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   2002年12月1日号
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小平学校で「隊歌コンクール」
女性職員も威風堂々と行進
 陸自小平学校(校長・武田能行将補)では10月25日、資質教育の一環として「隊歌(軍歌)コンクール」「校長訓話」を実施した。
 この日は穏やかな秋晴れに恵まれ、午後1時すぎ、学生、職員ら全員が駐屯地グランドに集合、いよいよ隊歌行進の幕が切って落とされた。壇上の審査員(武田校長、萱沼周輔副校長はじめ北多摩偕行会の皆さん計6名)の前を▽情報教育部(曲名「益良夫の道」)▽語学教育部(同「軍艦行進曲」)▽会計教育部(同「理想の歌」)▽語学教育部=英語(同「同期の桜」)▽総務部(同「理想の歌」)▽人事教育部(同「歩兵の本領」)▽システム教育部(同「歩兵の本領」)▽警務教育部(同「愛国行進曲」)▽語学教育部=UNDOF(同「抜刀隊」)が順次、力強く合唱しながら整然と行進した。各グループ約50名の中に、女性職員も参加している部があり、男性職員に劣らぬ大声で、気合いを込めて軍歌を合唱していた。女性職員の一人は「初めての体験で最初はとまどいがあったものの、行進しているうちに徐々に気分が高揚してきて、勇気がわいてくるような気がしました。次の機会にもぜひ参加したいですね」と目を輝かせていた。
 審査結果は、優勝が語学教育部=UNDOF、2位=会計教育部、3位=情報教育部の順で、優勝したUNDOFチームは、将来ゴラン高原で国際協力業務に携わるという明確な目標を持っているので、他チームとは一際違った迫力が感じられた。隊旗や辞書を片手に、一糸乱れぬ行進、しかも腹の底から絞り出すような声に感動を覚えた。
WACや女性職員も張りのある声で隊歌を合唱しながら力強く行進
(10月25日、小平学校で)
 表彰式では、武田校長が優勝、2位、3位各チームに賞状などを手渡したあと講評に立ち「短期間の練習にもかかわらず、各部がそれぞれのアイデアを駆使して本日は本当に良くできた」「全員が一生懸命やっている姿を見て感銘を受けた」など述べるととともに、今後とも各々の任務に一層励むよう要望した。
 最後に、萱沼副校長が壇上で号令をかけながら全員がグランドを行進、今年7月23日に制定されたばかりの小平学校校歌(作詞=大中好信1佐、作曲=陸中音)を斉唱し「隊歌コンクール」が終了した。
武田校長が訓話
 引き続き、場所を体育館に移して「校長訓話」が行われ、武田校長は自らの体験を踏まえた「阪神大震災に見た自衛隊と日本人」と題する内容をスライドを使いながら語ると、職員全員が真撃に聞き入っていた。

