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   2003年5月1日号
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手打ちそばで笑顔が! 函館駐業隊
肝付隊長の趣味が部活動に発展
 「毎日の訓練や業務に超多忙な駐屯地隊員に安らぎの機会を!」
 函館駐屯地業務隊長・肝付純清2佐が平成13年8月に着任した時の想いである。
 駐屯地は、主力部隊である第28普通科連隊の他、当隊を含め六個部隊が駐屯している。駐屯地は演習場からも遠く、主力部隊は極めて多忙なのである。こんな環境にある隊員たちに忙しいなかにも楽しみを与えられてあげられないだろうか、と思ったのがことの始まり。
 肝付2佐の「そば打ち」との出合いは6年前、年越しそばを打つための市民講座に参加したのがはじまり。
 その後、北海道北広島市にある自宅で年数回打ち、余暇は千歳市にあるなじみのそば屋へ出向いてコツを見聞き、ほとんど独学で腕を磨いた。
 「初めは水加減があわず、すぐそばがきれることもあった」という。単身赴任の現在の職場は家族に対する粉害を意識せずに思う存分腕を磨く格好の場、官舎の一室が「そば工房」となった。部下の隊員は全員が「そば工房」製品を試食し、上達に協力した(笑)。
 一昨年秋のとある休日、「ひらめき」があった。今でこそブームとなって愛好者が増加しているが、昔はほとんどの家庭でそばを打つのが一般的。誰でもできる。そして極めて実用的なそば打ちを隊員の余暇活動に取り入れたらと思いたち希望者を募った。予想をはるかに超え、約30名があつまった。その場で「駐屯地そば打ち部」がたちあがった次第である。と
 りあえずは、部員たちが家庭で「年越しそばを手作りで!」を目標に教室がスタート。そば打ちの楽しさを説いた後、即実践、硬い、軟らかい、短い、細い、ごつごつとした太いめん。出来上がった手打ちそばはまさしく手打ちそのもの、その場で苑で上げ試食した。
 生徒たちは出来上がったそばに満足した。それ以上に先生は生徒たちの喜ぶ表情に感激した。
 それ以後、東チモール派遣隊員壮行会食、駐屯地年忘れ餅つき大会、創立記念日会食等の公の場で披露すること数度。部員たちはめきめきと腕を上げ、ついには、函館市内の介護老人福祉施設へ数回のボランティア慰問にまで進化?し、活躍は地元北海道新聞や函館新聞でも取り上げられ道南地区の有名人になった。
 本人は昔からめん類大好き、そばは太めで荒々しいのが好み。こだわる。そば粉は北海道の幌加内町産、つゆのだしは、故郷鹿児島・枕崎のカツオで、水は天然水で。包丁に至っては道内一老舗刃物専門店で。食の歴史や衛生・栄養面を学んでいるうちに昨年10月、調理師免許まで取得した。
 弟子は四十数名にまで増えた。弟子が弟子を育てた。もう教えることは何もないという。腕の善し悪しはあるが、全員がそば打ちを楽しみ始めたからだという。廊下ですれ違った見知らぬ隊員が突然「隊長、日曜日にやってみました。茹でたらこんな短くなっちゃいました」。
 趣味が笑顔に変わった一瞬でもある。
     (文・川南和善課長)

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
杜会福祉法人・泰生会宇佐ナーシングホーム  舟越 ナナ
 私は平成13年、自衛隊を退職し、現在、宇佐ナーシングホーム泰生園で、以前からやりたかった介護の仕事をしています。今は、介護職員として勤務していますが、介護という仕事は、奥が深く、人の命の尊さ、脆さを感じさせられ、それがいかに重要か考えさせられる日々です。
 私が勤務している宇佐ナーシングホーム泰生園は、痴呆の方がほとんどで、勤務し始めた当初は戸惑いがあり、どう接すればよいのか、どう話しかければいいのか悩む日々でしたが、現在は入所者の方の笑顔が仕事の励みになっています。また、仕事場の上司の方、諸先輩にご指導、ご鞭撻を頂き勉強しています。
 就職後、一番苦労したのは、いかに自分が自衛隊の色に染まっていたかを身にしみて感じたことです。なぜかというと、今までは周りが助けてくれる協同作業でしたが、民間の職場では一人一人がライバルであり、お互いが勉強しなくては前には進めないということです。特に、介護やその他サービス業では、利用する方からお金を頂き、それ以上のサービスを提供しなくてはならないという現実があります。自分自身がいかにより多くの知識を得るか、人の倍の勉強をしなくては可能性がないということを骨の髄まで考えさせられています。介護の仕事に入って1年3ヵ月ですが、まだ未熟者であり、これからもっと多くのことを勉強し、最大の目標である資格取得に向けて努力している毎日です。
 これから退職予定隊員の方には、今から働こうとしている仕事のことを良く調べ、自分がそこで何をしたいのか、そのためにはどんな資格がいるのか深く考え、決めて頂きたいと思います。また、自衛隊と民間の企業、職場は違うことを知ってもらいたいです。
 今後勤める職場で全力で頑張って下さい。

