防衛ホーム新聞社・自衛隊ニュース 防衛ホーム新聞社 防衛ホーム新聞社
   2003年2月1日号
 1面 2面 3面 6面 7面 8面 9面 10面 11面 12面

回想の70年代音楽?
「世界の国からこんにちは」
 だいき あまり話題にならないけど、2005年(?)に愛知万博が開催されるんだよね。
 ひろか 天然林を伐採して会場を開発することに反対の声も強いようですが、何と言っても大イベントで地域振興を図ろうという発想が、大阪万博の夢よもう一度で誠に陳腐、2匹目の泥鰌狙いが見え見えです。
 だいき 堺屋太一氏が通産官僚だった時、大阪万博の旗振りをやって大成功を収めた訳ですが、あんな大作家も自分のことになると成功体験に溺れてまた愛知万博の方の企画にもお出ましになってたりして。いやですねえ。
 ひろか あの時分は、高度成長期の盛り上がった気分のところへ、当時は今ほど国際化していませんから未だ珍しかった世界の文物はもとより、月の石なんていう宇宙の物まで集まりましたから日本中の老若男女がどっと押し寄せたんですよ。
 だいき 「世界の国からこんにちは」というテーマソングが大ヒットしたのも当然ですが、これを歌った歌手は、はい誰でしょう。
 ひろか 三波春夫に決まってるじゃん、という答を期待した引っかけ質問でしょ。
 だいき 三波春夫だけが歌った東京オリンピックのテーマ曲『東京五輪音頭』とダブってしまうんですね。ところが万博の方はもちろん三波春夫も歌っていますし、当時を生きていた人の耳に焼きついている「こんにちは、こんにちは」のメロディは100人が100人、三波春夫のだと思います。でも『世界の国からこんにちは』は国内のレコード会社の競作で、他の会社からもレコードが出ているんですよ。
 例えば、って言ってもそれしか記憶にないんです
が、ミノルフォンレコードでは山本リンダが『世界の国からこんにちは』を歌っていたんだ。
 ひろか ミノルフォンレコード会社は有名な作曲家遠藤実氏が自前の会社を作ったものですが、なかなかうまく行かず後に徳間書店のオーナーに買収されてしまいました。それはさておき、その他のレコード会社は誰に歌わせていたのか、ご存知の方がいたら教えて頂きたいですね。
 だいき 東京五輪と大阪万博とくれば、締め括りは札幌冬季五輪(1972)ですが、これはもうトワ・工・モワの歌った『虹と雪のバラード』で尽くされますね。
 ひろか 5年前に長野五輪があって、その時のテーマ曲はV6の『輪になって踊ろう』でしたが、パパなんか冬のオリンピックの歌は『虹と雪のバラード』だけでいいんだって毒づいていたよ。
 だいき 札幌の時よりメダルもいっぱい取れるようになったけど、70メートル級ジャンプで表彰台を独占した時のような盛り上がりがないんだよね。日の丸を背負っているという選手の重圧感は筆舌に尽くせないものがあったと思いますが。ありがとう笠谷、金野、青地選手。

特科団銃剣道競技会に参加
第4特科群本部中隊 2陸曹 山本治彦
 平成14年度第1特科団銃剣道競技会において、我第4特科群本部中隊はAグループ(直轄中隊、群本部中隊、連隊及び大隊本部管理中隊の14個チーム)で『優勝』しかも2連覇という偉業を達成いたしました。
 私は選手皆に頼まれた言わば雇われ監督でした。前回の優勝時は私のように転属してきた隊員が主力になり優勝したと聞いており驚いていました。今回は選手全員が陸士の時から群本部中隊で育ってきた隊員ばかりということで、練習を見に行くと選手自ら訓練メニューを考え一丸となって訓練に取り組んでおり、前回若手の陸士陸曹として優勝を経験した隊員が、今や中堅陸曹として立派に若い隊員たちを指導していたのです。
 訓練を見ていて私にはヒシヒシと伝わってくるものがありました。それは彼らのもう1度優勝したいんだという気持ちと後輩にもあの感動を味合わせてやりたいという執念みたいなものでした。そのとき私は決めました。いらぬ口を挾まず彼らのやりたいように、彼らが後悔することのない訓練が出来るように縁の下の力持ちに徹しようと。
 試合当日、定年まで残り数年という豊田中隊長を大将に予選リーグを全勝で勝ち上がり、決勝トーナメントでは並み居る強豪を打ち破り、決勝戦は同じ上富良野の第3地対艦ミサイル連隊本部管理中隊との対戦となりましたが副将大将を残し、優勝。彼らの執念、たゆまぬ努力が実を結んだ瞬間でありました。
 その夜、皆が監督として私を讃えてくれましたが、本当に讃えるべきなのは選手が訓練に専念出来るように勤務を負担してくれた隊員、声を嗄らすまで応援をしてくれた隊員、そして何よりも厳しい訓練に励んできた選手要員には本当に心から感謝の気持ちで一杯です。なぜならこんな私を監督に指名していただき、しかも最高の結果を出し、皆と共にあの感動を味合わせてもらうことができて本当に嬉しく思っています。おそらく群本部中隊は、これから銃剣道のみならず各種競技会においても、この団結力を発揮してゆくことでしよう。
 私もやがて5特へ戻りますが今回の貴重な経験を忘れることなく今後の訓練や後輩の指導に活かして行きたいと思っています。

