバージ船(台船)上でウインチに左足を挟まれ切断した台湾人と思われる船員の救助に出動したときのことです。負傷者は救助することはできましたが、暗夜、悪天候のために、ホバリングがなかなか定まらず救助に必要な照明弾と燃料がなくなってしまいバージ船に取り残されました。同船の他の台湾人船員とともに一夜を過ごし、翌日の収容時には台湾海峡近くまで曳航されてしまったことです。
 〈座右の銘〉『一日一汗』自衛官及び人命救助に直接携わる者にとって強靭な体力は基本です。そのためには、何時出動命令が発せられても任務に対応できるよう日々額に一汗して体力練成に心掛けることが必要不可欠です。
 『ネバーギブアップ』何事するにも決して諦めてはならない。諦めずに最後までやり遂げれば必ず良い結果へと結びつきます。
 〈後輩に対するメッセージ〉一芸は万法に通ずる』という格言に習い、人命救助の道を極めると共に、修練で得た高度の識見、知識、技能、体力、気力、胆力を持って、人間として、自衛官として、更なる向上を図って貰いたい。決して救助技術のみの向上だけであってはなりません。
〈退官後の第2の人生〉自宅のある小川町に在住して近傍へ就職したいと思っています。また、在職期間中は訓練として実施してきた登山、潜水、操船については趣味に方向転換して余暇を満喫したいと考えています。
 〈奥様に一言〉新婚生活は、紺碧の海に青い空、ディゴやハイビスカスが真っ赤に咲きみだれる常夏の島・沖縄であった。「新婚忘れるべからず」いつまでもあの時の新鮮な気持でいようね「久保田家のちゅらさん」と言いたいところです。
 〈教育方針〉自分の人生であり、責任を負うのも自分自身である。『人は頼りにするな、自分のことは、自分で何とかしろ』です。
 〈家族構成〉▽妻・淑子(48歳)24歳の時結婚▽長男・那也(21歳)大学3年▽長女・優子(19歳)大学2年

「全力尽くし悔いなし」
幹候試験に挑む
国分
 国分駐屯地(司令・川久保源映1佐)で4月8日、第85期一般幹部候補生(部内)選抜試験が行われた。金色に輝く桜のバッジを目指して試験にチャレンジしたのは、普通科職種23人、他職種7人の合わせて30人。窓の外には桜の花びらが舞うなか、試験会場は緊張に包まれた。「始め」の号令で試験開始。
 前段2時間は共通科目、休憩30分を挟んで専門分野の職種科目1時間、静けさの中で整斉と試験が進行した。受験者らは、勤務・訓練行事など多忙な中、寸暇を惜しんで勉強を重ねてきた。試験を終え「全力を出し切ったので悔いはありません」と自信に満ちた表情で会場を後にする姿が印象的だった。

13普連で入隊式
 第13普通科連隊(連隊長・小森一生1佐)では4月3日、駐屯地体育館で新隊員の入隊式が行われた。自衛官としての門出を迎えた3月隊員は使命感を胸に式典に臨んだ。
 式典では国歌斉唱に続いて、新隊員の出身地を1人ずつ紹介。平栗文典2士が申告、島田拓己2士が宣誓を行い、館内に力強い声が響き渡った。
 小森司令は式辞で「常に前向きに、積極果敢に物事に取り組み、皆のために何ができるかを考えること。自分の中にある自己中心的な部分を変える努力をしてほしい」と激励した。来賓を代表して、松本市長、父兄会長野県支部連合会会長が祝辞を述べた。
 父兄らは、初めて目にしたわが子の制服姿に目を細め、晴れやかな表情で式典を見守った。式典後、食堂で会食が催され、1週間ぶりに会う家族と話が弾み、祝福を受けた。最後に「頑張れよ」と励ましの言葉に決意に満ちた表情でうなずく姿が印象的だった。

39普連も入隊祝う
 第39普通科連隊(連隊長・落合直巳1佐)で4月7日、平成15年度新入隊員55人の入隊式が行われた。午前10時、会場の体育館では多数の来賓、父兄、先輩隊員約200人が見守るなか、厳粛に式典開始。国歌斉唱に続いて行われた告達では、落合連隊長が全員を2等陸士に任命した。
 新隊員を代表して、伊藤慎吾2士が申告、一戸裕二2士が宣誓、外崎雅敏(2)士が力強く誓約。落合連隊長が式辞で(1)初心を忘れず将来の夢と目標を持て2良き社会人、良き弘前市民であれ(3)同期生を大切にせよ−−と要望。厳粛に式典を終えた。父兄らは、わが子の晴れの式典に感動、制服姿に目を細めていた。
 その後、第9音楽隊が演奏、隊員食堂の祝賀会食で新隊員の門出を祝った。

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