回想の70年代音楽(8)
「時間ですよ」
 だいき 森光子と東山紀之のアツアツ(?)カップルが共演してるお芝居が評判のようですが年の差約50歳のカップルってのはすこいな。
 ひろか 森光子、いつ見ても若いですね。とても80を超えた歳とは思えませんが、戦時中には芸能慰問団の一員として南方の航空基地を巡っていたというんだから、やっぱりその位になるんですよね……
 だいき その森光子が主演の70年代の人気TVドラマが「時間ですよ」(TBS系)。彼女がお風呂屋のおかみさんでダンナ役が船越英二だったかな。それでコメディアンの由利徹が……
 ひろか もういいでしょ。このドラマから往年のスーパー・アイドル天地真理と浅田美代子が世に出たんで今回取り上げるんでしよ!
 だいき 「白雪姫」とまで言われた天地真理の現在の姿を思うと、しみじみ栄枯盛衰は世のならいと感じますが、それはさておき一時の人気たるやものすごかった。ちょうどパパ(昭和34年早生まれ)の中学時代と重なっていて、当時の悪ガキ連中にもいっぱいファンがいたって。
 ひろか ママはね、ある自転車メーカーが真理ちゃんモデルの自転車を売ってたとか言ってたよ。
 だいき 彼女の場合、経歴詐称というと言い過ぎですが音楽系高校を卒業してから芸能界デビユーするまでに空白期間があることがバレて様々な憶測が乱れ飛び一気にトップアイドルの座から滑り落ちた感がありますね。
 ひろか それに比べて浅田美代子が今日に至るまで息の長い芸能活動を続けていることは大変に意外です。
 だいき 「赤い風船」とか、歌手としてのレベルはも〜断トツでしたもんね。上手いから売れるってもんじゃないのが現実だ。
 ひろか 浅田美代子のどこが芸能人としてサバイバルできた秘訣かとか考えるだけ無意味だと思うな。吉田拓郎(言うまでもなく前の夫!)ならもっと具体的なコメントできるかも知れないけど。何というか、世の中はいろいろ変わったけど浅田美代子はガンコに変わらなかった。その結果いま中年層のアイドルとして人気を博していると、それだけのことでは?
 だいき 今では誰もが忘れた逸話だと思いますが、浅田美代子って東京女学館という都内でも指折りのお嬢様学校へ通っていて、芸能界入るなら退学だという決断を迫られたんですね。だからあんな顔していても肚はすごいんだよ。
 ひろか でも多分いま本人に当時のことを聞いたらこう言うんじゃないかな。「ああ、あれね。若くて向こう見ずだっただけよ、覚悟して入った芸能界だから今までやってこれたかって?そんな気合だけじゃ30年も続かないわよ。私より風吹ジュンさんに聞いた方がいいんじゃないの。あっ、拓郎さん、お体大事にして下さいね」
 *浅田美代子様、最近お母様を亡くされたとのこと、謹んでご冥福をお祈りします。

部外者の声
自衛隊でラッパ研修
高知地連、山口駐屯地
高知県大豊町消防団本部ラッパ隊隊員  佐藤 顕
 2月8、9の両日、陸上自衛隊のご協力により山口市の山口駐屯地で、我が大豊町消防団本部ラッパ隊のラッパ研修を行いました。
 私がこの山口駐屯地での研修に参加するのは、昨年度の第1回に続き2度目の参加でした。しかし、前回研修でも様々な技術をご指導いただいたにもかかわらず、日常の忙しさにかまけてしっかりとした自分の技術に出来ないまま、今回の研修を迎えてしまいました。当初、講師の方々に失礼にあたるのではないかと参加を見送ろうかと考えたほどでしたが、自身の技術向上のためにと恥を忍んで参加いたしました。
 研修は、前回と同じく山口駐屯地の酒井2曹にご指導いただきました。最初お会いした際に、前回参加していた私の事を覚えていてくださっていたようで、声を掛けてくださり、大変感激いたしました。また、ラッパの指導についても前回と同様に基本を一からお教えくださり、ラッパの吹奏技法を水道に例えるなど、素人にとっても大変わかりやすい指導を行ってくださいました。
 私はラッパ隊に入隊するまでラッパの経験がなく、前回の研修で指導を受けているとはいえ、基本がほとんどわかっていない状態で吹奏を行ってきました。ところが、指導を受けるにつれてラッパの音色がみるみる変わっていき、自分自身でも驚いてしまいました。研修は約3時間行われたのですが、時間があっという間に経ってしまい、少々残念な気がいたしました。
 今回の研修でも、ラッパを吹奏するための必要な要点をたくさんご指導いただきました。しかし、我々は消防団のラッパ隊という性格上、隊員みんなが集まっての練習機会が少なく、また、平日の夜に練習することが多いために仕事の都合等で練習に参加できない日も多々あり、反復練習が不足しがちです。ですが、今回ご指導いただいたことを念頭に置き、少しでも自分の技術に取り込めるようにこれからの練習に取り組みたいと存じます。
 最後に、我々のために連年にわたり懇切丁寧なご指導をいただきました酒井2曹をはじめとされます山口駐屯地の方々と、今回の研修の設定にご尽力いただきました高知地方連絡部の難波3曹及び関係者のみなさまには大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

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