履修前助教を経験
第131特科大隊第3中隊 3陸曹 鈴木 秀法
 私は昨年10月の約1ヵ月間、中隊長から陸曹候補生履修前教育の助教として教育に参加せよと命ぜられた。
 教育は自分が陸教で経験したことを中心に教えようと意気込んで臨んだが、隊員らはおとなしい性格なのかまったく反応がなく、最初のうちは自分ばかりが前に出ているような気がした。しかし1日1日と日が進むにつれ顔つきや声の大きさ、態度、考え方などが見違えるようになってきた。
 1歩1歩成長していく隊員を見ていると教育に携わっていて本当に良かったと思う。今回の教育が少しでも陸教で役立ち全員が頑張って無事に教育修了し、立派な3等陸曹になれることを信じている。
 真新しい3曹の階級章を付け自分の前に現れて挨拶に来た時が陸曹候補生履修前教育の助教として1番満足する瞬間と思う。

パソコンについて
第131特科大隊第2中隊 陸士長 清野琢磨

 ある日、電気店で中年のおじさんが「インターネットっていくら?」と店員に聞いている場面に遭遇しました。一瞬漫画の一場面と思いましたが笑えませんでした。これがデジタルデバイドか…と初めて実感しました。
 最近は小学校からパソコン教育がされていますが、このことで低・高年齢層のパソコンの出来る出来ない人との溝が生じています。これが情報格差、いわゆるデジタルデバイドと言われるものです。
 これからは間違いなく一生に1度はパソコンを触らなければならない時が絶対にきます。その時の為にも今からでも触っておく必要があると思うのです。
 先日私の父と弟が同じ時期にパソコンを購入しました。今では弟の方がパソコンに詳しい状態になっており父親が教えてもらっています。子供の学習能力は驚きます。子供のいる方は特に必需品でしょう。
 触らぬ神に崇りなしではなく電気店での中年のおじさんのように勇敢にも立ち向かってチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

「頑張っています」 新しい職場
活躍するOB シリーズ
即応予備自訓練を楽しみに
株式会社セロン東北 佐々木郁恵
 私は、神町駐屯地の第6通信大隊で2任期4年間勤務し、平成14年3月に退職し、援護センターのお世話になり、山形県山形市にある警備会社の「株式会社セロン東北」に入社しました。
 会社は、機械警備を主とし、その他に、常駐警備、誘導警備、独居老人のための緊急通報システム、ホームセキュリティなど、警備業務全般の会社ですが、今年2月には、ビル清掃等のビルメンテナンス業務をするビルメン事業部も開設し、発展し続けている会社です。
 私が勤務している管制コントロール室は、県内の機械警備の状況を監視し、異常発生時には速やかに対処者に通報するという業務で、ある時は自分の判断で110番・119番通報するなどの対処もしています。自衛隊の仕事とも類似しており警備業は、お客様の生命と財産を守るとても責任のある仕事だと痛感しています。
 また、現在の仕事に就いてから、自衛隊での数々の教育・訓練が、急な対処においても大いに役立っていることと、技能教育でパソコン教育を受けていて良かったとつくづく感じています。入社当初は、とまどってばかりでしたが、先輩の皆さんに教えていただき、徐々に仕事も覚え、今ではとてもやりがいのある仕事だと思いつつ、職場での人間関係や信頼関係の大切さを感じながら毎日を頑張っています。当社は、即応予備自衛官制度合意会社で、私も即応予備自衛官に採用され、毎月のように行われる召集訓練をとても楽しみにしています。
 就職してまだ3ヵ月、まだまだミスもありますが、自衛官出身者として誇りを持ち、常に前向きに、自信を持って働けるように、立派な管制員を目指し頑張っていきたいと思います。

