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   2003年1月15日号
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無事故飛行16万時間達成
「精強4空」新たなスタート
P-3Cの前で16万の人文字を描き記録達成を祝う
 第4航空隊(司令・星清一1海佐)は10月3日、P-3C 5092号(機長・尾崎和彦1海尉)の飛行作業をもって「16万時間無事故飛行記録」を達成しました。
 これは、昭和51年4月28日以来、装備機がP2V-7、P-2J、P-3Cへと変遷する中で、歴代司令の指揮統率の下、隊員一人一人が自己の責務を全うし、航空安全の確保に努力してきた結果であるとともに、上級司令部をはじめ、八戸基地に所在する関係各部隊の絶大なるご支援、ご協力の賜物であると隊員一同心から感謝しております。
 今回の記録は通過点の一つに過ぎず、新たなスタート地点に立ったつもりで基本に立ち返り、航空安全の確保に一層努力していくとともに、北の守りの一翼を担う、真の「精強4空」を目指し隊員一致団結して任務に励んでいく所存です。今後とも関係各部のご指導、ご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。(第4航空隊隊員一同)

盛大に落成祝う
横浜駐屯地体育館オープン
 横浜駐屯地(司令・蜂須賀守1佐)は12月5日、駐屯地体育館改修工事完了に伴う落成式を行った。駐屯地に、今まで体育館はなく、講堂として使用していた4号建物を、体育館に改修した。
 今回改修した建物は昭和38年に建設され、昭和45年に当時の104建設大隊が現在の場所に移設して以来32年が経過し、その間に外壁の塗装及び部分的な補修を行ってきたが老朽化が進んでいた。特に、2階床の強度が低く行事の度に補強して使用してきた。
 当日は、15時から駐屯地司令はじめ、駐屯地隊員及び工事関係者が参加して体育館前において落成工事を行なった。
 式では、駐屯地司令が「体育館」の看板を掲げ工事を担当した業者に感謝状を贈呈し、司令の挨拶が行われた後、場所を体育館の内部に移し、駐屯地各隊・各科を6個チームに分けて綱引き大会を行い、全員で落成を祝い一連の行事が終了した。
 今後は、隊員の綱引き・卓球・エアロビ等体育館として使用する他、教場・会議場・朝礼場等としても活用できるものと期待している。

旧陸軍歩哨舎
豊川駐屯地

 旧陸軍歩哨舎は、昭和8年(1933)豊橋市町畑町(現時習館高校副門)に豊橋陸軍教導学校が創設され歩兵科・騎兵科・砲兵科が入隊した当時、砲兵科生徒学舎の正門入口左脇に設置され終戦まで旧陸軍が使用していた物であり、昭和40年代半ば当時の時習館高校校長から譲り受けた菅谷氏が豊川駐屯地へ寄贈された。
 この度、駐屯地の創立記念を迎えるにあたり駐屯地慰霊碑の補修整備をするのにあわせて、駐屯地三河史料館南西角に改めて設置する事になり11月5日から設置工事を開始し、同月8日に設置が完了した。
 この設置にあたり三河地区の旧陸軍関係の史料が増えたとともに、また、屋外に設置した事により従来の装備品展示場の戦車等のように手に触れ写真撮影も出来る事から、駐屯地一般開放日や駐屯地見学者等に新たな史料として(三河史料館には約3千点の史料を展示)見て触れていただくことになる。
 駐屯地では三河地区の旧陸軍の史料として歴史的にも大変意味のある物をこれからもしっかりと保存していきたいとしている。


標語、ポスター優秀作品決まる <神町駐屯地>
 神町駐屯地では11月18日、隊員の食事に対する関心を高めてもらうための喫食向上施策の一環として、駐屯地各部隊から幅広く標語やポスターの募集を行い、優秀者を表彰した。
 今回は幹部から2士までの応募がありその総数は、標語が40件、ポスターが16件。厳正な審査を行い優秀作品各6点を選び表彰した。
 優秀作品は今後1年間食堂に掲示され隊員の意識の高揚に役立つことになった。「1日の戦闘開始は朝食で」さて、この標語の効果は…。

