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   2003年3月15日号
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留萌市写真コンテスト
池田1陸佐、グランプリに輝く
 北海道留萌市主催の写真コンテスト「日本一の夕陽(ゆうひ)フォトコンテスト」入賞作品がこのほど発表され、応募総数1,023点の中から、池田整治1陸佐(北方総監部広報室長)の「おとぎの国の夕陽」(=写真?)がグランプリに輝いた。
 池田1佐の作品は、留萌市の黄金岬から撮影したもので、雲間に沈む夕陽の前を鳥が1羽横ぎろうとした瞬間をとらえている。穏やかな波間に無数に輝く夕空の反映と雲の色合いが、格調高い映像をかもし出し、夢のある作品に仕上がっている。
 池田1佐は防大空手道部OBで、全自衛隊空手道連盟の重鎮。カメラは約2年前から趣味で始め、これまでに「修親」の写真コンテストで入賞したこともある優れた才能の持ち主。その才能を一層開花すべく「北海道の大地を中心に、これからも撮り続けていって様々なコンテスト、特に全自衛隊美術展に応募してみたい」と抱負を語っている。

各部隊対抗で卓球大会 市ヶ谷駐屯地
森陸幕副長が入賞チームを表彰
 市ヶ谷駐屯地(司令・藤井信二1佐)は2月5日から7日まで、陸幕部・課・駐屯各部隊対抗卓球大会を開催した(=写真)。
 競技は、参加30チーム、各チームペア5組の3セットマッチで15個チームずつ2個ブロックに分け、それぞれ予選リーグを経て、決勝トーナメントに進む方式で行われた。会場の体育館は熱戦を展開する選手への声援があちらこちらでわき上がり、連日盛会となった。
 成績は<Aブロック>▽優勝=中央業務支援隊印刷補給部▽準優勝=中央システム管理隊▽第3位=中央資料隊<Bブロック>▽優勝=通信団本部付隊▽準優勝=会計監査隊▽第3位=陸幕通信電子課
 7日午後行われた閉会式で成績発表の後、大会委員長・森陸幕副餐から入賞チームが表彰され大会を終了した。

回想の70年代音楽(7)
アバ VS ハイ・ファイ・セット
 だいき JR山手線の社内放送で劇団四季の「マンマミーア」の宣伝をしているのを見たけど、アバのヒットナンバーをふんだんに使っているのをウリにしてたよ。
 ひろか 70年代に世界を席巻したスウェーデン人の男女4人のグループ、古館伊知郎流に言えば"歌う福祉国家"!
 だいき 防衛庁職員の家族だったら"歌う中立自主防衛"くらい言ったら。それはともかく、今思えば70年代(後半)は正統的男女デュエットや女性がリードの男性コーラスグループと並んでアバみたいな男女複数メンバーのグループが活躍してましたね。
 ひろか その前に男女デュエット(これって馬から落馬みたいで変かな)を5つ挙げて。
 だいき チェリッシュ、ダ・カーポ、紙風船、ヒデとロザンナ、トワ・工・モワ…ヒデとロザンナの2匹目のドジョウ狙いでKとブルンネンなんていうのもあったぜ。
 ひろか 女性がリードの男性コーラスグループといえばペトロ・アンド・カプリシャスにロスインディオス&シルビアに平田隆夫とセルスターズ!
 だいき それでやっと本題の男女複数メンバーのグループですが、実はアバのこと、よく知らないんです。手元にあるビクターファミリークラブの広告誌「ニッパーズプラザ」03年春号を見ますと73年から81年にかけて8枚のアルバムが世界で大ヒットしたそうですが。
 ひろか 「ダンシング・クイーン」('76)、「チキチータ」('79)くらいは知ってるでしょう。まさに同じ頃、日本でヒット曲を連発していたのがハイ・ファイ・セットとサーカスですが、こちらはいかがで?
 だいき パパが大学に入った年('77)に「フィーリング」が大ヒットして紅白歌合戦出場が決まった直後に、パパの行っていた大学でコンサートをやったんです。山本俊彦と大川茂の2人のトークが面白くて、紅白を楽しんできますというようなことを言っていたんですが、本番ではコチコチになって固まっていましたね。それでちょっと拍子抜け。
 ひろか コンサートの時は、前座の無名グループの時間が長かったのと、もともとハイ・ファイ・セットはユーミンの曲「卒業写真」で名をあげていたのにあの日はユーミンの曲を全く歌わなかったのでユーミンのファンだったパパは不完全燃焼だったそうな。まあ脱ユーミンの独立宣言という意味があったんでしょうね。
 だいき 今日はもう一つのグループ、サーカスのことを取り上げる余裕がなくなってしまいましたが、ハイ・ファイの場合は夫婦と別の男(大川)、サーカスの場合は3人姉弟と従姉の組合せで、そういう微妙なバランス、というより緊張感が都会的ムードあふれる高い音楽性につながっていたと言えましょう。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
名菱興パッキングサービス株式会社  元木 康雄
 小牧基地援護室のご尽力により名菱興パッキングサービス株式会社(MPS)に再就職し、人生の再スタートを切ることとなりました。入社の動機は、自衛隊在職中に司令部装備部で勤務していたことと合わせて先輩の方々が多く入社されていること、さらに自宅からも近く、通勤が便利ということもあり決めました。
 私は格納チームに所属し、女性のチームリーダーをはじめ、MPS社員8名(航空自衛隊OB2名と私を含む)と派遣社員4名の計12名で、入荷した製品の検収や検査業務完了品を受領し電算機処理をすること、また数量と部品番号を確認し、要求元への配布、発送、そして指定場所への格納、保管、管理することの諸業務を行っています。
 その中で私は主にボーイング(737,747,777)機、MU-2機、MH2000機、SH60J機の購入品と内作品を受領し、電算機処理、梱包依頼、格納、払出、製品の保管や管理を担当しています。
 自衛隊在職中に補給業務の経験があったとはいえ、業務の流れについてはとまどいと苦労の連続でした。特に、専門用語と配付先を理解するのに苦労しました。
 また、実際に間違って配布し、その部品を航空機に取り付けられたらどうなるかと考えると恐ろしくなりました。これは大変な所に就職したと思い、それ以来、確実、迅速、報告、連絡、相談等の基本サークルからはみ出さないようにやることを常に考えて勤務しています。
 自衛隊出身者は、特別な眼で見られていることが多々あります。採用する側は我々に何らかの期待を持って採用するわけですから、それに応えるように努力する気持ちを持って就職しなければならないと思います。
 入社後は、新人であることを肝に銘じ、健康に十分気をつけて、協調性を大切に、また、仕事のやり方や求められる能力は、時代や環境、立場とともに変化していくため柔軟に対応し、何でもやりますという気持ちが大切だと思います。