部外者の声
体験入隊の意義
佐賀県有田町立有田中学校 校長 松尾 雅晴
 私は、当校を「我は有中生徒なり」の誇りと自信と情熱を持った生徒達の集団にしたい熱い思いがある。」
 一昨年4月、現有田中学校に新任校長として赴任した1日目に黄色のトサカ頭の生徒が出迎えてくれました。職員室の空気は重く、暗く、生徒が我がもの顔で出入りし、勝手に茶碗まで取り出しお茶を飲む始末。
 そこから出発し、1年を経過した春休み、次年度への心構えとして、規律ある集団の確立を重点目標に掲げました。その手段として武雄募集事務所の木下広報官に相談し、自衛隊への1日入隊をお願いした。
 陸上自衛隊竹松駐屯地の萓沼司令のご協力もあり男子運動部員の希望者約100名が参加した。午前中は、集団行動の基本である「気を付け」「休め」の停止間の動作から始まり、緊張間の中、行進間の動作へと段階を上げるとともに生徒達の顔つきも凛々しく感じられる程変わっていった。午後は、一変して駐屯地内の見学、またすぐ隣の海上自衛隊大村航空基地で艦載ヘリコプターまで見せてもらい、充実した1日体験入隊は終了した。
 それから9ヵ月、学校は目覚ましく変貌を遂げた。集団の1人として、自分は何を為すべきなのかを学んだ生徒達は、各種学校行事を実に感動的な行事へと変えてくれた。町の人達からも嬉しい声が届くようになった。
 12月1日に行った2年生の立志式の最後に、元文部省初等中等局長を歴任され現日本弘道会会長の鈴木勲先生を講師にお迎えし、記念講演を賜った。式当初からご臨席頂いた先生がその式典時の生徒達の立派な態度にいたく感動していただき、改めて義務教育の目的が集団生活の確立にあると確信した。
 現状を見ると、社会全体が一部の声に迎合され、実に「子供に甘い」世界を形成している。
 しかし、子供達は今日の社会に「厳しさ」を求めている。知っているのである。社会は、人の支え合いにより集団が形成されているのを。集団の大切さを。個人だけがひとり歩きをしている現状の危なさを。
 だからこそ、私たち教師、大人は、その子供達の心の声を聞き、集団の結集の力と美を経験させる義務がある。
 1日体験入隊をご多忙中にもかかわりませず、快く受け入れてご指導下さった方々に衷心よりの感謝とお礼の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
イージス艦派遣に思う
佐賀県立高志館高校 教諭 末次 毅
 昨年12月16日朝、自衛艦「きりしま」は粛々と横須賀を後にした。見送る人々の顔はまさに十人十色。わたつみは、それぞれの思いを胸に旅立った。
 響く汽笛の中に号泣する親子がいた。「父さんが死んだ時には母さんを頼む」とでも託されたのだろうか。少年は泣きつつも艦艇の後ろ姿を男らしく、しっかりと見つめていた。
 国内では、この出航に関して様々な意見が飛び交い、法律との合違をめぐって物議をかもしている。東西の冷戦は終わり、価値観が一変した。国際社会における日本への要求も「金だけではなく態度で示せ!」と毎回厳しさを増している。
 その渦中で、命を懸けて船出する益荒男にシュプレヒコールを繰り返すとはいかなる了見だろうか。察するに、隊員達は任務遂行のために覚悟を決めているはずだ。どうして「気を付けて」と一言を掛けてやれないのか。なぜ、見送る家族の気持ちをおもんばかれないのか。彼らの常識を疑うと同時に、激しい憤りを感じた。
 クルーの無事なる帰還を心から祈る…。

10面へ
(ヘルプ)

Copyright (C) 2001-2014 Boueihome Shinbun Inc