「山内3曹の善行について」
4術校総務課 1空尉 田村 千晶
 第4術科学校長宛に、一通の手紙が届いた。差出人は、横浜市在住の男性名である。開封すると、いかにも書き慣れた美しい文字で、レポート用紙2枚に綿々と綴られている。内容は当校所属隊員の事柄であった。
 ここにそのお手紙の概略を紹介したいと思います。
 突然のお手紙で恐縮です。私は、東京消防庁を定年となり、第一線は退いておりますが、現在は嘱託として消防学校に籍を置いている者です。
 貴隊所属の山内一(やまうち・はじめ)さんの善行について、つい筆を執りたくなりました。
 最近、休日ともなれば、家内と2人自然を求めて旅をするのを何よりの楽しみにしておりますが、去る6月22日も1泊2日の予定で尾瀬へと向かいました。湿地帯に咲く可憐な花を楽しみながら、宿となる桧枝岐小屋に到着したのは午後4時半頃でした。そこで私たちを思わぬ出来事が待っていたのです。着いて間もなく玄関付近で唯ならぬ状況のようです。中年の女性が倒れ、同行者と思われる数人は「しっかりしてー」などと口々に声をかけています。
 私は救急隊員としての経験こそありませんが、職業柄応急手当程度のことは修得していたつもりでしたが、あのような状態で、倒れている女性に声をかけ、脈を取るのが精一杯でした。宿の主人の話では、尾瀬に医者は不在、救急ヘリも天候などから無理であるとの返答があった旨聞かされ愕然、病人の意識レベルの低下は誰が見ても明らかである。その時、一人の若い男性が名乗り出てきた。「私は、航空自衛隊の救急救命士です。」「ちょっとよろしいですか」というと人垣を割って入り、同行者から病人の名前を聞くと、懸命に呼びかける。最初無反応だったが、なにやら反応らしき動きが見られる。瞳孔観察、嘔吐の確認、気道の確保、呼吸、脈拍の観察、既往症の有無の確認、さらには保温等、実に手際よく実施してくれました。やがて、蒼白だった顔の色も赤みがさし、意識も回復した。急病になられたのは、石川県小松市に住む59歳の女性で、貧血を起こしやすい体質でもあったらしく、今回も極度の貧血だったのかも…。と言うことで一件落着しましたが、「自宅に戻られたら、一度検査でも…」とアドバイスも忘れなかった。
 ご本人は勿論のこと、身内同行者、山小屋関係者を含め居合わせた人達からも、感謝とその行為に大喝采であったことは言うまでもありません。
 結果的に貧血であったかもしれませんが、あのようなパニック状態に陥ったとき予期せぬ事態に発展する可能性もあり、彼のようにひたむきな訓練を積んだ青年のいることを、あらためて心強く感ずるところであります。と、以上のような内容でした。
 国民の負託に応える自衛官としてはごく当たり前のことではあるものの、その「当たり前の行為」がなかなかできない昨今、初夏のすがすがしい風が通りすぎたような、そんな気持ちにさせてくれた一通のお手紙でした。その隊員こそ第4術科学校業務部衛生課所属の山内一3等空曹である。山内3曹は熊本県熊本市出身で、平成5年、曹候18期として入隊、衛生隊員として浜松基地(1空団)で勤務。平成11年航空自衛隊岐阜病院の救急救命士過程に入校、3年間の教育を修了とともに、救命士の資格も取得し、今年4月熊谷基地衛生課勤務となった隊員である。この日、奥様と奥様のご両親とともに尾瀬を訪れたときの出来事である。彼の行為を通して、航空自衛隊が頼もしく心優しい戦士達であることを、そこに居合わせた人々の心に深く刻み込んだのではあるまいか。我々も日々国民の期待に応えるべく襟を正し、胸を張って歩いて行きたいものである。

「頑張っています」新しい職場
活躍するOBシリーズ
東芝電波特機(株) 高橋 要三
(平成13年9月、第2整備補給隊を1海尉で退職。54歳)
 <職務概要>東芝電波特機株式会社は、昭和59年7月(株)東芝の100%出資により防衛機器整備専門会社として設立されました。三沢出張所は、昭和60年4月陸海空部隊の便宜をはかるため、後方支援活動の窓口(主に東北地方に所在する部隊等)として開設され、私は主として海上自衛隊大湊地区及び八戸航空基地を担当し、会社と部隊間の業務が円滑に遂行されるように、不具合等の情報収集、会社側の情報提供及び連絡調整等を図っています。
 三沢出張所には、航空自衛隊OB2名と私、パートの女子事務員の計4名が勤務しています。協調性を大切にするとともに先輩の指導を仰ぎながら楽しく勤務しています。
 <入社のきっかけ(会社選択の理由)>海自OBの甲谷氏が当社を平成13年3月に定年退職され、その後任として入社しました。
 不景気で再就職の厳しい現状にありながらも就職できたことは、自衛隊援護関係の方々、海自OBであり当社顧問の中井氏及び海自OB甲谷氏に尽力していただいたお陰と感謝しています。もちろん雇用していただきました東芝電波特機(株)には一番感謝しています。
 <入社して苦労したこと>入社してから約8ヶ月経ちますが、これといって苦労したことはありませんが、失敗したことはいくつかあります。そのひとつとして入社間もない頃部隊へ挨拶に行った時のことです。業者の立入り場所が定められている事に気づかず、自衛官の頃の気持に返り、その人の机まで行ってしまい、小声で注意され今の自分が業者であることを改めて思い知らされ、複雑な心境に陥ったことがあります。
 それ以来現在の私は、一民間人で自衛隊に出入りする業者であることを自覚するように努めています。
 <後輩へのアドバイス>近年再就職状況は厳しいものがありますが、あれこれくよくよと考えても仕方のないことです。月並みですが、健康に気をつけプラス思考をもち、再就職したならば階級意識を捨て協調性を大切にするとともに、何でもやってやるという気持ちが大切ではないでしょうか。
 <その他(再就職に際して思うこと)>私の職場では、自衛隊で体得した文書、安全、品質管理等について役に立つことがあります。往々にして定年と同時に何もかも捨てたくなりますが、何年もの間自衛隊で培った知識や技能は財産です。階級は捨てても財産は捨てないで整理しておくと、身を助けてくれることもあります。
 最後に、これからも「失敗を恐れず明るく元気よく前向きに」を自分に言い聞かせ毎日の勤務に励んでいきます。

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