彰古館往来
陸自三宿駐屯地・衛生学校 <シリーズ12>
軍医学校五十周年記念塔(1)
 陸軍軍医学校の前身は、明治3年(1870)に大阪城内に設置されました。明治5年(1872)には東京の兵部省に軍医寮学舎として再発足し、さらに翌年、軍医学校と改称して東京衛戌総督部の敷地内に校舎を設立したのです。
 しかし、軍医の養成に時間がかかり過ぎることから、明治10年(1877)には東京帝国大学医学部に依託学生を依託し、軍医学校は廃止されます。東大を卒業し、医師免許取得後の軍医生徒には、軍医学講習所を設けて専門知識を学ばせることとしました。
 明治19年(1886)になり、軍医の養成に当たって多様な要求に応えるため、改めて「陸軍軍医学校」の名称で再発足します。公式には、この時点を軍医学校創立の起点としています。
 さて、昭和11年(1936)には軍医学校創立50周年の記念行事が挙行されました。その際、未来永劫に伝えるモニュメント制作が企画されます。これが陸軍軍医学校五十周年記念塔です。
 陸軍嘱託の彫刻家の日名子實三氏がデザインした記念塔の模型は同年10月11日に完成し、10月29日には地鎮祭が行われます。
 11月7日は創立五十周年記念行事が実施されますが、もちろんこの時点では記念塔は完成していません。
 翌昭和12年(1937)2月21日、在郷の現役軍医役6千人の寄付者名簿を入れた鉛の筒が建設中の記念塔内部に格納されました。そして、同年4月24日に陸軍大臣ほか陸軍省首脳、医務局長など約850人の見守る中、記念塔の除幕式が挙行されたのです。
 完成した記念塔は総御影石造りで高さ3丈3尺3寸(約10メートル)の四角錘の柱で、八角形の台座に載っています。
 頂上部には昭和4年(1929)11月7日に昭和天皇が軍医学校に行幸されたことを記念して鳳凰が乗せられています。青銅製の鳳凰は高さ5尺4寸(約163センチ)重さ60貫(約225キログラム)で、正倉院の御物に想を得て、日名子氏独自のアレンジがなされたものです。
 基本柱の前面には陸軍軍医総監枢密院顧問の石黒忠直の筆になる「勲業五十年陸軍軍医総監石黒忠直書」、後面には同じく「陸軍軍医学校創立五十周年」の浮き彫りがあります。
 基本柱左右には「がまの穂」をリボンで束ねた青銅製のレリーフが配されています。これは、神話の「因幡の白兎」に因んだ物で、日本最古の医療行為と、日本最古の薬草を表わし、衛生部のシンボルとしたものです。
 リボンには「昭和十一年十一月七日陸軍大臣伯爵寺内壽一」と刻まれていますが、寺内正毅内閣総理大臣のご子息が、50周年記念式典の際に寄贈したものなのです。
 ほかにも台座には軍医学校50年間における主要な業績が、9枚のレリーフで表現されています。
 この記念塔は現在の国立国際医療センター(東京都新宿区)の敷地内にあったのですが、今では影も形もありません。一体何が起こったのでしょうか?
 どうやら彰古館には、事実の解明と、その残像を伝える使命があるようです。

東チモールから
第2次派遣施設群 2陸尉 高橋 直人
現地の子供の相手をする高橋小隊長
 強い日差し、枯れ果てた大地、こんな中で、作業をするのは大変だと思いながら現地到着してまもなく道路偵察を実施し、いたるところが降雨等により流され荒れ放題で、生まれて初めて車の助手席で車酔いをしたぐらい、どこをどう補修すればいいのかわからないくらいでした。
 また、子供たちと仲良くなり、駐屯地の外から「タカハシ!」とよく叫んできます。しつこいほど寄ってくる。かわいいのですがみんな物をもらうのが目的で来ます。中には、私の娘と同じくらいの年齢の子もいて、なんだか子供を思い出し寂しくなることもありました。
 しかし今は穴だらけの道路の補修に朝早くから夕方まで、炎天下の中小隊一丸となって頑張っています。
 これから東チモールは雨期に入ります。雨期に入るまでが正直言って作業のできる期間だろうと思います。今が勝負時であり我が第1小隊も現地の人たちを使って工事をしようとしているところです。まだ始まったばかりのPKO活動でどうなるのかも全く予想できませんが、いろんなことが起きるだろうし、日本では体験できないこともここでは体験できることと思います。いろんなことを考えて、創意工夫をしてできる限りのことをやっていきます。まだ先は長いですが体と精神状態を良好に維持して家族に心配をかけないように、又隊員の状態をよく掌握して無理をさせないように小隊長としてがんばっていきたいと思います。そして、少しでも東チモールの発展に貢献できればと思います。

熱望の国際貢献
第2次派遣施設群 3陸曹 小野寺茂登
 9月23日に東チモールの土を踏んでから早いもので1ヵ月あまりが過ぎました。思えば昨年施設学校入校中に東チモールに勤務する同期の派遣が決まると、「次は東北方だ、自分にもチャンスがあるかも」と思い、教育終了後、中隊長との面接で熱望の意志を伝え、念願叶い要員候補に選ばれ、今ここスアイにいるのだなと実感しています。
 私が東チモール派遣を熱望したのは「陸曹1年目、国際貢献の中で自分を鍛えてみたい」という思いがあったのと、入隊以来、国際貢献活動参加がひとつの夢であったからです。
 1ヵ月過ごしてみて、強い日差しの下40℃を超えるこの地は、自分を鍛えるには絶好の場所だと感じています。又厳しくもユーモア溢れる上司先輩の指導の下、また、よくサポートしてくれる同期後輩がいて、日々仕事にトレーニングにと打ち込む毎日です。
 まだまだ始まったばかりの任務ですが、チームワークを大切にして一回り成長して帰国したいと思います。

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