部外者の声
海自1術校を研修
愛媛県警察学校初任科第129期生 
岸岡 将治
 江田島での見学で私が感じたことは、戦争を忘れてはならないということです。戦争は、人類が犯した大きな過ちであると思います。しかし、現在の日本の私達が生活出来ていることは、当時の人々の礎があったからなのだと再確認することが出来ました。
 資料館の中で見た、特攻隊員の遺書は、死に直面してもなお、自分の使命を全うすることの決意や遺していく家族への気遣いを記したものが殆どでした。私よりも着い人々の遺書も数多くありましたが、果たして私がそこに臨んでいた場合、私には書けただろうかという、しっかりとした内容のものばかりでした。
 なぜ、当時の青年は戦争で勇敢に戦い、死すらを厭わない覚悟をもてたのでしょうか。そんな事を考えた時、それはやはり国の為に戦うんだという使命感、国の為に戦えるんだという誇りを持っていたからだと思いました。そして、現在も海上自衛隊には、その精神が受け継がれているということを強く感じました。また、私の兄も陸上自衛隊松山駐屯地で勤務しており、常日頃から訓練に励んでいるようです。有事の際に行動し、国を守るのは自分達であるという気持ちを持ってくれているのだと思います。
 最後に、この誇りと使命感は、我々警察官にも必要不可欠な心構えです。我々の掲げる「職務倫理の基本」にも、第1に「誇りと使命感を持って、国家と国民に奉仕すること」とあります。
 愛媛の治安を守っていくのは、私達であるという使命感とそのような任務に就いたという誇りは、決して自衛隊の方々にも引けは取らないと思います。そして、その誇りと使命感を持ち続けることこそ、仕事の原動力なのだと思いました。
 そのことを確認させて頂いた、海上自衛隊第1術科学校の皆様、そして日本の為に戦い、若い命を散らした先人方、本当に有難うございました。

船田和志
 私は、初めて江田島第1術科学校を見学させて頂きました。初めに広大な敷地にもかかわらず、隅々まで清掃・手入れが行き届いていることに身が引き締まる思いがしました。また、古い建造物が現在でも大切に補修され残っていることに、海軍兵学校から続いている同施設の歴史の重み、あるいは、合理性を追求する現代の日本人が忘れかけている大切な何かを感じました。
 国防という崇高な任務を果たすために、この学校で日々厳正な規律の下に、勉学や訓練に励まれている方々を拝見して、非常に逞しく感じ、私も今以上に頑張らなければと痛感しました。
 同施設内の資料館で、貴重な資料や特攻隊の隊員の方々の遺書等を拝見させて頂きました。資料が現代に伝える先人達の教えは、人として学ぶべき点が数多くあるように思えました。
 また、特攻隊員の遺書は読んでいて、涙がこぼれそうになりました。国家のために、若くして命を捧げた方々の存在を我々は決して忘れてはいけないと思いました。
 私は戦争には反対です。狭い地球上で人間同士が殺しおう戦争は、人間の愚行の最たるものだと思います。人間の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありませんし、日本も例外ではありません。現在は、日本は一応平和な国になっています。しかし、歴史というものは過去の積み重ねだと思います。今ある平和は、資料館で見た、日本のために命を懸けて戦った先人達、その他多勢の方々の犠牲の上に成り立っていることを肝に銘じ、この日本の治安を守るために、粉骨砕身の思いで職務に励まなければならないと感じました。


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