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   2002年12月15日号
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石破長官特別インタビュー 6、7面

石破長官、沖縄県を初視察
<米軍関連施設平和記念公園>
稲嶺知事、米軍関係者と意見交換
稲嶺知事と対談する石破長官
 石破茂防衛庁長官は11月30日、長官就任後初めて沖縄県を訪れ、米軍普天間飛行場などを視察し県庁では稲嶺恵一沖縄県知事と会談。翌12月1日には平和祈念公園やキャンプ・シュワブを訪れた。
 石破長官は30日午後、空自の多用途支援機U―4で那覇基地に到着後、まずは随行者の嶋口武彦防衛施設庁長官、渡邊元旦統幕事務局長とともに陸自CH―47ヘリコプターに乗り換えて米軍普天間飛行場に向かった。ウォレス・グレッグソン在沖米四軍調整官らが出迎える中、普天間飛行場入りした石破長官は、グレッグソン四軍調整官と国際情勢の意見交換等を行い、続いて基地内の管制塔などを視察した。
 その後、石破長官は車で沖縄県庁に移動し、そこで稲嶺知事と米軍基地の問題などについて約20分間にわたり意見を交換。同行記者や地元メディアなど多くの報道陣が見守る中、石破長官は「できるだけ早く沖縄県を訪問したいと思っていました。1年に1度は訪れられるようにしたい」と挨拶した後、稲嶺知事からの要請についてコメントし、「沖縄の皆さんに評価されるように誠心誠意取り組んで参りたい」と述べた。
 続いて場所を移し、石破長官は那覇市内のホテルで嶋口施設庁長官、渡邊統幕事務局長、岡崎匠那覇防衛施設局長とともに那覇市や嘉手納市など県中南部18の市町村の代表者らと懇談した。
石破長官は慰霊碑などを時間をかけて回った
戦没者慰霊碑に献花
 1日午前、平和祈念公園を訪れた石破長官は、戦没者の慰霊碑に献花した後、沖縄戦で亡くなった人々の氏名が刻まれた刻銘碑「平和の礎(いしじ)」を見学。「平和の礎」には国籍や軍・民の区別なく沖縄戦で亡くなった20万人余の氏名が国別・県別で屏風状に並べられた石碑に刻銘されており、石破長官は地元・鳥取県出身者の名が刻まれた碑の前では、その名前の一つひとつを確かめるかのようにしばし足を止めた。そして、園内「平和の広場」では石破長官は海岸線を一望できる断崖に立ちながら、担当者の説明に耳を傾け、多くの人々が犠牲となった沖縄戦について思いを馳せていた様子だった。また、鳥取県出身者の慰霊塔「因伯の塔」を訪れた際には、慰霊塔と合わせて納められている石碑がともに父・二朗氏(当時・鳥取県知事)の書によるものであり、石破長官が父親との思い出を周囲に語るという一幕も見られた。
 石破長官は平和祈念公園を出ると空自与座岳分屯基地からキャンプ・シュワブへCH―47で移動。キャンプ・シュワブのほか周辺の米軍関連施設を上空から視察後、キャンプ・シュワブ入りし、そこで担当者から普天間飛行場代替施設の概要説明を受けた。石破長官は説明中も周辺の状況や環境等について熱心に質問を繰り返していた。
 予定されたスケジュールを全て終えた石破長官は空自那覇基地で、伊藤盛夫内局広報課長の進行により記者会見を行い、「まず国全体として沖縄の負担によって国の平和と独立が保たれているということを認識する、ということから始めなくてはならない。今回の沖縄訪問を通じてそのことの認識を強く持った」と語った。また、SACO(沖縄に関する特別行動委員会)の進捗状況については「かなり着実に実行が進んでいると認識しているが、充分でない所については政府としても最大限の努力をしていきたい」と話した。

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